五十五発目「森の中の温泉旅館」




 森の中を、再び歩く、歩く……

 日は高く上り、ジリジリと6月の日差しが照りつける。


「暑い……」


 凍えるような雪山から降りてきた影響か、日差しが暑くてたまらない……

 生い茂る草木、道なき道を掻き分けながら、上へ下へ、コンパスに従って森を進む。

 流石にこんな大森林のなか、他に人なんていないだろう。


「ふぁぁ……ぅぅ……」


 フィリアが大きなあくびをした。

 正直俺も、めちゃくちゃ眠い。

 昨夜はフィリアが鳥に誘拐されたので、四人全員徹夜しているのだ。

 ぽかぽかと日差しに身体を温められて、俺たちの眠気は最高潮に達していた。


「フィリア……だいじょうぶか? おんぶしようか?」


 誠也せいやさんが振り向いて尋ねる。


「あ、あぁ、助かるぜ」


 寝ぼけた声でフィリアが答えると、誠也せいやさんはしゃがみこんで、フィリアを背中で抱いて持ち上げた。


「ふぅ……誠也せいやの背中、落ち着く……」


 フィリアは満足そうに、ふにゃふにゃ声で誠也さんに抱きついた。

 完全に寝ぼけている。

 フィリアは父の小桑原啓介こくわばらけいすけに心から憧れており、喋り方も真似しているため一人称がオレなのだが。

 この数日間一緒に過ごしてみて、フィリアの心は、根っからの女の子なのだと感じた。


 寝ぼけてより一層、しおらしくなっている。

 誠也せいやさんは恥ずかしそうに嬉しそうに、顔を赤くしていた。



「んん……?」


 そんな時、

 フィリアの鼻がヒクヒクっと動いた。

 フィリアはパチリと目を開けて、右の方に向いてクンクンと匂いを探った。


「どうしたフィリア?」


「なんか、いい匂いがするぜ……温泉?」


 温泉?


「なぁ誠也せいや、ちょっと見に行ってみないか。もし温泉があるなら入ってみたい。

 獣族独立自治区はいつも水不足だから、温泉なんてめったに入れないんだ……」

 

「そういうことなら、二人とも、いいか?」


 誠也せいやさんが、俺と直穂なおほに尋ねてきた。

 俺は直穂なおほと顔を見合わせた。


 温泉……

 この世界の温泉に、いい思い出なんてない。

 ヴァルファルキア大洞窟の深層にて、温泉を見つけて喜んで入浴した俺と直穂なおほ和奈かずなは、

 実は温泉は【天ぷらうどん】というモンスターだったという衝撃展開によって、全滅の危機に陥ったのだ。


「私はいいですよ。ただ、温泉があるって事は、人がいる可能性もありますよね?」

 

