五十九発目「獣族三人姉弟」


―フィリア視点―


 行宗ゆきむね直穂なおほを温泉へ送り出したオレは、

 誠也せいやや獣族姉弟三人、ニーナ、マナト、ヨウコを連れて、和室へと帰ってきていた。


 まずは気絶したヨウコを布団に寝かせ、押入れにしまっておいた薬剤バッグを引っ張り出してから、

 オレはヨウコの服をめくりあげて、聴診を開始した。


 ニーナとマナトがオレの隣で食い入るように、診察の様子を覗き込んでくる。


『二人とも疲れてるだろ? 眠っておいたほうがいいぜ。あと三時間後には出発するからな』


 オレはふたりにそう言った。


『マナト、あなたは寝てなさい。ヨウコの面倒は私が見ておくから』


 姉のニーナがそう言った。


『嫌だ。ニーナ姉が寝ないなら俺も起きてる』


 弟のマナトが意地を張る。

 

『強がらないの。ほら、横になって』


『いやだっ、子ども扱いするなっ!』


 マナトくんは一人で寝ることを頑なに嫌がった。


『二人とも、頼むから寝てくれ。

 明日は長旅になる。

 独立自治区に着くのは明日の夜遅くだ。

 目を瞑って横になるだけでいいから……」


 オレは諭すようにそう言った。


『でも……私がヨウコのそばに居ないと……』


 しかしニーナ姉は不安そうだった。


『心配するな。腹を切り開くとか危ない治療はしない。

 ただ薬を作って、ヨウコに飲ませるだけだ。

 でも、薬を作るのに時間がかかるんだ。

 ヨウコに薬を飲ませる時になったら、二人とも起こしてやる。 その時までは寝てろ』


『分かりました……ヨウコをお願いします』


 オレはなんとか二人の説得に成功した。

 ニーナとマナトは、ヨウコのそばに寄り添うように布団を被った。


「さて……」


 オレはヨウコの診察を開始した。

 






 ★★






 ヨウコは、性感染症による免疫不全症候群だった。

 つまり、体内の免疫システムに障害が起こっているのだ。


 人間の体内では本来、殺菌作用をもつ細菌や微弱な回復魔法によって、病気から身体を守る機能が備わっている。


 しかしヨウコの身体は免疫不全。

 病気から身体を守るシステムが十分に作用せず、

 普通ならかかるはずのない、弱い病気にかかってしまっている。


 現在ヨウコを苦しめている病原菌に関しては、マグダーラ山脈で手に入れた薬剤で薬を調合すれば簡単に駆逐できる。

 だが免疫不全に関しては、オレが治療法を覚えていないため、家に帰って本で調べないと取りかかれないのだが。

 

誠也せいや、手伝ってくれ」


 オレはそう言って、バックを開き、

 誠也せいやと協力して薬の調合を開始した。


 


 ★★



 しばらくして、行宗ゆきむね直穂なおほが和室へと戻ってきた。


 そして薬が完成した。


 ニーナは結局眠れなかったようだ。

 マナトはぐっすりと爆睡していたのだが。

 約束通り、オレはマナトを起こしてから、

 

 最後に、気絶したままのヨウコを起こそうと身体を揺すった。


「ん……?」


 ヨウコの目が、ゆっくりと開く。

 病の犯された彼女の顔は、げっそりと細っていて、

 おぼつかない目で、オレを見あげてきた。


『だ、誰だっ!?』


 カッと目を大きく見開くヨウコ。

 全身に力を入れて、首を回してあたりを見渡す。


『人間っ!!? なんで人間がここにっ!!?

 マナト! ニーナ姉っ、逃げてぇ!!?』


 誠也せいや行宗ゆきむね直穂なおほが視界に入ったのだろう。

 ヨウコはパニックを起こし、飛び起きようとして、身体をジタバタとさせた。


『ヨウコ、落ち着いてっ! この人たちは悪い人間じゃない! ヨウコの病気を治してくれるんだよっ!?」


 慌ててニーナ姉がヨウコの身体を押さえつける。


『ふ、ふざけるなっ!

 人間なんかみんなクズだろ! 

 母さんもニーナ姉も馬鹿かよっ!

