五十発目「オレは医者だ」


 んぐ……

 


 まったく、ひどい悪夢を見たぜ……

 心臓の奥がまだ冷たい。

 肝を冷やした……


 オレは、ゆっくりと意識を取り戻した。

 先ほどまでオレは、大きな怪鳥に身体を掴まれて、大空へと連れていかれる夢を見ていた。

 くちばしの尖った真っ白の巨大な鳥。翼を広げると人が7人分ぐらいの両翼。


 【サルファ・メルファ】との戦闘中に、仲間とはぐれて、どうしようかと思ったけれど……


 よかった。

 どうやら全部、夢だったみたいだ。

 オレは心地よく眠っていた。


 オレの身体に密着している暖かい存在は、おそらく誠也せいやだろう。

 ごうごうとこもった、地下室の音がする。

 遠くからは、吹雪の轟音が、まだ響いていた。


 やはり、アレは夢だったのだ。

 吹雪が止んで、外に出て、【サルファ・メルファ】と戦ったのは、全部夢の中で……

 現実のオレは、ずっと地下室の中で眠っていただけで……


 でも夢にしては、いやに現実感がある夢だったな……




 オレは、閉じられた目を開いた。


 目の前には、大きな目玉があった。


 え? え?


 こぶしほどに大きな、き出しの目ん玉。

 その周りには、ぶよぶよの唇、ささくれだったウロコの表面。


 オレが誠也せいやだと思っていた温かいモノは、実は巨大な魚であった。


「!!??」


 声も出ずに息が止まった。

 え? え? え? 

 こんなモンスター。捕まえた覚えはないぞ?


 死んでる……魚臭い……


 それにこの地下室。なにかがおかしい。

 誠也せいやの作った地下室じゃない。


 誠也せいやの地下室はつちづくりだけど、

 この地下室は、石に囲まれた洞窟じゃないか。


 どこだよ、ここは……?


 危機感から、体温が一気に冷えて震え出す。

 寝ぼけた脳が一気に冴えて、聴覚視覚嗅覚、全身の神経が研ぎ澄まされていく。


 吹雪の音、何かが擦れる音、うめき声。

 魚の臭い、獣の臭い、とにかく野生の臭いがキツかった。

 鼻の利く獣族のオレにとっては、たまったもんじゃない。


 身体中がズキズキと痛んだ。

 周囲をキョロキョロと見渡すと、巨大魚だけではなく、小さな鳥、羽毛のついたモンスター。

 生き物の死体の山に囲まれていた。


 そして……

 

 オレの後ろに、なにかいる。

 かなり背の高い、オレを見上げるような大きさだ。


 オレはおそるおそる。息をひそめながら、

 振り返って後ろを見上げた。


 そこには、大きな鳥がいた。

 太い二本足で屹立した、夢の中でみた白い鳥。

 視界の端には、もう一体いた。

 

 この二体の鳥は、さっきの悪夢の中で、オレを空へと誘拐した鳥と同じだ。


 なんで……?


 その瞬間。


 ザシュ!!


 大きな鳥は、大きなくちばしを、オレの目の前にグサリと突き刺した。

 目にも止まらぬ速度。

 鳥はくちばしで、オレの目の前で倒れていたネコのようなモンスターを掴むと、

 それをくちばしで掴み上げて、口の中に飲み込むと……


 バリバリと骨が砕かれる音がした。


 食べられてるっ!!


