第6話 奇妙な男

その男は、あまりにも異質だった。


着ている服は貴族のものよりも上質に見えるが、もとは真っ白だっただろうシンプルなシャツは血で赤く汚れ、黒いズボンと共にいたる所がほつれていた。


対して肌には傷一つなく、顔は整っているが、黒目黒髪というなかなかお目にかからない見た目をしていた。


__なにより、ここに人がいることがおかしい。


自警団を率いる女性、カルテは目の前の男を最大限警戒することにした。


「何者だ貴様!!この森で何をやっている!!」


頑固な老戦士、エテルが声を張り上げる。

攻撃的になるのも無理はない、とカルテは思った。

なにせこの森に入ってくる者は、みな我らの持つ叡智を略奪しようとする者ばかり。それも、不帰の森かえらずのもりと呼ばれるテール大森林の奥地まで単独で来れたとなれば、並大抵の実力ではないだろう。


「まて、落ち着け!こちらの方が人数有利だ。相手を刺激しなければ、戦闘を避けれるかもしれん!」


わざわざ声を張り上げたのは、逸る部下を落ち着かせるため。そして、目の前の男に暗に降伏しろと伝えるためだ。


お前が降伏するのであればこちらに攻撃の意思はない、と。


「いやーでも隊長、あれで対話はムズくないっすかねえ。」


緊張感のない言葉を吐いたのは、自警団で最年少の男、ケント。態度こそ軽いが、異質な男を見つめたままの眼光は誰よりも鋭い。


ケントの言葉は一理ある。

なにせ、こちらが全力で威嚇しているのに対し、相手は戦闘態勢すらとる様子がない。言葉の通じぬ阿呆か、はたまた我々を脅威とも思わない実力者なのか。


しかし、カルテも自警団隊長としての自負がある。この森にはしてやられてばかりだが、この世界で我々を超える叡智を持つものなどそうそういない。それだけの鍛錬と知識を積み重ねてきたのがこの自警団なのだ。


今まで自警団と相対した者は、みな命乞いをするか、逃げ出すか、無理に立ち向かおうとする者ばかりだった。こんだ奇人は初めてだ。だが、ここで食い止めねばならないことに変わりはない。冷静に対処する必要がある。


だが、他の隊員、特にエテルは我慢の限界だったらしい。


「貴様、舐めているのか!」


まずい。直感的にそう思った。

確かに感じる魔力量は一般人そのもの。偽装している様子も見られない。だが、そんな人間がこんな場所で生きていられるはずがない。見事にかみ合わない彼の状態はあまりにも不気味だ。


奇妙な男に剣を向け、分かりやすく敵意を示した隊員の姿に、これは戦うしかないか、と槍を握る手に力が入る。


しかし。


「***************。」


その男は、訳の分からない言葉を呟くと、その場に座り込み、あまりにも無防備といった姿でこちらに笑いかけた。まるで、やれるもんならやってみろ、とでも言うように。


こいつ、どういうつもりだ?


「...っ!ふざけるな!!」


「よせ、やめろ!!!」


カルテが静止を促すも、エテルは既に剣を振り下ろした直後だった。剣も杖も見えないが、どこに隠しているか分からない。魔法を打たれる心配があるなら、発動前に接近戦に持ち込むべきだと考えたのだろう。


だが、その剣が当たることはなかった。


ガキン!


「ぐぁッ...!!」


飛んできた異物。剣ごと貫かれたエテルの右手。

自警団のほとんどが突然のことに動きを止める中、カルテと奇妙な男だけが何が起きたかを理解していた。


こりゃ本格的にまずい。

カルテは冷汗をかく。


こちらを睨みつける深紅の瞳。威嚇するように肥大化した凶暴な足。人の手を貫くほどの鋭い角。身にまとう黒々とした瘴気。


 __森の精霊だ。


自警団はこの森に慣れている。たとえ精霊相手であっても、臆病な性格ゆえ適切に対処すれば決して戦闘にならないことを理解していた。だからこそ、今回の任務では精霊を追いかけるに留め、回収係が待ち受ける方へ誘導しようとしたのだ。それがとんだイレギュラーに遭遇したが、精霊と敵対する可能性は依然としてないはじだった。


だが。

迫りくる濃密な死の気配に、どうしても気づかされる。


我々は判断を誤ったらしい、と。


どういう訳か、この男に攻撃することが精霊の琴線に触れたらしい。

自警団全員の命が危ぶまれるが、少なくとも精霊は、男を攻撃したエテルを許すつもりは無いらしい。


どうする。このまま精霊とことを構えるしかないのか。


カルテは隊長としてエテルを助けるべきかを一瞬逡巡する。その一手が命取りだった。


衝撃波と共に踏み抜かれた精霊の足。大地が割れ、踏み出したカルテの足は着地する場を逃し、精霊はその角を一直線にエテルの心臓へと向ける。


 __だめだ、間に合わない!


ドグッ!


