三十一発目「バッドエンド」

⚠️注意

 拷問描写、寝取られ描写、残酷な描写が含まれます。

ーーーーーーーーーー


 私の22年の人生の中で、最も痛く苦しい地獄の一週間が始まった。


 王国軍に捕えられた私は、フィリアとは別離されて。地下一階の拷問室に閉じ込められた。

 両手にはご丁寧に、魔法の威力を激減させる手錠がつけられた。

 極悪非道な拷問に、私は絶叫した。

 耐えられるはずがなかった。


 何度も頭を水に浸けられて。両手のひらを棍棒で砕かれて。睾丸に何十本もの針を刺された。

 人間が耐えうる苦痛を、明らかに超越した痛みが、激しい痛覚となって、私の脳を暴れまわった。

 

 私はすぐに、フィリアとの出会いや会話の内容を、漏らすことなく吐いてしまった。

 私は弱い人間だ。

 追い込まれればすぐに恐怖して、大切な人を売ってしまう。

 結局は、自分が大切だから。

 そんな自分はダメな奴だと思うと同時に、仕方がないと思った。

 これでもずっと、精一杯生きてきたのだと。

 私は悪くないはずだ。


 私は、「ごめんなさいごめんなさい」と必死で謝り、助けを求めた。

 しかし、王国軍の元同僚たちは、聞き入れる耳を持たなかった。



 元同僚たちは、獣族を恨んでいたはずの私が、フィリアと関わりを持っていたことに、心底失望と憤りを覚えている様子だった。

 そして強く疑ってきたのだ。

 私が、獣族反乱軍のスパイなのではないか? と。


 いくら正直に、反乱軍とは関わりがないと説明しても、拷問が止まることはなかった。













 夜になると、遠くの部屋から、フィリアの泣き叫ぶ声がしてきた。

 それは微かな声で、よく聞こえなかったのだが、

 フィリアが酷い目にあっているという事は、分かった。

 フィリアも、私と同様に拷問を受けているのだろうか?

 分からない、手足を拘束された私には、確かめる術などないのだ。

 

 私には、フィリアがどんな目に遭おうと、もうどうでもよかった。

 ただ、自分がどうやって明日の苦痛から逃れられるか、ということしか頭になかった。

 もちろん、フィリアを可哀そうだとも思ったが。

 フィリアが傷つけられたところで、私には痛くも痒くもない。


 ……うそだ。

 本当は少しだけ。

 いや、だいぶ痛かった、心が……


 でもそれは、私自身が受ける拷問の苦しみの前では、苦痛と呼ぶのすらおこがましい。


 私は薄情なやつだろうか?

 少なくとも私には、すずのように、自分の命を犠牲にして他人を助けたいという気持ちが、さっぱり理解できない。


 ということで私は、全身の痛みに震えながら、遠くから届くフィリアの絶叫を子守歌にして、

 明日の拷問に備えてぐっすりと眠った。




 






 翌日、あの男が目の前に現れた。


「誠也さーん。あなたも油断なりませんねぇー。獣族に興奮しないなんて言っておきながら、こんなに可愛い子を捕まえるなんてーー。 まぁ分かりますよー。誠也さんに気持ちはー。フィリアちゃんは可愛いですからねー。

 とくに殴られた時の泣き顔が、可愛すぎてたまんないですよぉーー」


「……ギルア………」


 目の前にいたのは、ギルアだった。

 大切な部下を、すずを殺した男である。

 そして、私とフィリアの冒険を途絶えさせて、私達に地獄を与えた元凶であった。


「頼むっ!!! もう許してくれぇっ!! ギルアッ……私が悪かったっ、何でもいう事を聞くっ、だから解放してくれっ! 痛いのは嫌だァァッ!!」


 私は身を投げ出すように身体を乗り出し、頭を下げて泣きごとをいった。

 怒りよりも先に、恐怖がまさったのだ。

 

 頼む、もう嫌だ。

 痛いのはもう嫌だ。





「……せいや……?」


 そのか弱い声を聞いて、全身の身の毛が逆立つ感覚がした。

 息がゴクリと止まった。

 ギルアのすぐ隣には、白いバスローブを羽織った獣族の女の子がいたのだ。

 白い布の隙間から、こちらを覗いていたのである。

 その首には首輪を付けられて、白い歯をガタガタと震わせた目で、絶望に染まった瞳から涙を溢れさせていた。

 嘘だっ……そんな筈がない……

 目の前の怯え切った、地獄の底を見てきたような顔をしていて、今にも倒れてしまいそうな少女。

 彼女の瞳の中の光は消え失せていて……彼女の表情は、今にも消えてしまいそうなほど青白かった。


「フィリア……」

   