 人間の優しさに、何度騙されれば気が済むんだっ!』


『落ち着いてヨウコ! フィリアさんの作った薬を飲んでっ!』


『嫌だっ! 人間の作ったものなんて飲まねぇっ!』


『フィリアさんは獣族だよっ!』


 ニーナ姉が叫んだ。

 そのあまりの剣幕に、ヨウコは身を固めて驚いていた。

 ヨウコは不安そうに、オレを振り返った。

 オレは、精一杯穏やかな声で話しかけた。


『ヨウコ、安心しろ。オレは獣族の医者だ。

 この薬を飲めば、お前の病気は一時的に治る。

 完治にはもう一つ治療が必要なんだが……

 とにかく怖がらなくていい。 オレは医者のフィリアだ。

 お前ら三人を、獣族独立自治区に連れて行く』


 オレはそう言って、コップに入った薬を差し出した。

 飲みやすいように水で薄めてある。


『なんでここに人間がいる!? お前は獣族なのにっ! 何を企んでやがるっ! ニーナ姉に何を吹き込んだっ!?』


 ヨウコはニーナに抑えられながら、キッと涙目でオレを睨みつけた。


『こいつらは皆、悪い人間じゃない。

 オレの仲間だ。優しい人間だ』


『嘘だ…… 人間はみんな、オレたち獣族をおもちゃみたいに……』


 ヨウコは震え声を漏らした。


『優しい人間もいるよ。私達を屋敷から逃してくれた蘭馬らんまくんみたいに……』


 ニーナが優しくヨウコを諭す。


『だってアイツは…… オレたちを王国軍の警備の中へ案内して……』


『わざとじゃないよ。

 蘭馬らんまくんは、私達を必死に逃がそうとしてくれてた。それは分かるでしょう?』


『…………』


 張り詰めた沈黙が、和室を包み込んだ。


『ちょっと、口にしてもいいですか?』


 ニーナ姉が、オレの持つ薬を指さしながら、そう言った。

 オレは頷いて、ニーナ姉に薬のコップを手渡した。


『え……? ニーナ姉っ! 飲んじゃだめだっ!』


 ヨウコはハッと顔を上げて止めにかかるが、

 ニーナ姉は素早く薬を一口飲んだ。


『ば、バカ姉っ! 危ないもの飲むんじゃねぇっ!?』


『ほら……毒じゃないよ……』


 ゴクリと喉を鳴らしたニーナ姉は、優しい笑顔でそう言った。


『ヨウコの病気、きっと良くなるから、ほら、飲んで』


 ニーナ姉は、ヨウコの身体を抱きしめながら、薬のコップを手渡した。


『……分かった、ニーナ姉が、言うなら……』


 ヨウコはしぶしぶ観念したようすで、

 おそるおそるコップに唇を近づけて、ごくごくごくと薬を飲み込んだ。


『まずい……』


 全て飲み干したヨウコは、そんな感想を漏らした。





 薬の効果はすぐに現れた。

 ヨウコは、身体の倦怠感が取れて、


『信じられない、身体が軽い』


 と驚いていた。


『やったぁぁ、ヨウコが元気になったぁぁ』


 ニーナ姉が、涙を浮かべながらヨウコを抱きしめた。

 弟のマナトも、ポロポロと涙を零していた。

 それが合図だったのだろう。


『うぇぇぇぇんっ! ニーナ姉っ! マナトぉぉっ!!』


 ヨウコも大声で泣き出した。

 そうして、姉弟三人で抱きしめ合って、わんわんと泣いて安堵した。


『フィリアねえ、ありがとぉぉぉ』


 ヨウコがオレに感謝を叫ぶ。

 ”フィリアねえ”、か……。

 オレは今までずっと、周囲には年上ばかりで、妹のように扱われることばかりだったから。

 ”姉”と呼ばれるのは新鮮で嬉しかった。


 その後、全員で自己紹介をした。


 オレ、誠也せいや直穂なおほ行宗ゆきむね

 ニーナ、ヨウコ、マナト。


 ニーナやヨウコやマナトは、人間語が聞き取れるらしいが発音は出来ないそうなので、オレが獣族語を人間語に翻訳する必要があった。


「可愛いねー ニーナちゃんにヨウコちゃんにマナトくんかー」


 直穂なおほがニーナ姉に膝枕をしながら、髪を撫でつつ人間語で呟いた。


『お母さんの手みたい……』


 ニーナは優しく頭を撫でられながら、気持ちよさそうに獣族語で喉を鳴らす。


『……………』


 ヨウコはマナトは唖然としながら、

 直穂なおほの膝でくつろぐニーナを、羨ましそうに眺めていた。


直穂なおほ……俺も膝枕してほしいんだが……?」


「うん、あとでね。今はニーナちゃんの番だから」


 行宗なおほの願いに、直穂なおほが答えた。

 直穂なおほの膝枕を羨ましそうに眺めるのは、行宗だった。



 ヨウコやマナトは、人間に対してまだ警戒心が強いらしく。

 会話は弾まなかったが、

直穂なおほとニーナ姉だけは、スキンシップによって仲良くなっていた)