 オレは脳内で、最悪の結論を導き出した。

 これは夢じゃない。現実だ。


 悪夢だと思っていた、鳥に攫われた記憶も現実だ。

 悪夢ですんだら良かったのに。


 今のオレは、この巣の中で

 この鳥のえさらしい。


 オレの周りにいるモンスターの死骸のように、今食べられたネコちゃんのように。

 いずれ食べられる運命なんだ。


 オレは恐怖のあまり、勝手に涙が出てきた。

 小さく嗚咽して、声が漏れそうになったけど、頑張って耐えた。

 いまは死体のふりをしないといけない。

 おそらくこの鳥は、気絶していたオレを、死んだと勘違いしたのだろう。

 

 動けない。

 いま逃げようとしても自殺行為だ。

 このマグダーラ山脈でオレ一人じゃ、こんな大きな鳥に勝てっこない。


 このモンスターは、図鑑で読んだのを覚えている。

 モンスター名は確か、【ステュムパーリデス】。

 雪に紛れる銀翼の身体に、尖った大きな立派なくちばし。

 崖壁を、その鋭いくちばしで掘り進め、巣を作るモンスターだった気がする。

 岩を砕く鋭いくちばし。

 もし刺されたら、腹部貫通どころじゃないな。


 あぁそうか。

 ここはコイツの巣の中か……


 ズシュ!!!


 また、モンスターのくちばしが、今度はオレの反対側に降りてきた。

 オレが目ざめた瞬間に見つめ合った、大きな魚が咥えられて……


 ごくん、ごくん、バリバリバリバリ……


 高い音色の粉骨音と共に、大きな魚が、巨大鳥の胃袋へと飲み込まれていく。

 オレは、生きた心地がしなかった。


 逃げるか??

 

 でも逃げても、死ぬ未来しか見えなかった。


 くそっ。

 助けてくれ、父さん……

 助けてくれ、誠也せいや……

 オレはまだ、死にたくないんだ……


 そして遂に、オレの番がきた。

 オレに向かってくちばしが開かれて、

 気づいたらオレは、くちばしに挟まれていた。

 咥えられて持ち上げられる。

 お腹が挟まれて痛い。


 死んだフリなんて意味なかった。

 抵抗出来ないほど、強く挟まれて……

 オレは涙を流すことしか出来なかった。


 いやだ。殺さないでくれ…… 

 誠也せいや……ごめん。

 誠也せいやに、好きって気持ちを伝えたかった。

 こんな終わりなんて嫌だ。

 

 父さんにも、申し訳ない。

 お母さんも悲しませてしまう。


 なんでこんなことに……


 オレは奇跡が起きることを信じて、必死に声を押さえていた。

 死んだフリを続けたのだ。

 オレを食べても、おいしくないぜ……





 すると……


 ドサッと、

 視界がブレて、鈍い激痛が背中に走った。

 オレは地面に叩き落とされた。

 



 え? 

 なんで? ゆるされた?


 モンスターの死骸だまりに落とされて、オレは恐る恐る天井を振り返った。

 そこには、もう一体の【ステュムパーリデス】がいた。

 許されてはいなかった。


 オレを咥えていた奴より、一回り小さい【ステュムパーリデス】。

 なるほど、

 状況から察するに、これは餌づけというやつか。


 岩に囲まれた巣の中で、親鳥が捕まえて来たえさを咥えて、子供に与えているのだろう。


 文面だけ見れば、親鳥と子鳥の、なんとも微笑ましい光景だが、


 恐ろしい事に、えさはオレなのである。


 生きた心地がしなかった。

 死んだフリをやめて、逃げるのも一つの手か?

 

「ギャオォォォォォォ!!!」


 親鳥が甲高く叫んだ。

 鼓膜が裂けそうになる絶叫。


 大きなくちばしをオレに寄せて

 ぐい、ぐいと、子供鳥の足音へと転がされる。

 オレは抵抗できず、子供鳥の太い足にゴツンと激突した。



「ギュォ……」


 子供鳥が、小さな声で鳴いた。

 しかしそれは、消え入りそうな声だった。


「ギャオォ、ギャォ……」


 親鳥は催促をするように、オレの身体をグイグイと子供に押し付ける。


 しかし……


 いつまで経っても、子供は微動だにせず座り込んだまま、弱々しく呻き声を上げるだけだった。


「ギャォォ……」


 親鳥の叫びは次第に弱々しくなり、吹雪の音へと消えていった。


 そしてしばらくして、親鳥は力なく頭を項垂れて……


 バサァァ!!! と大きく羽を広げて……


 爆風と共に宙へと浮かび、洞窟の外へ。出口へと飛び出していった。


 なぜだか分からないけど。オレは助かった。




 苦しそうに呻く子供の鳥。

 