 彼女がフィリアなのだと、私の脳が認識して、受け入れるまでには、かなりの時間と絶望が必要だった。

 そんな……

 もう、手遅れだった。

 フィリアは、ギルア達によって、完全に壊されてしまっていた。





「あれぇ〜〜? もしかして裸を期待しましたかぁ? ざんねーん、裏切り者の、誠也さんには見せらせませんよ〜〜  フィリアちゃんのありのままの神聖な姿は、俺達専用だからねぇ~ ねぇ? フィリアちゃーん?」


 ギルアはいつものように、ケラケラと笑いながら、フィリアの小さな肩へと太い腕を乗せた。

 すると、今までは疲れ切った顔でボーっとしていたフィリアの顔が、一瞬で恐怖に染め上げられた。

 フィリアは一言も発することなく、背すじをゾッとさせて、感電したみたいに震えあがた。 

 そして黙ったまま……視線をきょろきょろと動かしながら、ぼろぼろと泣いていた。

 しばらく、フィリアの目から溢れた雫が石造りの床に落ちる音だけが聞こえた。


 そうしてフィリアは、ガタガタと震えた様子で、かろうじて私と目を合わせた。

 その瞳は、恐怖で真っ黒に染まっていた。 

 だけど、黒く鈍く、微かに輝いていた。

 私は、息が止まってしまいそうだった。

 これほどボロボロになってもなお、フィリアの顔は、とても気高く美しかった。

 私がボロボロと泣き始めると、フィリアは恐怖で唇を震えた唇をゆっくりと開いて、こう言った。


「誠也っ……ごめんな……オレのせいだっ……」


 フィリアはまだ、壊れていなかった。

 こんな状態になってもなお、フィリアは、私の心配をしていたのだ。


「オレのせいで……お前まで、酷い目にあうことになる……ごめん……ごめんっ………でもっ……」


 フィリアは、笑い方を忘れたみたいな泣きそうな笑顔で、この私に弱々しく微笑みかけた。

 そしてまた、震えた唇を開く。


「オレはっ……誠也のことがっ………




 フィリアの言葉はそこで途絶えた。

 かわりに、ドゴッ、という鈍い拳の音と、フィリアのうめき声が聞こえた。


 フィリアは、ギルアの重い拳によって殴られたのだ。

 潰されるようにグシャリと、冷たい石の床へと叩きつけられた。

 うつ伏せで倒れ込んだフィリアの、顔の辺りから、血がじわじわと広がっていた。


「おいおいフィリアちゃーん。自分のことは”私”って言いなさいって、昨日何度も教えたでしょう?」


 ギルアが不機嫌そうにフィリアを見下ろして、倒れたまま起き上がらないフィリアの頭を、何度も何度も踏みつけにした。


 ぐりゅ、ぐりゅぐりゅ……


 と、フィリアの顔面が岩ばった床に押し付けられて、すりつぶされる音がした。


「ごめんなさいっ…ごめんなさいっ……私がわるかったです……もう、ギルアさんに逆らいません……どうか私を許してくださいっ……」


 と、小さく弱々しく震える、フィリアの悲痛な声が聞こえた。


 ギルアは、すでに慢心創意でボロボロのフィリアの頭を、ゴマをすり潰すように、汚い足裏で、ゴロゴロと床を転がす。



「やめろっ!! 今すぐやめろっ!!! ぶち殺してやるっ!! ギルアァァ!!!」


 私はあらん限りの声で叫んだ。

 この一晩中、溜まりに溜まって…… 溢れすぎて…… いちど絶望していた怒りが、一気に湧き上がって爆発した。

 許さない。

 地獄に堕ちろ、糞やろう。

 こいつだけは、私が私の手で、必ず殺さねばならない。

 