 ある程度の信頼関係は作れたと思う。


 そして、時間は飛ぶように過ぎて、

 午前0時、温泉宿を旅立つ時間がやってきた。




―ヨウコ視点―


 ガラガラガラと、一週間過ごした温泉宿の裏口を開ける。

 私達三人、ニーナ姉と私とマナトは今日、しばらくお世話になったこの宿を発つのだ。


 フィリア姉と人間たちと一緒に、獣族独立自治区を目指すのだ。


 フィリア姉は、私の病気をいとも簡単に治してくれた。

 まるで魔法みたいに身体が軽くなった。


『荷物はそれだけでいいのか?』


 フィリア姉が、ふりむいて私達に尋ねてくる。


『はい。これは、父と母の形見なんです』


 ニーナ姉は、小さな風呂敷を抱えながら答えた。

 その風呂敷は、両親の形見だ。


 一週間前、屋敷から逃げたあの日の夜。

 父さんと母さんが私達のために盗んでくれたプレゼント。

 小さなおもちゃと、ぬいぐるみと、絵本が一冊入った風呂敷。


『なら誰か、この食糧を持てる余裕はあるか?』


 フィリア姉が続けて尋ねてきた。


『私が持ちます』


 ヨウコ・・・は、進んで申し出た。

 病気の気だるさがすっと晴れて、いま私は、身体じゅうから力が溢れ出てくる。

 こんな感覚、生まれて初めてだった。


 子供の頃からずっと奴隷で、常に空腹状態だったから。

 奴隷地獄だった屋敷から逃げ出して、一週間。

 マナトやニーナ姉が取ってきた美味しいご飯を食べられて、 

 今日ついに病気が治って……


 ずっと背中に乗っていた重りが、急に消えたみたいに、

 身体が跳ねるように軽かった。


『そうかヨウコ。これを頼む』


 私はフィリア姉から、荷物を託された。

 嬉しかった。

 私は大切な人の役に立てるのが好きだ。

 家族の笑顔の為なら、どんなに苦しい事も耐えられる。


『あ、ずりぃヨウコ姉ちゃん! 俺も持ちてぇっ!』


 すると、弟のマナトが駄々を捏ねた。


『嫌だ……。

 私はいま病気が治って元気ピンピンなの。

 重い荷物を持って、筋肉を動かしたい気分なの』


『そ……それは良いことだけど、俺だって、筋肉を鍛えてぇよ……』


 マナトはしょんぼりと落ち込んだ。

 可愛い。

 わが弟ながら可愛い。

 こんな可愛い子がしょんぼりしているのは、すごく胸が痛いのだが……

 私にも意地や、譲れないものはあるのだ。

 この荷物は、命の恩人のフィリア姉から託されたのだ。

 いくら可愛い弟といえども、渡すわけにはいかない。


『そうか、それならオレの荷物を持ってくれるか?』


 フィリア姉がそう言った。


『いいんですか!? 持たせてください!』


 マナトは水を得た魚のよう元気を取り戻し、フィリア姉の大きな荷物を、嬉しそうに背中に担いだ。




「フィリア、楽しそうだな」


 誠也せいやが、フィリア姉に人間語でそう話しかけた。


「あぁ! オレに妹や弟が出来たみたいだ!

 オレのまわりにはいつも年上ばっかりで、ずっと子ども扱いされてきたから。

 嬉しいんだ」


 フィリア姉が、楽しそうに人間語で答えた。




 ★★





万波行宗まんなみゆきむね視点ー


 まっ暗な深い森の中を、オレたちは出発した。

 先導するのは、火魔法で前方を照らす、誠也さんだ。

 続いて万波行宗まんなみゆきむねと、新崎直穂にいざきなおほが並ぶ。

 そして最後尾に、フィリアと獣族三人姉弟、ニーナとヨウコとマナトだ。


 夜の森は人間の目では、明かりがないと何も見えない。

(獣族は夜目が効き、夜の暗闇でも辺りが見えるらしいが)


