春和、朝風、図書室

 ここのところ、朝早くに図書室を訪れると、窓から見える園芸委員の花壇には決まって同じ女の子を見かける。肩の少し上で切りそろえられた綺麗な黒髪で、いつも黄色いヘアピンをしている。彼女はゆっくりとした動きで花に水を遣り、物憂げな視線は落下する水をなぞるように追う。3階のこの部屋からでは、彼女が花を見ているのか、水を見ているのか、それとも土や花にいる虫をみているのか検討もつかない。




 今、学校は春休みで高校二年生の幕を開ける始業式は明後日の4月6日月曜日だ。わざわざ休み期間中の朝から図書室に来て何をしているのかと言えば、特に何もしていない。一応数学Bの参考書と物理基礎の教科書をパラパラ捲ってはいるが、これはせっかく図書館に来たからと、気持ち程度に勉強している素振り。読書も特別に好きという訳ではない。僕に同じくそこまでの需要も理由もなく開放してくれている図書館に倣って、なんとなく行きたい気分の日にふらふらと遊びに来ているだけだ。強いてここに来る動機を挙げるなら、誰もいない図書室の匂いと半開きの窓から侵入する朝風に肌を滑らせる心地良さが好きなことくらいか。開館時間である7時半に来てお腹が減り始める12時頃に帰るというのを大体2日に1回程の間隔で繰り返しているのだが、曜日に関係なく花壇には僕より早く園芸委員の彼女がいる。学校自体は7時に空くから、彼女の方が早く登校しているのだろう。




 僕は蓮葉はすは みどりという名前で、苗字も名前も珍しいのと友達曰く親しみやすい性格から、学年の中でも顔は広い方だ。だから彼女のことは直接知らないが、僕のクラス付近で見かけなかったことから、去年は僕から離れたクラスだったと推測できる。去年、僕は1年2組だった。クラスは全部で8つあるから、大体5組から8組のあたりだっただろう。「なんてなま……」えなんだろ、と発せられるはずだった僕の独り言は突然かち合った視線によって強制シャットダウンされた。単純にびっくりしたことと、背後から見つめていた僕は明らかに不審な人に思われているであろうことで身体が熱くなった。背後の3階からの視線に気付くものなのだろうか。それとも、気付くほどの視線を無意識に送っていたのだろうか。彼女にしか分からないその答えを既に水遣りに戻っている彼女の背中にそっと聞いた。今度は気づかれなかった。




 この日、僕は初めて彼女と会話を交わす。

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