「おー怖い怖いっ。でもおかしいですよ? 誠也さーん。 俺は今までに何匹も、獣族の女を抱いてきたんですよ? どうしてフィリアちゃんのときだけ、そんなに怒ってるんですか~? この前に約束したじゃないですか~? 「次に俺が可愛い子を見つけたときは、俺の好きなようにしていいって~~」、誠也さんも容認してましたよねぇ?」


 そうだな。

 確かに過去の私は、ギルア達の非道を黙認してきた。

 私自身も、王国に身を捧げて、数えきれない獣族を残虐に殺してきた。

 だが気が変わった。

 獣族を辱めることは、私が許さない。

 とくにフィリアを泣かせることだけは、絶対に許せないっ。

 だってフィリアは、私の大切な………


「フィリアはっ…… フィリアは私の命の恩人だっ!! 人間の私を救ってくれたのだっ!! そしてっ、フィリアは夢を見ているっ…… ごみのようなクズ人間の私やお前には、到底思いつかない夢だっ!!」


 ギルアは、へぇ? と、バカにしたように鼻を鳴らした。


「フィリアは、人間と獣族が共存できる世界を願っているのだっ! 分かるか? 本当の平和だよっ!! フィリアは、お前が踏みつけにしていい存在ではない! お前が穢していい存在じゃない!! フィリアにこれ以上、指一本でも触れてみろっ!! 私はお前を、呪い殺してやるぅっ!!!」


 私は、涙線を崩壊させて叫んでいた。

 フィリア。

 君はなんて健気なのだろうか。

 私には、到底思いつきさえしない夢。

 人間と獣族の共存という、素晴らしくて難しい夢。

 口にして音にするだけで、泣きそうなほど感動する。

 それは、なんて素敵な夢だろうか。

 なんて素敵な世界だろうか……



「ブハッ! やはり誠也さんは面白いですねー。"殺してやる"と叫びながら"平和"を語る人なんて初めて見ましたよー。なんていうギャグですか〜?」


 ギルアは、決して変わらない様子でケラケラと笑う。

 フィリアは、仰向けに倒れたまま、ピクリとも動かなかった。

 気絶しているのか、動く気力がないのか。

 顔からじわじわと血が流れて、薄い赤茶色の髪を、さらに赤く染めていた。


 ギルアは満足気な表情で、

 ドゴッ、と鈍い打突音で、フィリアのお腹を蹴り飛ばした。

 フィリアは胃液を逆流させて、ゴホゴホと黄ばんだ液を吐き出しながら、涙目を見開いて息を吹きかえした。

 あぁ……ぁ、と呻き声を上げながら、酸素を求めるようにパクパクと口を開く。

 そして、ジョロジョロジョロ……という激しい水音もした。 

 フィリアは失禁していた。

 ぐったりとした様子で、地面に横たわるフィリアに、痺れを切らしたギルアが、

「汚ねぇよ。ほら、早く立てや」と罵倒しながら、わき腹へと靴のつま先を何度も突き立てる。

 フィリアは、なんとか自力でフラフラと立ち上がると、二日酔いみたいにおぼつかない足どりで、鼻先からダラダラと血を流しながら、

 ギルアの背中に引かれて、牢屋から出て行った。


 私は泣きすぎて苦しくて、何も言葉が出てこなかった。

 また、何も出来なかった。











 そして……地獄は終わらない……

 一週間が経った頃……


 中隊長のギルアが、ひと際楽しそうな声で、私の牢屋へと入ってきた。


「誠也さーん、聞いてくださいよぉ、俺はまた精進できるかもしれないんですよぉ……」


 私が何も言わないでいると、ギルアは言葉を繋ぎだした。


「あのですねぇ、王国軍の本部から俺達に、神獣マルハブシの討伐を命じられたんですよぉ。

 神獣マルハブシっていうのは、俺もよく知らないんスけど…… 本来はマグダーラ山脈の高層にいるモンスターらしいんです。しかしどういう訳か、山を降りて、まっすぐにフェロー地区の方を目指して、近づいて来ているらしいんですよぉ。」


 私はもう、リアクションをとるのも忘れて、無表情で聞いていた。

 神獣マルハブシなんていうモンスターは、私も聞いたことがなかった。

 ただ一つ、気になるワードがあった。

 神獣? 

 それに、マグダーラ山脈だと?