 オレの周囲に集まった、無数のモンスターの死骸。


 子供の鳥は食欲がないらしい。

 怪我か病気か、身動きもろくに取れず、身体をブルブルと震わせている。


 オレは、食われずに済んだ。





 逃げなきゃ……


 親鳥が戻る前に、この場を立ち去るんだ。


 オレは慌てて立ち上がり、死骸の山に足を取られながら、必死で出口を目指した。


 大きな鳥が出ていった方、吹雪がなる方へ走って行くと、出口はすぐだった。


 でも……


 ごうごうと吹雪が鳴り響く……


 洞窟の出口には、まっしろな雪のスクリーンがあった。

 


 頑張って、一歩一歩進んでいくと。

 吹雪はどんどんと強くなり、霧の中は明るくなっていった。


 ふと足元を見ると


 つま先の先に、地面がなかった。

 

 そこは、崖の端っこだった。


 オレは思わず後ずさる。


 凄まじい吹雪の轟音。


 図鑑に載っていた通りだ。

 【ステュムパーリデス】は、切り立った崖をつついて、横穴の巣を作る。

 俺が立っているのは、霧で全体像が見えない大きな岩崖に開いた、横穴のなかのようだ。

 上も下も、5メートル先が吹雪で見えない。


 少し手を伸ばせば、引きずりこまれそうなほどの爆風である。


 オレは、思わず引き返した。


 この吹雪に、切り立つ崖の横穴の中。

 いま外に出るのは、身投げするようなものだ。


 この小さな洞窟の中で、吹雪が止むまで、隠れて耐えるしかない……


 それにしても、

 あの親鳥は、こんな吹雪のなかで、新しい餌を取りにいったのか?

 子供鳥が何も食べてくれないから? 

 必死に食べられる食糧を探しに……?



 …………


 ………


 ……



 とりあえず心を落ち着かせよう。

 オレは、洞窟の入り口から少し離れて、横穴の端に腰を下ろして目を瞑った。

 深呼吸だ……


 息を吸い込んで、吐いて……

 暴れる心臓の音が落ち着いてくると……




「きゅぅぅ、ぎゅるる、ぎゅぅぅ……」


 洞窟の奥から、子供鳥の呻く声がした。

 弱々しくて、震えてて、助けを求めるような声だった。




『助けて、助けて、死にたくないよ……』


 そんな幻聴が、聞こえてきた。


「あぁ、死にたくないな……オレも同じだよ……」


 ポツリと呟いた。

 自分が苦しいとき、側で一緒に苦しんでいる存在。

 オレは仲間を見つけた気分になり、少し心が落ち着いた気がした。




 むかし、同じような事があった。

 はじめてマグダーラ山脈に来た時の事、

 オレは両親とはぐれて遭難した。

 

 そして、くたくたになって、生きるのを諦めた時……


 氷の森の中で、オレと同じように死にかけた、白い毛玉のモンスターを見つけたんだ。


 オレが治療して、アイツは助かった。

 包帯巻いただけの、治療とは呼べないものだったけど。

 確かにアイツは、オレのはじめての患者さんだった。


 白い毛玉のモンスター、

 父さんは何か知ってるみたいだったけど、何も教えてくれなかった。

 どんな図鑑にも乗っていない。

 アイツは今……生きているのだろうか……?




