五十六発目「闇の廊下の突撃者」


「ねぇ……」


 声が聞こえる。


「ねぇ……ねぇっ、起きて、行宗ゆきむねっ」


 直穂なおほの声だ。

 声色は震えている。

 身体をギュッ、ギュッと揺すられる。


「お願い……早く……起きて……」


 泣きそうな震え声。

 まずい、早く起きなければ。

 直穂なおほが助けを求めている!


「どうしたっ!!!!」


 俺は目をかっぴらいて叫んだ。

 何事だっ! 敵は誰だ! 無事なのか直穂なおほっ!


「いやぁぁあぁああっ!!!!」


 直穂なおほの恐怖に染まった悲鳴が上がる。


「どうした直穂なおほ


「びっくりさせんなアホぉっ!! 心臓止まりかけたわっ!」


 ベシッ!!

 

 直穂なおほはそう叫ぶと、

 俺のほっぺたは強めに叩かれたた。

 どうやら俺が大声で飛び起きたせいで、直穂なおほを驚かせてしまったらしい。


「ごめん驚かせて…… って、すげぇ真っ暗だな。 もう夜か」


 夜の和室は、真の闇に包まれていた。

 暗すぎて、直穂なおほの姿がほとんど見えない。

 しかし、下腹部に質量を感じる。

 じっと目を凝らすと、

 どうやら直穂なおほは、俺の腰にまたがっているようだった。


「そう……起きたらもう真っ暗だったの。この部屋には、私と行宗ゆきむねしかいないみたい……」


 直穂なおほは、ほっと息をついてそう言った。

 俺もキョロキョロと周囲を見渡してみる。

 シーン、と静まり返った和室わしつ……

 直穂なおほと俺と、布団の衣擦きぬずれ音しか聞こえない。


 どうしてこんなに真っ暗なのか? というと、ここが森の中であるからに他ならない。

 森の夜には街灯もない。街明かりもない。

 必然的に夜は真っ暗になり、ほとんど何も見えなくなる。

 出歩くにはめちゃくちゃ怖い。

 

「それで? 直穂なおほはどうして俺を起こしたんだ?」


「それは……」


 直穂なおほは気まずそうに言い淀んだ。


「トイレに、行きたいんだけど…… でも一人で歩くのは怖いから……」


 直穂なおほはギュッと俺の手を握り、そう言った。

 恥ずかしそうな震え声で。

 

「分かった、一緒に行こう。俺もトイレが近いみたいだ」


 俺はそう言って、直穂なおほの手を優しく握りかえした。

 下半身に意識を向けてみると、俺も同じく尿意が溜まっていることに気づいたのだ。


「ありがと……行宗ゆきむね


 直穂なおほの安心した様子に、俺も安堵を感じながら。

 俺は、布団から立ち上がった。



 

 ★★

 


 

「【火素フレイム】」

 

 という直穂なおほの基礎魔法で、

 直穂なおほの右手のひらから熱い火の玉が生成された。

 真っ暗だった和室全体が、ぼんやりと炎のオレンジ色で照らされる。

 俺と直穂なおほは安心してはぁと息をついた。

 

「たしかトイレって文字が、廊下の奥の突きあたりにあったよね?」


「そうだっけ?」


「うん……あったはず」

 

 俺たちは二人で手を絡めあい、肩で触れあいながら、ガラガラと和室の引き戸を開けた。

 和室の外には、闇に包まれた廊下があった。

 一歩を踏み出すと、足元が畳から木造へと変わり、ひんやり冷たい。

 年季の入った木造りの床がギギィと音を立てた。


「ひっ……」


 直穂なおほが小さく悲鳴をあげる。

 この足音、めちゃくちゃ怖い……

 長い長い廊下は、前も後ろも闇に包まれていた。

 直穂なおほの火魔法ランプの光も、遠くまでは届かない。


「フィリアちゃんや誠也せいやさんは、どこにいるのかな?」


 直穂なおほが俺に尋ねる。


「分からない……」


 直穂なおほと握り合う手に、自然とググっと力が入る。

 真っ暗な静かな廊下に、俺と直穂なおほの二人きり。

 本気で怖い……

 遠くから聞こえるちょろちょろと温泉の流れる水音、ちちち……と虫の泣く声でさえ。

 俺の神経はすり減らされて、次第に恐怖に染め上げられていく。

 何も異変はない。ただ静かな夜の温泉旅館。

 でも……

 急に眼の前の死神が飛び出してくるんじゃないかなんて想像してしまい、怖くてたまらなかった。


「は、早くいこ……」


 直穂なおほは震え声で、ギギィと裸足はだしを踏み出した。

 続いて俺も歩いていく。

 ギギィ、ギギィ、ギシ、ギシ…

 ほこりのかぶった廊下を、一歩づつ勇気を持って踏み進める。


 一歩、一歩……


「ねぇっ、行宗ゆきむね?」


「なっ、なに?」


「この廊下って、こんなに長かったけ?」


「え……?」


 心臓が止まりそうだった。


「そ、そんな訳ないだろう? 昼間と違って暗いから、遠く感じるだけだよぉ……」


 そう返事した俺の声も、自分の声じゃないぐらい上ずっていた。


「だよね。きっと、もう少しで行き止まり。トイレと温泉への入り口があるはず……」


 直穂なおほは手をガタガタと震わせながら、一歩、一歩と前へと歩んだ。


「あ……!」


 同時に声が漏れた。

 行き止まりが見えたのだ。

 右上には、小さくトイレの表示があった。


「良かった……あったっ」


 直穂なおほは安心したように、ほっと息を漏らした。

 自然と足が早くなる。

 10メートルぐらい先、トイレはすぐそこだった。


 ギシ、ギシ、ギシィ……

 ピトッ

 

 直穂なおほの足が、急に止まった。

 慌てて俺も足を止める。

  

「……直穂なおほ? どうかした?」


「ねぇ、聞こえなかった? 後ろから、足音がもう一つ」


 え……?