 ザク……ザク……

 影を落とした雑草を掻き分けて、山道の傾斜を進んでいく。

 夜の森は、めちゃくちゃ怖い。

 すこし物音がしただけで、おしっこがちびりそうになる。

 ただ、そばには大人数が居て、直穂なおほと強く手を繋いでいるので、そこそこ安心感はあった。


「獣族語、勉強したいなぁ……」


 直穂なおほがポツリと口にした。


「発音が難しすぎるよな。発音どころか、聞き分けられる気がしない……」


 俺が返事する。


「そうねー。……でも私、ニーナちゃんやヨウコちゃん、マナトくんと、もっと仲良くなりたいなー。可愛いし」


「うん」


 俺は同意した。

 言語の壁をはっきり感じたのは、今日がはじめてかもしれない。

 フィリアを介しながらでは、十分にコミュニケーションが取れなかった。


「でも、直穂なおほは凄いよ。ニーナちゃんとすぐ仲良くなれて……」


「そ……それは、ニーナちゃんが人懐っこいだけだよ。ほんと、可愛い」


 直穂なおほがクスクスと笑った。

 その横顔は炎に照らされて、誰よりも可愛くて、

 俺は見惚れてしまっていた。


直穂なおほ、そこまでにしてやれ、ニーナが恥ずかしがってる」


 フィリアが冗談っぽく楽しそうに、背中から声をかけてきた。

 俺は、ニーナちゃんの恥ずかしがる顔を確認しようと、後ろを振り返って……





「え……?」





 何かいた。

 白い布。赤い模様。

 獣族姉弟三人の後ろに、もう一人。

 赤と白のマントの長身がはためいていた。


 音も気配もなくそこに居た。


 その人物は長いマントの裾から、ぬうぅと両腕を伸ばして、

 後ろからマナトとヨウコの頭の上に、片手づつを優しくおいた。


 ポンっと二人の頭を叩いて、

 続いてその両腕は、前の列、

 ニーナとフィリアの頭上へと伸びていく。


 暗がりの中、突如姿をあらわしたソイツは、

 赤と白を基調としたマントに身をつつみ、顔は白い仮面で隠されて、

 悪夢の記憶が重なる。

 その仮面は、まるで俺たちをこの世界に召喚した、ギャベルとシルヴァの姿にそっくりだった。

 マナ騎士団とかいう奴ら……


 俺の身体の細胞全てが、危険信号を発した。


 仮面の人物は、ニーナの頭にポンと左手を乗せた。

 そしてフィリアの頭に、右手を乗せようとして……


「オット」


 マントは男声を漏らして、ばっと後方の暗闇へ飛んだ。

 入れ替わるように、ビュンと風切り音がなり。

 誠也せいやさんの剣が、さきほどまで仮面男がいた場所を、鋭く振り抜いていた。


「え……?」


 フィリアがあっと声を漏らす。

 一瞬の出来事。

 息をする間もなくて。


「何者だ……貴様……??」


 誠也せいやさんが、恐ろしいほど低い声で、仮面男の消えた暗闇へ問いかける。


「サア?、何者ダロウナァ……?」


 暗闇からは、楽しそうな男の声が聞こえる。

 仮面の下に声が籠もって、聞き取りづらい。





 グサァァァァ!!!


 眼の前で、ものすごい音がした。

 それは肉が裂ける音。


 真っ赤な鮮血が大量に飛び散った。

 まるで、夜空に打ち上がるドス黒い花火のように、

 真っ赤な血が飛び散った。


 誠也せいやさんが、血を吐いた。




 誠也せいやさんが刺された。

 三本のナイフに、腹を深々と刺された。

 真っ赤な血を、火花のように撒き散らしながら、


 誠也せいやさんを囲むナイフの持ち主は、

 獣族三人姉弟だった。


 ニーナとヨウコとマナトの三人が、一本ずつ短いナイフを握りしめて、

 誠也せいやさんの腹部に、三方向から突き刺していた。


「ガハッ!!!」


 誠也せいやさんが、もう一度、口から大きく血を吐いた。


「え……せいや……」


 フィリアの声は動転のあまり、裏返って掠れていた。


 俺は目の前の光景が信じられなくて、

 自分の身体が、金縛りにあったように動かなかった。


 マナトが振り向いて、俺を向いた。

 そして、混乱状態の俺へと、飛びかかってきた。


 ヨウコはフィリアへ向かって、ニーナは直穂なおほへ向かって、距離を詰めていく。

 

「あ……」


 直穂なおほ、フィリア、危ない……

 そんな声を出す暇もなく。


 ドゴッ! ボゴォォッ!


 腹、続いて背中に、鈍い激痛が走る。


 俺はマナトに腹部を力強く蹴り飛ばされて、後方に吹っ飛び、すぐ後ろの大きな木に背中から激突していた。


 痛い……っ!

 吐きそうだけど吐けない……息ができない……なんて力だっ……

 


「いギャッ!!!!」 


 すぐ隣で、直穂なおほの悲鳴が聞こえた。


 痛みのなかで、何とかうっすら目を開けると。

 暗い、何も見えない。

 ただ、マナトが凄い勢いで何か叫びながら、

 俺に殴りかかってくる声がした。


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