「きゅる……きゅる……」


 洞窟の奥で、子供鳥がないている。

 オレみたいに、死にかけて、苦しくて。

 誰かの助けを求めている……



 オレは、フラフラの身体で立ち上がった。


「助けなきゃ……」


 オレには、お前を助ける力を持ってる。


 お前みたいな、辛い思いをしてる存在、傷ついた存在、

 生きる事を諦めない存在を助けるために、

 オレは医者を目指したんだ。


 ここで助けなきゃ、あの時のちかいがうそになる。

 

 オレは約束したんだ。

 父さんみたいな、かっこいい医者になるって。

 人間でも、死にかけた獣族のオレや母ちゃんを助けてくれたみたいな。

 そんな立派な医者になるんだ。


 オレは医者だ。医者なんだ。

 あの時から何も変わっていない。

 オレはいつまでも、バカでお人よしの医者なんだ。




 オレは、子供鳥へと駆けつけた。

 背丈はオレの身長の4倍。体積は何十倍もある大きな鳥だ。

 ひとまずオレは、回復魔法を使う事にした。


「【回復ヒール】!!」


 モンスターの大きな体を、緑色の光が包み込む。

 この規模は、かなり体力を消耗する。


 オレは、回復魔法を身につけるのに4年かかった。

 ‟回復魔法‟

 【火素】、【水素】、【風素】、【土素】の四つの基礎スキルを、同時に発動して、同量を同時に合成させる、応用スキルの中でも難易度の高いスキルである。


 でも医者には必須のスキルだ。

 これで治ればいいのだが?


「ギャァアッ!」


 子供鳥は、身をよじらせて苦しんでいるようだった。

 まただ。

 回復魔法が効かない。


 子供鳥はおれから逃げるように、よわよわしくも暴れまわる。


「ちょっと、我慢してくれ…… すぐに原因を見つけてやるからっ!!」


 浅尾あさおさんのように、強力なモンスターに体内を寄生されている場合、手ぶらのオレに出来る治療はない。

 でも今回は違った。


 これは原始的で物理的な問題だ。


 身体に棘が刺さったままでは、回復魔法で棘を抜けないのと同じような、単純な理由。


「喉に、何か刺さってる」


 オレは魔力の流れを感じ取って、そう結論づけた。

 変なモノでも食べたのだろうか、喉に何かがつっかえている状態。

 なるほど、食欲が出ないのも納得だ。


 さて……

 どう治療するか? と考えてみるが、やはり治療法は一つしかない。

 オレが手を突っ込んで、物理的に取るしかないだろう……


 問題なのは、この子供鳥に、オレの腕がかみ砕かれる可能性である。

 弱っていると言っても、マグダーラ山脈上層の巨体モンスター。

 オレの細い腕なんて、豆腐を噛むより簡単だろう……


 オレはあたりを見渡した。

 何か硬いモノはないだろうか? と探してみると


 丁度良いツノの骨があった。

 サイのツノのような、太さ50センチほどの巨大な骨。

 

 オレは、見た目のわりに軽かったソレを持ち上げて引っ張ってきた。

 見かけ通りツノは硬く、ちょっとやそっとじゃ壊れそうにない。


「大丈夫だ……じっとしてろよ。ちょっとコイツを咥えていてくれ……」


 オレは垂れ落ちた子供鳥のくちばしを、ギリギリとこじ開けて、間にツノを差し込んだ


 子供鳥は、あまり動かずに、素直ソレを受け入れてくれる。


「いい子だ…… もう少し我慢してくれ……絶対、助けるから…… 手、入れるぞ?」


 オレは、くちばしの根元の方から、右腕を突っ込んだ。

 口の中が真っ暗で何も見えない。

 回復魔法の明かりを使おう。


 オレはモンスターに触れないように、小さく手のひらのなかで回復魔法を使い、モンスターの口内を淡く照らした。


 見つかった。

 顔を覗き込むと、 

 モンスターの真っ赤な口内、大きく長い舌の向こうに、小さな白い骨があった。


「くそ……届かねぇな……」


 オレは仕方なく、モンスターの口の中へ、頭を突っ込んだ。

 左手でツノを支えながら、右手を必死に骨へと伸ばす。

 