 その次の瞬間




 ドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタ ドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタ!!!




 すぐ後ろから、激しい足音が迫ってきた。

 振り返っても、何も見えない。


「いやぁぁあああっ!!」


 直穂なおほが泣き叫んで、直穂なおほの炎魔法がぼぉぉっと乱れて、消えてしまう。

 炎の明かりが消え、あたりは完全な真っ暗になる。

 何も見えない、真っ暗、ただ足音だけが響いてくる。

 俺は恐怖で声が出なかった。


ドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタ!!


「ひぎっ!? あぁ、あああぁっ!」


 真っ暗のなか、直穂なおほがパニック状態で叫んだ。

 暗闇の背中から、何かが凄い勢いで迫ってくる。

 この足音は、人間ではなく……まるで獣のようだった。


 とにかく、戦わなければっ!


 もう足音は目の前だった。

 俺は反狂乱になりながら、迫ってくる得体の知れない足音へ、拳を半ばヤケクソで振るった。


 ビュンッ!!

 

 しかし…

 足音が消えた。


 え……?


 つかの間の静寂……


 なにも聞こえない。





 ドゴンッ!!


「ぅやぁぁあああっ!!!」


 後ろで、にぶい激突音と、直穂なおほの悲鳴が上がる。


直穂なおほっ!!?」


 振り返る俺。

 

 そこには、化け物がいた。

 姿やカタチや大きさは暗くて分からない。

 直穂なおほはソイツに、床に仰向けに叩きつけられて、組み伏せられて襲われていた。


「痛い痛いっ!! 助け……助けてぇっ!!」


 泣き叫ぶ直穂なおほ

 俺は恐怖で震えながらも、直穂なおほに乗りかかった化け物の影に向かって拳を振り下ろした。


 ビュン……


 しかし、俺の拳はくうをきった。


 ドゴッ!!

 

 直後、首に鋭い痛みを覚えた。

 上から首もとを殴打おうだされたのだ。


「ぐふっ!」


 俺は耐えられず、前に倒れ込んだ。


 ドゴッ!!


 床に叩きつけられて、冷たい床のほこりを舐める俺。


 そこへ、化け物が飛び乗ってきた。


 バキッ! ゴキッ!! 


 背中と後頭部を殴打おうだされて、意識がぐらりと揺らぐ。

 何が起こった。痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い

 助けてっ

 死にたくない……


 俺は全身に力が入らないまま、ただ目の前に倒れた、直穂なおほへと弱々しく手を伸ばした。






「きゃぁぁあああああぁあああぁああああ!!!!」



 その時。

 甲高い女の子の悲鳴が遠くから届いてきた。

 フィリアの声ではない、もっと高い声だ。

 俺は恐怖のあまり、腰がくだけそうだった。



「・・・――――・・・!」


 俺の上に乗っかった化け物が、なにか小さな声で呟いた。

 俺を殴っていた手がピタリと止まる。


「・・・――、―――・・・!!」


 化け物の声も、可愛らしい女の子みたいな声だった。

 何言ってるのか、うまく聞き取れなかったけれど、

 俺の上に乗っかった体重はフッと軽くなり。



 ドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタ!!!!


 化け物は忙しい足音とともに、トイレの方向の奥へ、温泉の方へと走り去っていった。

 どうやら、見逃されたらしい。


 ドクドクドクドクドクドクドク……


 心臓の音が地鳴りのように響き渡る。

 あれだけ叩かれても、そこまで傷をおっていないのは、俺のレベルが高いからだろうか?


直穂なおほ……っ」


 俺は恐怖に震えながら、膝立ちになり、直穂なおほのそばへといずった。


行宗ゆきむねぇぇぇ……!」


 直穂なおほもグズグズと泣き声で、床から身体を起こし、俺の方へと近寄ってくる。

 そのまま俺たちは、強く強く抱きしめあった。


「うぅぅ……あぁああ……怖いぃ……怖いよぉぉ……」


 直穂なおほの身体は冷たくて、凍えるようにガタガタと震えていた。

 俺も涙が止まらなかった。


「だいじょうぶか……? 直穂なおほっ」


「だいじょうぶじゃ、ない……もうやだ……あぁああぁ」


 互いに互いの体温を探り合う、少しでも安心するために……

 

「キス……しよ。怖いのマシになるかもしれない……」


「そうだな、んんっ……」


 直穂なおほの提案で、俺は直穂なおほの口のなかへと舌を入れた。


 ぐちゅ、ちゅ、んん……

 

 直穂なおほの口の中は、暖かった。

 湿った長い舌には、ちゃんと体温があって。俺たちの冷えた心臓をじんわりと温めてくれた。


 んん……ちゅぅ……


 じょろじょろろろろ………


 ふと、膝下で水音がした。

 下半身から太ももにかけて、じんわりと暖かく湿った感触がした。


「あ……うそ……」


 直穂なおほの身体がピクリと震えて、頓狂とんきょうな声があがった。

 少し遅れて、俺も気づいた。


 俺と直穂なおほは、抱き合いながら、キスをしながら、

 目からは涙をらしながら……

 下の方では、仲良くおしっこをらしていた。






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