四十九発目「雪にしずんだ森のなかで」
―フィリア視点―
マグダーラ山脈には、忘れられない出来事がある。
オレが医者を目指すキッカケとなった出来事だ。
オレは病で死にかけているところを、若き夫婦に助けられた。
夫の名は
二人はアキバハラ公国の方から、ガロン王国のドルキア地区の山の奥。オレが暮らしている場所へとたどり着いたらしい。
なぜこんな山奥まで来たのかというと、二人は何者かに追われているらしい。
オレが、「誰から逃げているの?」 と獣族語で尋ねても、
「子供には秘密だ」、とはぐらかされた。
あれから7年経って、約14才になった今もまだ、教えてもらっていないけれど。
妻ジュリアは、子供が作れないそうだ。
むかし、人間に酷い拷問を受けていて、人体実験の道具にされて、妊娠できなくなったらしい。
二人は身寄りのないオレを、娘として受け入れてくれた。
オレの母ジュリアは、無口な人だった。
拷問のトラウマが残っていて、ずっと暗い顔をしていた。
急に泣き出したり、震え出すことも多かった。
オレの父さんは、元気の有り余った奴だった。
そのくせ優しくて、トラウマを患う母にも理解があり、
父さんは母が泣く度に、いつも抱きしめて、優しい言葉をかけていた。
母さんは父と話すとき、よく笑った。
母さんはオレにもホントに優しくて、寝る時は一緒に、オレにいろんな物語を語り聞かせてくれた。
白雪姫、赤ずきんちゃん、赤鬼と青鬼のはなし。
オレはいつもワクワクして、なかなか寝られなかった。
オレは、二人の仲が羨ましかった。
オレは物心ついた時から、戦争孤児のオレを拾ってくれたじいちゃんと二人暮らし。
その時まで、むかし戦争孤児だったオレを育ててくれたのは、今は亡くなったじいちゃんだ。
じいちゃんは何故か獣族語を話せていた。
ほとんどの人間は獣族語を話せないのだと、後で知った。
ちなみに父さん、
つまりオレは、じいちゃん以外の他人を知らなかった。
当然、恋心を抱いた事はない。
初めて見るうら若き男女。
愛し合う二人をみて、羨ましかった。
二人が向けあう熱い視線は、二人がオレに向ける眼差しとは違っていて。
人魚姫や白雪姫の物語を聴いて、オレは強く思ったんだ。
オレもいつか、父さんみたいな素敵な男に恋して、結婚したいって。
あれから七年後。
オレは
二人の娘になった当時のオレは、二人に憧れていたけれど。
あの時はまだ、医者になりたいなんて、本気で思ってはいなかった。
その後オレ達三人の旅は、西へ動いた。
ドルキア地区からギラギース地区へ。
マグダーラ山脈へと足を運んだのだ。
父さんは、オレと母さんに、危ないからついてくるなと忠告したけれど。
オレはどうしても、「マグダーラ山脈の山頂から、日の出が見たい」とワガママを言ったのだ。
前に父さんが母さんに話していたからな。
「あの山頂からの景色は、涙がでるほど美しい」と。
オレはどうしても見てみたかった。
あれから転移魔法陣で上層へと上がったオレ達家族。
あたり一面真っ白の世界、氷の森に雪の雨。
茶色の地面に緑色の草葉しか知らなかったオレは、もうそれだけで、天国の異界にきたような気持ちになった。
オレの父さんは、めちゃちゃ強かった。
モンスターをバタバタと倒し、大きなバックに薬剤を詰め込んでいった。
二人はマグダーラ山脈に、薬の材料を探しにきたらしい。
マグダーラ山脈は、三十年前まで、薬の大ダンジョンと呼ばれていた。
大ダンジョンというのは、神様が作った巨大ダンジョンのことである。
大ダンジョンが攻略されると、また世界のどこかに、新たな大ダンジョンが現れる。
三十年前、「薬の大ダンジョン」が攻略されて、入れ替わるように「食の大ダンジョン」が現れた。
「食の大ダンジョン」、別名、ヴァルファルキア大洞窟といわれる。
そこには見た事のない食材や料理で溢れかえり、ここ三十年間、世界に料理の発展に貢献してきた。
大ダンジョンには、人類がまだ知らぬ新しい技術や文化に満ちている。
攻略そのものが、人類の発展につながるのだ。
さて、そしてついに、オレが医者を目指しはじめたキッカケだが……
オレはマグダーラ山脈で、七年前、遭難した。
美しい氷でできた木々や花々、ステンドグラスのような鮮やかな森に見惚れているうちに、
オレは父さんや母さんと離れていたのだ。
震えるほど怖かった。
遠くからギャアギャアと猛獣が鳴く度に、心臓が止まりそうになった。
「父さん……母さん!!」
叫んでも、返ってくるものは何もない。
オレの叫び声は届かない。
もと来た足跡だけを頼りにして、ひたすらに歩いた。
歩いて、歩いて、歩き疲れて……
オレはついに膝をついた。
お腹もペコペコだ……
寒い……寒い……
筋肉が
もう、限界だった。