 モンスターは、喉に手を挿れられた不快感からか、バタバタと長い舌を暴れさせた。

 オレの顔面を舐めまわされて、腐ったような匂いの唾液まみれになる。

 酷い臭いだ。気持ち悪い。

 前がうまく見えなかった。


 でも、あと少しで……


 届いた。

 オレの右手は、喉につっかえた小骨をしっかりと掴んだ。

 

 子供鳥は不快そうに身じろぎしつつも、大きく暴れはしなかった。

 たぶん、我慢してくれているんだ。

 そんな気がした。


 オレは、骨を引っ張った。

 鋭い骨で、ギリリ……と、子供鳥の口の中が引っ掻かれて、

 喉の肉が引き裂かれた。


「グォォォォ……!!?」


 子供鳥が、凄まじい咆哮をオレの顔面に浴びせて、絶叫した。

 口を大きく開けて、全身を痙攣させて、

 オレの左手とツノを吹っ飛ばした。


「ごめんな……痛い思いをさせてごめん。 非力でごめんな…… すぐ、楽にさせて、やるからっ!!」


 オレは渾身の力で、喉につっかえた小骨を引っこ抜いた。


「ギヤァァァァァ!!!」


 と、モンスターが喚く。

 口から真っ赤な血を吐き、のたうち回り、

 大きな口を開けて、オレに襲いかかってくる。


「【回復ヒール】!!!」


 オレは、最後の力を振り絞り、くちばしの側面に手を触れた。

 閉じていく視界のなか、モンスターが緑の光に包まれているのが分かった。

 もう……動けない。


 モンスターの巣の中で、オレは完全に息を切らしていた。

 何をバカな事をやってるんだろうな。

 こいつを助けても、オレは食われるだけなのに……


 でも、後悔はなかった。

 すごく気持ちよくて、達成感があった。

 

 これで死んでも、まあ本望かなと思えるぐらいには……


 ベロリ……


 顔じゅうをべちゃべちゃに濡らされて、酷い臭いがした。


 ベロリ、ベロリ……


 まだ舐められた。

 この鳥は、食事前に料理を舐めるらしい。

 行儀の悪いヤツめ。


 ベロリ、ベロリ……

 

 しかし一向に、オレは舐められ続けて、食べられる気配はなかった。

 そろそろオレの体力も回復してきたから、

 食べないなら逃げちゃうぞ?


 オレは、【回復ヒール】で自分の身体を回復させて、

 ふらふらと立ちあがった。


 目の前には、子供の鳥がいた。


 まるでオレが起きたのを確認して、安心したように、

 オレが立ちあがると見た途端、周りのモンスターにくちばしを向けて、食らいつき、

 自身の空腹を満たしていた。


 それにしても、顔じゅう唾液まみれの、酷い臭いだ。

 こんな状態で、誠也せいやには会えないな。


「ふふっ」


 オレはふと笑っていた。

 どうして死にそうなオレが笑っているのだろうか?


 子供鳥がオレに恩を感じて、鳥の餌からまぬがれたといっても、

 オレが遭難している状況には変わりない。


 地図も仲間も食料もない。

 子供鳥が喰らう死屍累々は、とても人の食えるものではなかった。

 洞窟の中はすでに、薄暗かった。

 日が暮れているのだ。


 あれ? 

 ふと気づいた。

 吹雪の音が止んでいた。


 


 食料にありつく子供鳥を見ながら、

 オレは洞窟の出口を目指した。

 さきほどは視界が悪かったが、今なら何か見えるかもしれない。


 そしてオレは、ふと右手をみた。

 まだ力強く、骨を握りしめていたのだ。


 子供鳥の喉に引っ掛かっていた、丁度いい太さの骨の棒。


「え……?」


 呆気に取られた。

 思わず二度見した。

 信じられない。


 オレが右手に握っていたのは、オレがずっと、探し求めていた物だった。


「キルギリスの、骨……」


 "キルギリスの骨"