 私とフィリアの旅の、目的地だった場所じゃないか……


 ギルアの説明は続く。


「既にたくさんの村が壊滅していて、死者は何十人にものぼります。北部の軍も、手がつけられないそうで。

 しかし驚く事に、捕獲報酬が破格なんです!

 1100万ガロンなんですよぉ!!

 信じられませんよねぇ! モンスターたった一匹に、ですよー!? 一生遊んで暮らせる金額ですよぉ」


 ギルアの楽しそうな笑いを、私は真っ暗な絶望の中で聞いていた。

 また出世できるのか、まぁ良かったじゃないか…

 1100万ガロンか……公国金貨では、約10億円ほどか……

 信じられんな……

 それほど破格の捕獲金なんて、聞いたことがない。

 

「マルハブシはこちらに向かっているようですし……俺達が捕まえれば億万長者です!

 そこで普通の魔法は効かないので、多重詠唱型巨大魔法陣を使おうという話になっているんですが……

 問題は、どうやって魔法陣を設置した場所まで、マルハブシを連れてくるかなんですよねぇ〜

 そこで……、いい事を思い付いたんですよぉ~」


 ギルアは口元を歪めていやらしく笑った。



「フィリアちゃんを餌にすればいいんですよぉ。知ってますか? 獣族の血は人間の血よりも、10倍臭いが強いんですよぉ。

 その中でも思春期のメスはとくに臭くて、人間の15倍以上なんです。」


 フィリアを餌、だと?

 まて、コイツは何を言っている。

 確かに、獣族の血は人間の血よりも臭いが強い。

 その特性を利用して、獣族の血は、「獣寄せ」として魔獣狩りに利用される事も多いのだが……

 


「そして都合のいい事に、神獣マルハブシには嗅覚しないんです。耳も目も持っていない。そして血の匂いに敏感なんです。

 つまり作戦はこうです。 巨大魔法陣を設置して、そこに血まみれのフィリアちゃんと、ついでに誠也さんを置いておきます。

 すると神獣マルハブシが、血の匂いに誘い出されて、フィリアちゃんと誠也さんを食べ始める。

 私たちはその隙に、魔法陣を起動してドカーンと、大爆発を起こすんです。

 そうやって神獣を弱らせたあとで、王国中から集まった魔法使いによって、マルハブシを封印するんです。

 誠也さんっ、本当にありがとうございます。誠也さんのお陰で、フィリアと毎晩楽しめました…… でももうフィリアの穴にも飽きたんで、最後は俺の出世の為に、死んで貰おうと思います」


 私はギルアの言っている事を、怒ることも悲しむこともなく受け止めた。

 私が抵抗したところで、結果はなにも変わらないのだ。

 それでも私は、一つだけ気になったので、やるせない思いでギルアに問うた。


「なぁギルア……お前は、他人の気持ちを想像したことがないのか? 殺されていった人間の苦しみに、思いを巡らせたことはないのか?」


「あるわけないっすよ。他人の気持ちなんて分かりっこないです。いくら想像しても無駄ですし、興味もありません。

 ということで、誠也さんの処刑が決まったので、拷問はもう終わりです。 あと三日、どうか余生を楽しんで下さい」


 ギルアは、牢屋を去っていった。











 三日がたった。

 私は、馬車に乗せられて、目的地へと連れられる。

 奇しくもそれは、獣族独立自治区のすぐ近く。

 フィリアの故郷の近くだった。


 森の中に隠すように、多重詠唱型巨大魔法陣が敷かれていた。

 多重詠唱型というのは、複数人で起動する魔法の事をいう。

 周囲には隠れるように、100を超える王国軍の、優秀な魔法使いが集結していた。

 これほどの大人数での作戦は、あの戦争以来かもしれない。


 私は、久しぶりにフィリアの姿を見た。

 フードに覆われた後ろ姿で、ほとんど見ることはできなかったが。

 フードの被らない足元に見える、フィリアのふくらはぎが、恐ろしいほどに青白く、痩せ細っていた。

 

 私とフィリアは、10メートルほど離させて、仰向けで地面に、大の字で固定された。

 目の前には、日の傾いた午後の空が見えた。

 予測では、神獣マルハブシがここに到着するのは、日が暮れた後となるそうだ。


  

