第2話 なんだここ、地獄か?
予想外だった。
まさか白川さんが泣いてくれるとは。少し嬉しいと感じている自分が憎い。俺が、俺なんかが泣かせてしまったのだ。自分の死を優先して、彼女の記憶に人が死ぬ瞬間を残す羽目になった。
「クソ、クソ、クソ...!」
どうか、どうか、こんな塵のことなんて忘れてくれ...。
音も、色もない世界。目も耳もない体。叩きつける拳も、流す涙もありはしなかった。
地獄と呼ぶには苦痛を伴わず、天国と呼ぶには余りにも虚無。
人っ子一人いない空間に、大抵の人間であれば発狂していたかもしれないが、逆に言えばだれにも迷惑を掛けない世界、というのは大変都合がよかった。
現世では自殺を選べなかった。
それは、痛みへの恐怖もあったが、一番は誰にも迷惑を掛けない自殺方法が見当たらなかったからだ。結局、最後の最期に迷惑をかける羽目になったが。
だが、ここなら。
思い立ったが吉日、早速頭を打ち付けようとするが、頭がない。
なんなら打ち付ける壁も床もない。
息を止めようにも呼吸していない。
腹も空かず、眠気もない。
なんだここ、地獄か?
求める他人の幸福も、自分の不幸もそこにはなかった。いや、それはそれで不幸になるのかもしれないが。
おおよそ体感時間で4日、新しい悟りを開きかけてきた時、この世界に来て初めての変化を目の当たりにした。
それは異質だった。
男と言われれば男に見えるし、女と言われれば女に見える。だが人間じゃないと言われればそもそも人間ではないようにも見える。かといって変容し続けているという訳でもない。
神だ。
直感がそう告げていた。驚くほど覇気もオーラも感じないが、ただただ畏怖だけがそこにあった。
___おや、こんなところに。ずいぶんさがしたよ。
声が、いや、言葉が聞こえた。こいつ、脳内に直接......!
「ええと、はじめまして。
やあ、はじめまして。なのりたいところだけど、あいにくなまえがないんだ。
なんとも不思議だ。不思議。それ以外の感想が出てこないので、心の中でその存在をフシギさんと呼ぶことにした。
ふむ、きみはなぜここにきたかわかるかい?
「考えてみたんですが、やっぱり死んでしまったから、ですかね。」
そうだね、それははんぶんあたっているといえる。
「半分、ですか。」
ここは、しごのせかいではある。だがほんらいなら、しんだものはみな、りんねのわにもどるはずなんだ。
「輪廻、ですか。天国じゃないんですね。」
いいや。てんごくでもある。それぞれのしんこうのもとへゆくんだ。
しんこう。ああ、信仰か。話が逸れていくのが分かっていても、俺はフシギさんに質問を重ねていた。そしてフシギさんはそれにすべて答えた。
「......それぞれの信仰ということは、唯一神ではなく、多神制なのですか。」
うーん、なんというか、おなじにみえても、せかいはひとつではないんだよ。ほとけさまをしんじるなら、そのひとにとってはそれがせかいだ。
「それを言うなら言霊信仰だったんですが、言霊の神様はいらっしゃらないんですか?」
いいや、やおよろづのかみはそんざいする。ただ、きみのばあい、すこしわけがちがっていてね。
確かに、こうして一人一人が神様と対話するなんて非効率な死後が在るわけないか。今の現状は明らかなイレギュラーらしい。
「それでは、一体何をしにここへ来たのですか。」
きせきをおこしにきた。
奇跡。
「奇跡、ですか。」
ああ。かみさまのおしごとさ。いのりのちからをかりて、そのもののねがいをかなえる。
「例えば、モーセみたいなことも神の奇跡なんですか。」
そうだ。かれのいのりのちからは、よほどおおきかったらしい。
はあ。つまりは、祈りの力とやらを持っていたおかげで、奇跡を起こしてもらえることになったのか。だが、ひとつ引っ掛かるところがある。
「でも、祈った覚えがないです。」
なにも、きみがいのったとはかぎらない。
ふと、脳裏に彼女の顔が浮かんだ。確かに、聖女みたいな白川さんなら祈りの力とやらが多くても不思議じゃない。白川さんはなにかを祈ったのだろうか。
つまりは、きみによみがえってもらうことになった。
それは嫌だ。
「嫌です。生き返りたくない。」
なぜ?
「生まれなおして記憶もなにもかも失えば、図太く、屑のまま生き続けようとするかもしれない。それだけは嫌だ。」
あんずることはないよ。きみにはえいえんのきおくをあたえることになっている。
畜生、あれは本当に転生トラックだったのか(しかも二台)。どうやらまた生きなければいけないらしい。労わり尽くせりで良ろしくないことばかりだ。
「まあでも、新しい生を受けてもすぐにまた死ぬと思いますよ。」
そうだね。
「そうだねって、んな適当な。......いやまあ、別に変わりはいくらでもいるか。」
いいや、きみいがいをむかわせたとしても、せんねんはかかるよ。
ええ...。千年て、ならなおさら他の人にした方がいいと思うけどな。
途端、現れる扉。色のない世界の中でも光を放っていることがわかる。
きみにしてほしいことも、はなしておかなければいけないこともない。ただ、ひとことだけ。どうか、いきてくれ。
「はあ、せいぜい必死に生きますよ。必死にね。」
一人の男が旅立ち、あとには名のない神だけ。
......ふろうふし。きみにとってはさいていさいあくのきせきだろう。
せめて、きみがしあわせであり......。いや、いのるのはいやがられるか。
ただ一人の男のみが知っているその神は、確かにほほ笑んだ。
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