三十発目「ゲームオーバー」

 

「フィリア…頼む。私を殺してくれないか……?」

「はぁ!!?」


 フィリアは、何を言っているんだと首を傾げた。



「なんだ誠也せいや、悪い夢でも見たのか? バカな事を言うなよ……」

「違う! あれは夢じゃないっ!! 私が犯してしまった罪! 現実なのだ!」


 私が語気を強めると、フィリアはビクリと身を引いた。

 怖がらせているようで申し訳なくなったが、私の言葉は止まらなかった。


「フィリア! お前は私を恨んでいるのだろう!! 私は獣族を大量殺戮してきた悪魔だ! 昨日も今日も、私は沢山の獣族を殺したのだ!!

 昨日殺した女戦士は、お前によく似た目をしていた!! 信念と大義を持った目だ!!

 しかし私は彼女を……… 罪悪感を持つことなく殺した!! 

 リーリアという名の女戦士だ! ……もし昨日捕まえられたのが、リーリアではなくお前だったのなら、私は確実にお前を殺していた!! 人間語が話せる理由を尋問してからなっ!!

 フフフッ!! どうだフィリア!! 私は極悪人なのだっ! 生きる資格のない化け物だ!!」


 私は自分に絶望して、涙を溢しながら笑った。

 もういっそ、悪役になってやろうと思った。

 

 目の前のフィリアは腰が抜けた様子で、ひきつった泣き顔で身体を震わせていた。

 それはまるで、寝込みを強姦に襲われた女の子のような、逃げられないという恐怖に見えた。

 これでいい、これでいいのだ。

 私はフィリアに憎まれるべき存在なのだ。


「そんな……リーリアは、死んだのか?」


 ゾッとした寒気が、私の背筋を冷やした。

 フィリアは明らかに動揺していた。

 まさか

 フィリアは昨日の女戦士と知り合いなのか?

 いや、ただの知り合いなはずがない。

 フィリアの絶望的な表情は、フィリアにとって、リーリアがどれだけ大切な存在だったのか物語っていた。

 私がこの手で終わらせた命である。


「リーリアはお前の知り合いか? ……あぁそうだ……私が殺したのだ!! 裸で拷問を与えた後、ぼろぼろの身体になってもなお口を割らず、私をまだ睨みつけてくる彼女を、私がこの手でっ……

「やめろっ、もう言うなっ! 聞きたくねぇっ!!」


 フィリアは苦しそうに両耳を押さえた。


「………リーリアは……近所に住んでる姉ちゃんだ…… 小さい頃に、嫌な奴らに虐められていたオレを守ってくれて、よく遊んでくれた。オレにとってのヒーローなんだ……」


 顔を両手で隠して、フィリアは肩を震わせていた。

 その悲しみは、どれほどのものだろうか? 

 私が、響香きょうかを失ったときのような喪失感だろうか?

 

 取り返しのつかない事をした。と後悔した。

 謝って許されることではない。

 私はもう、自分に絶望してしまった。

 気づいてしまったのだ。 自分が無自覚に積み上げてきた多くの罪に。

 私は、誰かにとっての西宮響香にしみやきょうかを、たくさん奪ってきたのだ。


「なぁフィリア……頼む、私を殺してくれ。お前は私のことが嫌いだろう? 憎いだろう? 私はフィリアに殺されるのなら本望だ。お前のお陰で私は、大切な事に気づけたのだ。お前の手で終わらせて欲しい……」


「…………ふざけるなよっ。お前は医者のオレに、人を殺せっていうのか? すずとの約束はどうなる? 幸せに生きろと言われただろう? オレとの約束はどうなる? マグダーラ山脈に連れて行ってくれるんじゃなかったのか?」


「黙れよっ!! 幸せに生きるだと!? この私が!? そんな資格あるわけないだろっ! ……安心しろ、お前との約束は破るつもりはない…… 父さんの病気が治った後でいい、俺を処刑してくれ」


 私は、地面に頭をつけた。

 頭を深く下げて、誠心誠意でお願いした。


「そうか……だけどオレは、誠也せいやに、死んでほしくない……」


 それは懇願するような願いだった。

 私の胸の中で暖かい感覚がした。

 しかし同時に、私の理性はその感情を強く拒絶し、私はフィリアに反発した。


「なぜそんな目をする……? どうしてお前は、そんなに優しい目をしているのだ!? 頼むフィリア、私を裁いてくれ、憎しみをぶつけてくれっ!! 殴ってくれっ!! 私に罰を与えてくれっ!!」