 直穂なおほがそう答えた。


「そこは勿論、慎重に確認する。行宗ゆきむねくんはどうだ?」


「はい、安全ならば問題ないです」


 俺も直穂なおほに続いて答えた。


「じゃあ確かめにいくか! 昨日から徹夜続きだ。ここで一度休憩するべきかもしれない」


 誠也せいやさんはそう言った。

 俺たちはフィリアの鼻を頼りに、温泉を目指した。




「うぉぉ……!」


 思わず声が漏れる……

 見下ろした先には、すぐ下から湯気が登りたち、温泉の香りがぷぅぅんと漂ってきた。


「凄い……ホントに温泉だ。でも……」


「建物があるな……」


 温泉の手前には、ボロボロの長い木造建築があった。

 周囲には高い草が生い茂り、建物の壁には植物のつたが登り絡まっていた。


「人の住んでる気配はなさそうだが……」


「あぁ、人の残した匂いもしないし、足跡もない……」


 誠也せいやさんとフィリアが口々にいう。


蛍火ほたるび温泉……」


 直穂なおほがぽっと呟いた。


「え?」


「ほら、あそこ、看板がある」


 直穂なおほが指さした先には、植物に囲まれた建物の玄関。

 色褪せて分かりづらいが、たしかに入り口の扉の上に「蛍火ほたるび温泉」という漢字の看板があった。

 そうなのだ、この世界、文字まで日本語そっくりなのだ。

 お陰で困ることはないが、異世界ってカンジじゃないよな。


「とりあえず人の気配はねぇ、入ってみようぜ!」


 フィリアは眠気が吹き飛んだようで、弾んだ声でそういった。

 こうして俺たちは土手を降りて、生い茂る草むらを掻き分けて、

 人に見捨てられたホコリまみれの温泉宿の玄関を開いた。


 ギシギシと、扉がきしみつつ、玄関の扉が開いた。

 玄関の先には、薄っすらと埃のかぶった長廊下が続いていた。

 作りは和風建築。

 外観は植物に囲まれて廃墟同然だったが、内装は意外と汚れてはいない。


「やっぱり、長い間だれも入ってないみたいだ」


 フィリアが呟き、テトテトと玄関をくぐると、

 靴を脱いで右手で握り、廊下へと上がった。


 四人で長廊下を歩いていく。

 埃がふわふわと浮いていて、ときどきギギィと床がきしめく。

 ちなみに、靴は手に持ったままだ。

 不測の自体の場合、すぐに行動できるように。


「すげぇ……ほんとに温泉だぁぁ」


 フィリアが歓喜の声を上げ、廊下の出窓から外を眺める。


「旅は予定より順調だ。アルム村を出てから4日経たずにここまで来た。

 もう川も近いはずだ、あと1日半で帰れる距離。 少しここで羽を休めるか……」


 誠也せいやさんの言葉に、みんなが頷く。

 俺たちは半日ほど、ここで休憩をとることにした。



 ★★



「【浄化クリーニング】!!」


 フィリアのスキルで、客室の押入れから引っ張り出したホコリまみれの寝布団が、みるみるうちに綺麗になる。

 フィリアの魔法でこの通り、新品同然の綺麗な布団が敷きつめられた。


「ありがとう。フィリアちゃん。これが応用スキルかぁ、凄いなぁ」


「特殊スキルを使える直穂なおほに言われてもな…… オレだって父さんや直穂なおほみてぇに【透視クリアアイ】や【超回復ハイパヒール】を使いてぇよ……」


「そっか、そうだよね。ごめん」


「とにかく布団は敷いたぞ? 寝たかったんだろ?」


「うん、お風呂は後でいいや……ふぅんっ」


 直穂なおほはハァッと息を吐いて脱力し、ふかふかの敷布団に、バフンと倒れ込んだ……


「あぁ……懐かしい……まともな布団に寝転んだのなんて久しぶりだよぉぉ……」


 直穂なおほは布団の上で大の字になって、ふにゃぁと蕩けてくつろいでいた。


「ねぇ、行宗ゆきむねもきて、私の隣」


 直穂なおほは俺を見上げると、両手を差し出すように俺を誘った。

 俺は素直に従い、直穂なおほのすぐ隣へと身体を預けた。


 ふわっ、という雲みたいな感覚が、背中を優しく包み込んだ。

 懐かしい。この感覚、全身の力が抜けていく……

 

