時効性の春

八花 青葉

初日

記憶

 懐かしい映像が流れている。懐かしいが、身に覚えの無い映像。恐らく自分の記憶だ。しかし他人が自分を撮った映像を見ているかのような違和感や奇妙さが感じられる。


 映像の舞台は土手で、僕は仲間と一緒にいるようだ。空は曇り模様だがいくつもの晴れ間が覗いている。雨が降ったのか地面が濡れているが、暖かくて過ごしやすい気温だ。日が高く、時刻は多分、正午前後。僕も仲間も、若葉風が吹くたびにあちこちで楽しそうにこしょこしょ話をしたりお互いを小突いたりしている。平和で、悪いことなんてない日々。なのに、なぜだか満たされない。孤独じゃないし、目下の悩みなんて何一つないのに、底の抜けた柄杓みたいに、掬っても掬っても心が満たされない感覚があった。そんなことを考えているうちに頭痛がしてきて、そっと目を閉じた。次に目を開けた時には場面が切り替わっていた。


 今度の僕は緩やかな丘の上で仲間たちと海を眺めていた。上空は青空と雲が7:3といった塩梅だ。太陽が容赦なく地面を熱し、地面は一生懸命に熱を地上に跳ね返している。僕達はみんな揃ってお陽さまを仰ぎ、力の限りを尽くして生きるということを表現している。たまに僕達の隙間を通り抜けていく風が心地よかった。まだまだ熱の冷めない昼下がり、僕は思考に浸る。僕はきっと今、幸福なんだろう。日が暮れるまで仲間たちと生を謳歌し、緩やかに短夜を越す。これが僕の仕事であり、使命であり、生きがいだ。それに、心から好きだと言えるものがちゃんとある。朝だ。早朝、まだ誰も起きていない時間の空気を独り占めするのが好きだ。いつだか感じていた欠乏感は未だ解消されないが、こんな幸福な日々を過ごせるならばそのうち忘れてしまうだろうと、深く考えないことにした。


 あるとき、僕は道の脇に立っていた。ここでもやはり僕には仲間がいた。僕は仲間と共に、艶やかとも、物憂げとも言える甘い香りを精一杯振り撒いている。鼻からいっぱいに空気を吸い込むと、肺中に新涼の香りが広がっていった。僕達が創る香りと肺に溜まった香りが混ざって不思議な気持ちになる季節だった。日が沈み、世界は残留した太陽光とぽつぽつ灯し始めた街灯のみに照らされ、常夜灯のような光量で宵の口を迎える。美しい時分だが、儚いとも感じた。僕の感性は相違なかったらしく、次の日降った大雨は仲間とたくさん紡いだ香りを跡形残さず散らしていった。僕は喪失感から次第に感性が酸化し、心が錆びついていった。やるせなさや虚無に挟まれ、乖離する自己を抑えきれなかった。胸が苦しくて、息ができない。こんな状態になってしまった僕の心は、もはや宵との逢瀬を楽しみにする余裕を持てなかった。


 次に目を醒ますと、僕は池に浮いていた。仲間は、いなかった。一つ前の季節から今日まで、随分長く眠っていた気がする。天気は雲ひとつない快晴で、吹く風は刺すように冷たい。凍えるほど気温が低く、突き抜けるように空が高い。仲間がいないことは、僕にとって悪いことではなかった。切なくはあるが、寂しくはない。僕にとっての幸福が周囲に準拠しなくなったからだろう。それから僕は長いことこの季節に浮き、色々な景色を見た。色を忘れた銀世界は、瞬きも、息を呑むことさえも億劫に感じた。静謐な宝石を思わせる夜景は、灯り一つ一つが泣いているのかと思った。吐いたそばから凝結する気霜は、期限付きの魔法のようだった。どれも綺麗な景色だった。綺麗すぎて、触れたら壊れてしまいそうだった。


 映像は、再び土手に巻き戻っていた。

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