 父さんの避魔ひま病の治療に必須の薬剤。

 外気の魔素を体内の魔力に変換する特殊な骨。


 ずっと探しても見つからなかった。

 弱くてモンスターに淘汰されて個体数が少ないキルギリスの、貴重な骨だ。




「あ……あぁ……あぁ……っつっ……!!」


 オレは、声を漏らして泣いていた。

 やっと、やっと見つけたよ。父さん、誠也せいや……

 

 右手の骨を、胸で抱えて抱きしめる。


 女神様が、オレに生きろと言ってくれている気がした。


 ありがとう……ありがとう……


 みんな、ありがとう……


 オレは、洞窟の出口、崖の縁から外を見た。


 空は夕暮れ……崖の底は遥か下、ずっと下の真っ白な雲海に消えていた。


 壁のような崖の壁面、小さな横穴のなか。


 オレは祈るように上を見た。


 


 オレは、「あっ!」と声を上げた。


 上の端は、すぐ上にあった。

 10メートル、いや、15メートルぐらいだろうか。

 登った上に、きっと地面がある。




 と、そんな時、 


「ギャォォォォ!!」


 と聞き覚えのある咆哮がした。

 声のする方をみれば、魚をくわえた【ステュムパーリデス】の親鳥が、オレの方へと向かってきた。

 新たな魚を捕まえて、子供鳥の元へと帰ってきたのだ。


 オレは洞窟の壁面に身体をへばりつかせて、どうぞお通りくださいと、入り口を開け放ったのだが……


 親鳥は明らかに、ギロリとオレを睨みつけた。


「………!!」


 オレは生きた心地がしなかった。


 次の瞬間。


 親鳥は勢いよくオレの横を飛びぬけて、

 子供鳥のほうへ、洞窟の奥へと飛んで行った。


 

 どうやら見逃されたようだ。


 逃げるなら今しかない。


 オレは覚悟を決めた。

 足元は見えない。 奈落へ続く崖である。

 オレは上を見上げる、崖の上端まで10メートルと少し。

 石魔法を使えば、この高さを登ること自体は、そんなに難しくはない。


 でも……オレは高所恐怖症なんだ……


 足が震える、心臓がバクバクと跳ねる。

 それを必死で押さえつけた。


 よく考えろ、ここに居続けても死ぬだけだ。


 こんなところで死んだら、誠也たちが悲しむだろ、父さんも助けられない。


 なんとしても生きるんだ。生きのびるんだ。


 

 オレは、一歩を踏み出した。

 土魔法で突起を作り、掴み、登っていく。


 強風が吹く度に、死ぬほどの恐怖を覚える。


「ギヤァァァァァ!!!」


 と、親鳥の叫び声が、下から届いてくるたびに、震えてて手が滑りそうになる。


 下は見なかった。


 上しか見えない。


 あと少し、あと少し……


 全身の力を振り絞った。

 どうしても涙が溢れてくる。おしっこをポロポロと漏らしてしまう。

 手が濡れてすべる。日が暮れて寒い。薄暗くて手元が見えない。


 怖い、怖い、怖い……


 まるで死神に、背中を追われるように、


 オレは必死で這い上った。


 崖の終点に手をかける。


 オレは長い道のりを登り切った。



 はぁ……はぁ……はぁ……


 全身がもうぼろぼろだった。

 



 登った先は、空は雲一つない満点の星空、あたり一面雪原だった。


 満月のひかりをキラキラと反射させて、淡く輝く幻想的な白い大地……


 オレは途方に暮れていた。


 この広大な自然のなかで、オレはみんなと再会できるのだろうか?

 

 いや、できるできないじゃない。やるんだ。


 歩け、歩き続けろ。


 きっと誠也せいや行宗ゆきむね直穂なおほが、オレを見つけてくれるはずだ……


 オレは雪の大地を、行くあてもなく歩きはじめた……


 


 

  










 

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