「はぁあぁぁ……」


 思わずため息が漏れた。


「もうしばらく起き上がれないね……」


 直穂なおほが隣で、気の抜けた声でそう言った。


「あぁ……布団にのみこまれたよ。脱出不可能だ……」


 力を入れようと思っても入らない。異世界に来てはじめての布団は、心地が良すぎた。


「お前ら二人、まだ汗びっしょりだろう? しょうがねぇなぁ……

 ……【浄化クリーニング】」


 布団に捕まってしまった俺と直穂なおほに、フィリアが再び浄化魔法で汗を流してくれた。


「フィリア、お前は寝なくていいのか?」


 誠也せいやさんがフィリアに尋ねる。


「当たり前だろっ! 眼の前に温泉があるんだぜ、すぐに入るしかないだろう!」


 さっきの眠気はどこにいったのか、元気いっぱいのフィリアは誠也せいやさんに駆け寄った。


「なぁ誠也せいや、一緒に入ろうぜっ!」


「一緒、一緒に!? いいのか?」


「別に良いだろ、オレ達夫婦なんだからよっ」


「ふ、夫婦。まぁ、そうだな……」


 フィリアが耳まで赤面しながら、誠也せいやさんをグイグイと引っ張る。

 それにつられて、誠也せいやさんとフィリアさんは客室の外へ、温泉に入りに行ってしまった。


「ねぇ、一緒に入るって、ハダカで入るのかなぁ……?」


 直穂なおほが俺に、動揺した声色で尋ねてきた。

 直穂なおほの方へ首を向けると、恥ずかしそうに赤面していた。


「俺たちも一緒に入るか?」


「別に私はいいよ、一緒でも……」


「つ……!」


 カウンターを食らってしまった。

 思わずニヤけて顔を逸らす。

 そんな潤んだ目で、そんなセリフを言われたらっ!

 直穂なおほと一緒に風呂? 互いにハダカの付き合いで!?

 そんなの、どんな天国だよっ!!

 俺は、下半身が盛り上がるのを、必死で抑え込んだ。


「まぁ、さ。簡単に現実世界に帰れると思ったけど、なかなか先は見えないし……」

 

 直穂なおほは天井を見つめていた。

 そうだな。

 和奈かずなが急病になって、現実世界に帰る方法どころじゃない。


「だから、最悪の場合。この世界で行きていく覚悟をしようよ」


「え??」


 直穂なおほの言葉に、俺は耳を疑った。


「でも、現実世界には家族がいるんだぞ、直穂なおほだって今日の朝泣いて……」


「もちろん、帰りたいよ。帰りたいけど…… この世界にはフィリアちゃんに、誠也せいやさんもいる」


 直穂なおほがぽつりぽつりとそう話す。


和奈かずなだって一緒だよ。たぶんこの世界でも、私達は幸せになれる……」


「ダメだっ!」


 俺は強く否定した。


「そんなのはダメだ。俺たちはっ、現実世界に帰らなくちゃいけないっ! 俺たちのクラスメイトたちは今っ、この世界で指名手配されているんだっ! アキバハラ公国にっ、何人も捕まってるんだ! 公開処刑されるなんて話も聞いたっ!!

 こうなったのは全部ぜんぶ俺の選択の責任なんだ。俺があのボス戦でっ! 最初から【自慰マスター◯ーション】スキルを使っていればっ!!」


 ぎゅむ。

 直穂なおほの両手で、俺の口が塞がれた。


「言わないで……」


 直穂なおほは、震え声で……


「そんな事、言わないでよっ、行宗ゆきむねは一生懸命やってるよ……」


 直穂なおほは泣き出しそうな声で、俺の胸に顔を埋めた。


「そんな事……ねぇよ……」


 全部、俺のせいなんだ……





 ★★

 


 

 

「あぁ……この一週間、【ルナアーク】8話と「みずモブ」9話、沢山アニメを見過ごしたなぁ……」


 しばらく時がたって、俺たちは添い寝しながらアニメの話を語り合っていた。


「そうだねぇ。【ルナアーク】は今週から、更に面白さが上がるからねー。アニメで見るの楽しみにしてたんだけどなぁ」


「えっ?」


 直穂なおほの言葉に、俺はまた耳を疑った。


「まさか、直穂なおほお前っ、原作勢なのか!?」


「そうだよ。言ってなかったけ? 漫画の単行本で、先の話まで知ってますけど」


 直穂なおほが得意げにそういった。

 しめた! なんて幸運だ。

 ここに、先の展開まで知ってる人間がいるじゃないか!

 