「おいっ、落ち着けって……誠也せいや……」


 私はフィリアのこぶしを掴み、自分の頭蓋へと強くぶつけた。

 ガンガンガン!! と、フィリアの拳が、私の頭蓋へと衝突する。

 私はもう、正気ではなかった。

 罰が欲しかった。思い切り憎まれたかった。そして楽になりたかった。

 

「バカかよ………」


 フィリアはそう呟いて、前髪で表情を隠しながら、私の近くへと距離を詰めた。

 ようやく殴って貰えると、私は救いを求めるように身を投げ出したが。


 差し出されたのはこぶしではなく、くちびるだった。


 

 ちゅっ……という、柔らかな水音と共に、

 フィリアの唇が、私の唇へと重なった。




「んっっ!!?」


 脳内が、甘ったるい感触で埋め尽くされる。

 自己嫌悪に陥っていた私は、一瞬の内に冷静になった。

 悪夢の続きから覚めていく……


 冷静に自分を客観視して、自分の心臓がドクンドクンと脈動している事に気づいた。

 それは絶望や恐怖のような、ネガティブな感情ではなかった。

 もっと温かくて、若々しくて前向きで、懐かしい気持ちだった。

 この気持ちを、なんというのだっただろう……

 

 フィリアは頬っぺたを赤く火照らせたまま、ゆっくりと唇を離した。

 そして泣きながら、こう言った。

 


「オレも同じだ、誠也せいや……今日気づいたんだ……オレも無意識のうちに、たくさんの人を殺していたんだって……」

「え……?」


 フィリアは震える手で、私の肩を抱きながら、そう言った。


「どういう意味だ? お前は医者なのだろう? 命を救っているではないか?」


「オレは今まで、獣族反乱軍の負傷者を、何人も治療している。……この意味が分かるか……?

 オレは医者だ……目の前の命を助けることが、正しい事だと疑わなかった…… でも今日オレは、

 自分が救った命が、人の命を奪うのを見た。

 獣族反乱軍の襲撃でボロボロになった村を見て。殺戮されていく住民たちを見て。なにが正解か分からなくなった。

 分かるか誠也せいや、今日死んでいったお前の部下達の話だ。オレの正義は、間接的に、誠也せいやの仲間を殺した。すずの命も奪ったんだ……」


 フィリアはそう言った。


「それは…仕方ない事だろう…フィリアは悪くない。だけど私は、直接この手で何人も………」

「同じだよ誠也せいや。お前は別に、獣族を殺したかった訳じゃないだろう。お前は、人間を守りたかったんだ。 違うか?」


 フィリアの言葉を受け止めて、私はハッと気づかされた。

 そうだ、そうだったな。


 王国軍に入ったのは、最初は復讐心だった。

 でも、復讐心は続かなくて。

 私はだんだんと、「誰かにとっての響香きょうかを守る」というモチベーションで戦うようになったのだ。

 私は最愛の人を失ってしまった。

 でも周りの仲間たちには、守るべき存在が残っているのだ。

 ガロン王国の国民の幸せを守るのために、迫り来る獣族と戦ってきたのだ。


「分かるか誠也せいや。戦争っていうのは、どちらにも正義があるんだ。オレも今日、身に染みて学んだよ…… もちろんオレには、なにが正解かなんて分からねぇ……でもさ……」


 目の前のフィリアは、少し笑って、顔色を明るくさせていった。


「オレは夢を見てるんだ。 ……人間と獣族が仲良くなって、同じ街で分け隔てなく、幸せに暮らす夢だ。これは父さんの夢でもある。

 でもオレは、独立自治区を出て絶望したんだ。そんな未来は絶対に来ないって。……だって外の世界の人間は、獣族達を忌み嫌っていた。国境を超えた獣族は、捕まれば殺されてしまう。こんな状態で、仲良くなるなんて不可能だって。