(あぁ、オレはここで死ぬんだ……)
その時のオレは、絶望していた。
(日の出をみたいだなんて、言わなければよかった)
(こんなところ、こなければよかった)
もう、歩けなかった。
(でも……死にたくない。 生まれてはじめて、父さんと母さんが出来たんだ。すごく幸せ、だったんだ。 まだ、終わりたくない……)
そして、頑張って、頑張って。
震える両足で立ち上がった。
そんな時だ。
森の奥で、ザザ……ザザ……という物音がしたのだ。
オレは意識が朦朧とするなかで、その音の正体を知ろうと近づいた。
理由は分からない。
考える前に、歩き出していた。
そこには、青と白の毛をした、真ん丸の生き物がいた。
身体が淡く光っている。ふわふわと丸い、毛玉のモンスター。
大きさは人の頭よりも小さい。可愛いモンスターだった。
そのモンスターは、うぅぅ、と小さく呻きながら、身体を震わせていた。
どうしたのだろう? とよく見てみると。
そのモンスターの顔の側面に、大きなトゲトゲの氷の葉っぱが、刺さっていたのだ。
青色の毛をよくみると、青色の血であった。
その毛だるまモンスターは、もともとは白い毛であり。
怪我のせいで、体毛の半分を真っ青な血で染めていたのだ。
オレに似てるな。
と、思った。
オレもいまクタクタで、痛くて、頭がボーっとして、
いつ死んでもおかしくないと思った。
目の前のモンスターも、深々と氷の刃に刺されて、ピクピクと痙攣して死にそうになっている。
死にかけの似た者同士だ。
だったらせめて……
とオレは思う。
お前だけでも、生きのびて欲しいって……
オレは、白い毛だるまに、優しく両手を出した。
震える患者さんを安心させるように、「大丈夫だ、オレが治してやるから」って、父さんみたいに声をかけて。
氷の刃からそっと身体を引き抜いた。
傷跡からは、どんどんと血が溢れてくる。
どうしよう、とオレは焦った。
考えた結果、バックのなかの図鑑を見つけた。
父さんの大事な本だけど、オレは結局死ぬんだから、好きに使っていいはずだ。
オレはページを破り、青い血があふれる部分に、何枚も何枚も紙を重ねた。
最後に、靴紐をほどいて、紙をモンスターに縛りつけた。
夢中になって没頭していた。
はじめての感覚だった。
頭が痛いのも気にならないぐらい、モンスターを助けるために、いろんなことを考え続けた。
すると、驚いたことに、
モンスターは立ったのだ。
モンスターの震えは収まり、歩けるようになった。
まるでオレに対して、「もう大丈夫、ありがとう」と言うように。
名残惜しくオレの手を離れて、森の奥へと歩いていった。
オレは、声を上げて泣いていた。
いろんな感情が溢れて来て、涙が止まらなかった。
嬉しかった。
はじめて父さんみたいに治療した。可愛いモンスターの命を助けた。
それが心の底から嬉しかった。
同時に悲しかった。
まだ……死にたくない。
もっと生きたい。
やっと見つけたんだ。命をかけてでもやりたいこと。
オレは……オレは医者になりたい……
たくさんの人を、助けたい。
父さんみたいに、カッコいい医者になりたい。
「うわぁぁあああああ……」
世界中に届くぐらい、大きな声で泣き続けた。
そのお陰もあって、
父さんと母さんは、氷の森で泣くオレを見つけてくれた。
父さんと母さんは、オレの方へ駆けつけて、
オレを強く抱きしめた。
「良かったぁぁ。すまない……一人にさせてごめんなぁ。怖かったなぁぁ!!」
「ちゃんと見てなくてごめんねっ。 頑張ったねっ。もう大丈夫よ。 絶対に離さないわっ!!」
両親と再会して、オレは安心して、嬉しくて、
怖い気持ちが溶けていき、二人の大きな体が温かくて、あつくて……
オレはまた、涙が止まらなくなった。
泣き止んだオレは、二人に言った。
「オレは、医者になりたいっ。父さんみたいなカッコいい医者になりたい! オレに医者を教えてくれ」
すると父さんは、困ったように唇を噛んで、
でもすぐに、いつもの笑顔に戻って。
「ほう……いいだろう。頑張ってオレを越えてくれ」
と返事した。
その時はじめて、
オレは両親二人と、本物の家族になれた気がした。
そして日が暮れて、
夜の暗闇のなかを、火魔法を頼りに山頂に登り、
俺達は朝を待った。
朝が来て。
手を繋いで三人で見た、日の出の景色は、今でもオレの脳裏に鮮明に焼きついている。
オレが貴重な薬の図鑑を破って、包帯代わりにした事を知った父さんは、ガックシと肩を落としていた。
白い毛だるまモンスターの話をしたら、父さんの顔が露骨に引きつった。
そのモンスターについては、何も教えてくれなかった。
どんな図鑑にも載っていなかった。
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