「そんな直穂なおほに頼みがある。 異世界転移したせいで見逃した、今週の【ルナアーク】。どんなストーリーかおしえてくれないか?」


「えーー、どうしよっかな~」


「頼むっ! 教えてください」


「ルナくん死ぬよ」


「はぁっ! じょ、冗談だろ!!? 主人公だろっ?」


「うん冗談だよ」


「……か、からかうなよぉ」


「いいよ。教えてあげる。でも後悔しても知らないよ?」


「こ、後悔? どういうことだ」


「先週は「ルナがマザーローゼの手品のからくりを見破った所」で終わったでしょう?」


 ここで説明しよう。

 【ルナアーク】というのは、今季春アニメで絶賛放送中の新作アニメである。

 ざっとこれまでのあらすじを語ってみると。


 月の国の貧民街で生まれた少年、ルナ。

 地球に住む富裕層のために、月に眠る莫大な地下資源を掘り出すのが、貧民街に生まれた少年ルナの仕事であった。

 ルナには幼馴染の女の子がいた。名前はスピカだ。

 スピカは病気だった。

 ルナとその仲間たちは、スピカが警官に見つからないよう。ゴミ溜めの奥に匿い養っていた。

 過酷な労働の日々のなか、ルナは毎夜薬の研究に明け暮れた。

 しかし、その努力とは裏腹に、スピカの体調は日に日に悪くなる。

 そして、ルナはついに決意する。

 ”貧民街を抜け出し、何とか宇宙船に乗り込み、地球の病院にスピカを連れて行くことを”。


 そしてルナは、月勢力と地球勢力の巨大な争いに巻き込まれ、「月の王の力」に目覚めて……

 だいたいこんな流れだ。


 …………


 ………


 ……

 

 

「……ルナは目を瞑って戦った。マザーローゼの幻惑は光を曲げるが、足音までは誤魔化せなった。

「くそっ、そんなバカなことがあるかっ! 音だけで私の位置を捉えているだと?」焦るマザーローゼ……

 ルナは昔から耳が良かった。

 貧民街に居た頃も。警官たちが話している地球の情報や、医療関係の話に、常に聞き耳を立てていた。

 ”月の王の力”を使わずとも戦える、ルナが鍛え上げた剣の腕は一級品だった。

 ルナの剣が頬を掠める。尻もちをつくマザーローゼは恐怖に染まった顔で叫ぶ。

 「ま、待ってくれっ……! 少し話し合わないか??」……」

 

 直穂なおほは緊迫感のある実況で、めちゃくちゃ手に汗握る戦いを語った。

 物語を語るのが上手い。

 これも直穂なおほの教師としての才能だろうか?


「……ふぁぁ、もう眠いんだけど、やめていいかな……」


「え……?」

 

 直穂なおほは疲れた声で大きなあくびをかいた。

 え……? え? ここでやめるの??

 めちゃくちゃ良いところなんだがっ!

 続きが気になって、俺が眠れないんだがっ!!


「頼む……もう少しっ、最後まで教えてくれっ!」


 俺は必死に頼み込んだ。


「えぇ……んーー 後悔してもしらないよ?」


 後悔? なんのことだ?


「分かった、最後まで話してあげる。

 ルナは、マザーローゼの命乞いを無視し、その首に短剣を振り下ろす。

 しかし……血を吐いたのはルナの方だった。

 唐突な攻撃に、壁までふっ飛ばされるルナ」


「な、なにっ!!?」


「霞んだ視界で目を開けると、そこにいたのは…… 黒金聖騎士団団長、ザルードンだった……

 はい、次回へ続く、おやすみ……」


 直穂なおほはそう言って、俺たち二人の身体にタオルケットをパサッとかけると、

 目を瞑って、眠りについてしまった。


「は……? は?」


 俺は頭が真っ白になっていた。

 黒金聖騎士団。ザルードンって、味方だったろ? 手を組んでいただろ!?

 「安心しろ、誘拐されたスピカは俺が助ける! 俺に任せろ! ルナお前は、本棟に侵入し鉄扉を開けるんだ!」

 って2話ぐらい前、カッコいいセリフを吐いてたじゃねぇか。

 なんでザルードンが本棟にいるんだっ!?

 ルナを裏切ったのか!? 

 じゃあ、連れて行かれたスピカはどうなるんだ??


「寝れるわけねぇ……聞かきゃよかった……」


 俺はすごく後悔した。

 大切な事を忘れていた。

 【ルナアーク】は毎話ラストが衝撃展開。

 俺は放送が始まって1話で惹き込まれて、一週間がすぎるのを、毎週今か今かと待っていた。

 眠りについた直穂なおほを起こすわけにもいかず、布団のなかで悶々とルナアークの考察をはかどらせていた。


 そんな俺もだんだんと眠くなる。

 昨日の朝から徹夜しているのだ。

 あたたかい6月の昼下がり。

 俺の意識は、徐々に奪われていった。


 …………

 

 ………


 ……


 

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