 でもオレは、誠也せいやに出会えた。 お前は獣族のオレに、真剣に向き合ってくれたんだ。

 ……嬉しかった。父さん以外の人間と、はじめて仲良くなれたんだ。

 だからオレは思ったんだ。この出会いは運命なんだって、これは獣族と人間が歩み寄る第一歩なんだって。

 オレとお前で、この夢を叶えられるんじゃないかって」


 フィリアは目を輝かせて、そんな夢を語った。

 私は感動のあまり、全身に鳥肌が立った。

「人間と獣族が共存する社会」

 現状からして、実現は不可能に近いだろう。

 だけど私は、その夢に魅了されてしまった。

 この夢の為に、命を懸けても構わないと思った。


「いいな……いいなソレ。私も、そうなる事を願っている。 フィリア……ありがとう。私はようやくはじめて、人生の第一歩を踏み出せる気がするよ……」


「ああ……元気が出て良かった。……しかしそろそろ、眠らないか? オレも途中で起こされて、だいぶ眠いんだ」


 フィリアは、眠たい目を擦っていた。

 私も安心して心が落ち着いて、どっと疲れが押し寄せてきた。


「それはすまなかった。本当にありがとうフィリア、もう寝よう」


 私とフィリアは、隣り合って横になった。

 森の中の、地下室の中で、私たちは眠りについていく。


 私の手がフィリアの小さな手に包まれた。

 そしてフィリアの身体が、私の身体へと押し付けられて、密着してくる。

 フィリアの方に顔を向けると、こっちを見ていた彼女は、サッと目を逸らした。


「怖い夢を見た夜は、父さんはいつも、手を握ってくれたからな。誠也せいやにもしてやる」


 彼女はぶっきらぼうに呟いた。


「ありがとう」


 私は感謝して、響香きょうかとの添い寝を思い出しながら、フィリアの身体へと身を委ねた。

 そして穏やかな眠気がせまり、私の意識は薄れていった。











 二日目。

 気持ちのよい朝がきた。

 昨日のことが恥ずかしくて、フィリアの顔が直視できなかった。

 フィリアも少し変だった。

 私に対してどこかよそよそしいのだ。

 しかし、別に私が嫌われているわけではないようだ。

 フィリアは私に対して、色々心配して尋ねてくれて、親切だった。


 私はふわふわとした気持ちのまま、森の中を歩んでいった。

 特に面白いことはなくても、心の中から楽しい気持ちが沸き上がってくる。

 こんな感覚は初めてだった。

 フィリアの何気ないしぐさを、目で追ってしまう。

 彼女が言葉を発するたびに、私の心は温かく包まれる。

 フィリアは不思議だ。そばに居るだけで、私の心を温めてくれるのだ。




 森の中を進んでいると、男の子の泣く声がしていた。

 ここは森の奥深くだぞ? 

 と、私が訝しみながら近づくと、その男の子は足を怪我していた。

 高価そうな装飾を纏った貴族の服で、年は10才ぐらいだろうか。

 整った顔つきの少年だった、

 彼の名前は、蘭馬らんまと言った。

 どうやら一人で森に飛び出て、足を骨折してしまったようだ。

 

 フィリアが蘭真らんまの前に現れると、蘭真らんまは泣き叫んで怯えていた。

 当然だろう、人間は小さい頃から、獣族は野蛮なケダモノであると教わっているからな。

 フィリアは悲しそうな顔をしていた。

 しかし、フィリアの治療を受けていくうちに、フィリアと蘭真らんまは打ち解け合っていった。

 

 やはりフィリアには、人間と仲良くなる力があるように思える。

 蘭真らんまはフィリアにお礼を言うと、フィリアの存在を誰にも言わない事を約束して、家へと帰って行った。

 私達はまた二人きりになり、魔獣を捕まえ料理を作り、二日目を終えた。







 フリィアと旅をはじめてから、三日目の朝が来た。



「おはようフィリア……」

「おはよう誠也せいや……」


 フィリアは眠い目をこすりながら身体を起こす。


「早速だが、今日は川を越えなければいけない。しかも交通量の多い都会の、大きな川だ……

 フェロー地区とギラキース地区の境界線となっているから、関所もあって監視も厳しいのだ。

 なにかいい案はあるか?」


 私が尋ねると、フィリアはこちらへと向き直る。


「父さんと行ったときは、人通りの少ない場所に回り道して、夜の間に抜けたけれど。

 お前はガロン王国軍だろう? 今も隊服を着ているし、オレを荷物に入れて隠せば、通して貰えるんじゃないか?」


 私は首を横に振った。


「それは綱渡りがすぎる。もし荷物検査が行われたならどう誤魔化すのだ? さすがに正面突破は難しい。 かといって回り道をすれば、時間がかかってしまうよな……。 とにかく、歩きながら考えよう……」