飛び出る鮮血。

思わずカルテは目を見開く。


ドサッ...


倒れたのはエテル、ではない。

それは、この場にいる誰よりも早く動いた、奇妙な男であった。


腹に深々と突き刺さる角。その先端から男へと流れ込む膨大な瘴気に、思わず隣のケントがウッ、と嗚咽をもらす。


致命傷を負った男は、血をこれでもかと流しながら倒れ伏す。


「な、に......。」


カルテも、恐らくは助けられたエテルも、誰も何も言えなかった。


助けられた。殺そうとしていた相手に。しかも奴は、自身を含む隊員の安全性を考えたせいで動き出すのが遅れた私と違い、一瞬の迷いなくその命を差し出したのだ。なんという自己犠牲の精神なのだろう。


畏怖。


カルテの胸中に、何とも言えぬ感覚が広がった。奇妙な男のその精神を畏れ、そんな人間を我々の行動が原因で殺してしまった罪悪感が充満する。


肝心の精霊は、じっと男の死体を見つめている。鳴き声すらあげず、それはまるで何かを待っているようであった。


自警団は複雑な心境と、異質な目の前の状況に、一歩も動けずにいた。


そんな時だった。


ドクドクドク......!


脈打っている。


男の心臓が、ではない。

こぼれた夥しいほどの血が、ドクドクと動き出したのだ。


「...は?」


血は、地を這う蛇のようにとぐろを巻いたかと思えば、今度は竜のように舞い上がる。竜頭蛇尾。その血しぶきは、尾にかけて細く、細く、少しずつ細くなり、血管程の太さになると、竜巻のように男の心臓へと吸い込まれていく。


余りの景色に、カルテは口をあけて呆然とするしかない。


なんなのだこれは!?こんなもの、魔術だってあり得ない!

もしや、もしや我々は、奇跡を目の当たりにしているのか!?


白く、今にも崩れそうだった体は、次第に色を取り戻していく。まるで、人形に命が吹き込まれた瞬間を目の当たりにしてしまったような、そんな気まずさがそこにはあった。


「なんなんですか、これはぁー。」


あまりの景色に、口をおさえ涙目を浮かべているケントが尋ねてくる。どうやら、吐き気を必死に抑えつけてるようだった。だがそんなこと、カルテにも分からない。男の体に流れ込んだ瘴気でさえ、徐々に消化されているように見える。あの調子なら三日もあれば消え失せるに違いない。


カルテに分かるのは、この男は敵ではなく、我々は助けられたらしいということ。そして、この男の情報が、我々の野望を叶えるのに必要不可欠ということだけだ。


理論では説明できない、奇跡の力。間違いなく彼は、我々に変化をもたらしてくれる。たとえそれが、破滅の一手だとしても。


カルテは思わずゴクリと喉を鳴らす。


「ひとまず、この男を抱えて帰還するぞ。」


精霊を刺激しないよう、ビクビクしながら男に近寄る。呆気に取られていたエテルがハッと我に返る。


「隊長、全ては私の責任です。私に運ばせてください。」


見れば、体が強張っている。明らかに無理をしている様子だ。だが、それも仕方がない。あれほどの光景を、誰よりも間近で見てしまったのだ。その衝撃は計り知れないものだっただろう。


「いや、構わん。お前の行動はお前なりに危険排除を優先した結果だろう。静止命令無視の罰則は後で課すが、今はその腕を休ませておけ。」


「はっ、感謝します!」


正直、精霊と衝突することになったのは事故みたいなものだ。侵入者と思って攻撃したら精霊に手を貫かれたなど、誰が予測できようか。


ゆっくりと右肩に男を担ぐ。

するともう片方の肩に乗っかってきた精霊。相当にこの男と離れたくないのか、一緒に付いてくるつもりのようだ。


まさか、帰るまでずっと私の肩にいるつもりか...?


「隊長、さすがっすわ......。」


尊敬の目で見てくる、なんなら少し引いてるケントを横目に、カルテは思う。


やっぱりエテルに任せとけばよかった。


「ああ、帰ったらエントリヒ様になんて報告すればいいんだ。」


不遇なカルテと一行は、沈んだ空気のまま森に姿をくらました。

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