 私は水を飲まされながら、視界いっぱいの青空の元で、時を待たされた。

 日が暮れてしばらくして、ついに地獄が始まった。


 まずはフィリアが叫び声を上げた。

 何事かと心配すると、次の瞬間、腹部に激痛か起こった。

 今度は私のお腹に、銀色の槍が貫通していたのだ。

 それは間違いなく、ギルアの猛毒の銀槍だった。


 私は血を吐き出した。

 猛毒の槍がお腹を貫通して、腹が割れそうなほどの激痛が、絶え間なく押し寄せる。

 私は、なんとか、フィリアの方へと顔を上げた。

  

 フィリアも同じように絶叫していて、お腹には銀の槍が、深々と突き刺さっていた。


 傷口からは、噴水のようにピュルピュルと血が吹き出して、フィリアの身体を真っ赤に染めていた。




 私は許せなかった。

 フィリアをこんなに泣かせているコイツらを、絶対に許さないと思った。

 周囲の軍人どもは、私たちを見てクスクスと笑っていやがった。

 目を背けている者もいた。

 周囲にいる全員を、皆殺しにしてやりたいと思った。

 フィリアを傷つけるやつは、私が絶対に許さない。

 全員殺してやる。呪い殺してやる。

 死ねっ、死ねっ、死ねっ。


 私の意思とは裏腹に、身体がどんどんと感覚を失っていく。

 ギルアの銀槍の猛毒の効果である。

 頭の中にチクチクとしたモヤがかかり、見ている世界が歪んでいく。

 

 遠くの方から、ドスン、ドスン。と重々しい足音だけが聞こえてきた。

 それが何者なのか、私は察することができた。

 神獣マルハブシが来たのだ。

 ついにここまで。

 私は地獄の痛みに焼かれながら、

 何とかもう一度、顔を上げた。


 そこにいたのは、とても白く発光した、巨大な毛だるまだった。

 直径は大樹を見下ろすほどにおおきい。

 そいつはフィリアの方へと、ゆっくりゆっくり転がるように、歩み寄っていた。


「や………やめろっ!!くるなぁぁぁ!! フィリァぁぁ!!」


 信じられないほどの大声が出た。

 私は発狂した。

 そのモンスターの体躯に、全身が戦慄した。

 そして気づいたのだ。

 今の私にとって、私が死ぬよりもずっと辛いことがあると。

 初めて気づいたのだ。

 自分の命よりも大切な存在に。

 

「いやぁぁっ!! やめろやめろやめろっ! 来るならコッチに来いっ!!」

 

 私はマルハブシに向かって、そう叫んだ。

 しかし周囲の軍人達は、私の必死の叫びを、鼻を鳴らして一蹴した。

 それに、マルハブシはモンスターである。 

 モンスターに、人間の言葉が理解できるはずがない。


 だが私は願わずにはいられなかった。

 頼む。

 フィリアではなく、私を襲ってくれっ!

 フィリアにだけは、生きていてほしいのだ!


 そんな願いも虚しく、神獣マルハブシはゆっくりとフィリアへと近づいていく。

 フィリアは叫ぶのを忘れて、ぐったりとしたようすで倒れていた。


 もうだめだ。

 そう思った。


 フィリアがマルハブシの口の中に入る、

 その直前。


 救世主は現れた。






「【剛脚スチルキック】ッ!!」


 ドカーン!!

 

 女の叫びと轟音と共に、

 何者かが、マルハブシの身体を蹴っ飛ばしたのだ。

 マルハブシの身体がグラリと揺れて、わずかにバランスを崩して動きを止めた。

 

 そのキックをかました、ショートカットの少女は、栗色の髪を揺らしながら。

 銀槍の刺されたフィリアへと駆け寄って、両手で口を抑えた。

 かなり動揺している様子で、慌てて後ろを振り返り、何かを叫んでいた。

 私にとって世界は無音で、その言葉は聞き取れなかったが。

 フィリアを助けようとしているのだと、分かった。

 

 私とフィリアは、この日、彼らによって助けられた。

 私はこの恩を、一生忘れる事はないだろう。


 後で知る事になるのだが、目の前の彼女は浅尾和奈という。

 そして、新崎直穂。万波行宗。リリィちゃん。ユリィちゃん。


 彼ら五人が、この地獄へと駆けつけてくれたのだ。

 そして、神獣マルハブシという、絶望と死の淵から、私とフィリアを助け出すために。

 

 


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