 話し合いはそこで区切りにして、私達は魔法で朝食を作った。

 そして美味しそうにシチューを頬張るフィリアを見て、私達は出発する。

 

 すごく楽しかった。

 フィリアとの仲も深まり、雑談をしながら足を進めた。

 



 そして、

 冒険の終わりは、突然に訪れた。


 







「投降しろ!! 裏切り者めっ!!」


 私に向けられた怒号と共に、

 私とフィリアは、迷彩色の軍服に取り囲まれた。

 ガロン王国軍である。

 私達は、王国軍に見つかってしまったのだ。


「どうする……誠也せいやっ!」


 フィリアの声は震えていた。

 身体を後退させて、私に身を寄せながら、申し訳程度に拳を構えていた。


 私は絶望していた。

 私の周囲には、同僚が20名ほど。

 みんな私に敵意を持って、今にも襲いかかってきそうだった。

 さすがの私も、一人でこれだけの数は相手出来ない。


「いやぁぁ、驚きましたよ~誠也せいやさん。あなたがまさか獣族のスパイだったとはねぇ。

 獣族が嫌いって言ってたのは演技だったんですか~

 まぁ俺としては、裏切り者とかわいい子ちゃんを見つけて一石二鳥ですよぉ~」


 その声は、私の鼓膜をズンと震わせて、

 恐怖と怒りが爆発した。

 その声の主は、私の元部下で、私を殺そうとした男。

 ギルアだった。


「ギルア……貴様っ!!! 裏切り者めっ!!!」


 私は怒りのあまりに、けらけらと笑うギルアを怒鳴りつけた。


「え~ いやいやいやぁ。裏切り者はアンタでしょう誠也せいやさ~ん。大切な部下のすずさんを毒殺して、獣族の女の子と一緒に逃げるなんてねぇ~ 俺はアンタを尊敬してたのに、酷いっすよぉ!」


 なんだと?? 今なんと言った?

 ギルアは、ケラケラと笑っていた。

 周囲の王国軍、昔の同僚からは、殺意の籠った目が向けられる。


「違うっ!! 裏切り者はお前だろうギルア!! すずを殺したのは貴様だギルアっ!!」


 私は必死に訴えたが、周りの殺意は一層強くなった。


「許さねぇ」

「騙していたのか?」

「ぶち殺してやる」

「ふざけるんじゃねぇよ……」


 と、私の同僚達がみな、失望と殺意を私に向けていた。

 私の身体は、ガタガタと震え出した。


 だめだ……だめだ、だめだ。

 誰も、私の話を信じてくれない。


 魔法を使えば、逃げられるだろうか……?

 私は腰を沈めて戦闘準備をした。

 しかし、私の手は震えていた。

 身体が戦闘を拒否していたのだ。


 なぜなら、目の前に立ちはだかる敵は、私の同僚達なのだ。

 みな顔と名前を知っている。趣味や好きな食べもの、女の好みまでよく知っている。

 戦友だった者達だ。


 私はフィリアを守らなければいけない。

 しかし私は……

 人間かれらと戦うなんて……そんなこと…………出来な……


 私の中に迷いが生じてしまった。

 そのスキを突くように、

 私の周囲に煙幕に巻かれた。


誠也せいやっ! 逃げ……!!」


 フィリアの悲鳴がして、私は我に帰った。


「フィリアっ!!」

 

 気づいた時にはもう遅い。

 私はフィリアを見失い。魔法を放つことなく。

 フィリアと私は、王国軍の数の暴力により、ガロン王国軍にとらえられてしまった。


 しまった。しまった!!

 私は知っていた筈なのに!!

 人間に掴まった獣族が、いったいどんな酷い目に遭うのかを。

 フィリアも……彼女達と同じように……あらん限りの辱めを受けて、拷問を受けて、そしてやがて捨てられる。


「おぇぇぇぇ………」


 馬車の中、薄暗い牢屋の中で、

 凄まじい吐き気に襲われて、喉の奥から胃液を吐き出した。

 ぼろぼろと涙があふれてくる。

 先ほどまでの幸せな時間が、すべて嘘のような、地獄……


 私のせいだ。

 私が躊躇ってしまった。

 フィリアを助ける為に、人間かれらに魔法を向ける選択を、私は出来なかった……

 私は、どうすればよかったのだ……

 後悔と絶望に押しつぶされながら、私とフィリアは、王国軍の駐屯基地へと連れられて行った。

 

 

 




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