限定SS『あるいぬのいちにち』
(別視点)※ポメ
朝、陽の暖かさを感じて目を開けると、緑色の目がこちらを見下ろしていた。
のびをして、挨拶をひとつ。
声を出したつもりだが、いつも音がしない。
だが、気にしない。
聞こえてなくても、届いてる
自分たちはふたつでひとつ、つながっているのだ。
子供の手のひらの上で、小さな犬はくるりと回った。
うれしくて回ると、子供は何故だかうれしそうにする。自分もうれしくなる。
子供は自分の中へ戻るよう命令した。
小さな犬は、スッと子供の身体へ溶け入る。
まわりの人間たちは、犬が空間魔法を使ってその中に出入りしていると思っている。
それは間違いではないが、正しくもない。
子供の身体へ戻るとき、犬の意識は子供のそれと溶け合うように重なるのだ。溶けている間、子供の見る世界を見て、音を聞く。
たしかに別の空間を開いている。そこには小さな犬の身体が入っている。
しかし、意識だけは子供とほとんど同化させることができるということは、誰も知らないことだった。
だから、子供の中にいる間、世界を眺めることができる。犬は懸念されているほどには退屈してないのだ。
子供は、少し寒い屋外へ出て、楽器を取り出した。
大人が木の棒を振るのに合わせて音楽が響く。
この時間はとても楽しい。
木の棒はいいものだ。棒で遊ぶのが得意とは、なかなかわかってる大人の人間だ。犬も棒を噛んだり蹴ったりするのが好きだ。
うまく楽器を使えたので、大人は子供を褒めて頭を撫でた。撫でられると子供はすこしくすぐったそうに、でもうれしそうにする。撫でられるのはいい気持ちだ。犬も指先でコロコロと撫でられるのが大好きだった。
やがて、朝食の時間になる。
パンの焼けるいい香りが漂う。
果物と共に、ジャムを掛けて子供はパンを頬張った。
時々、子供はパン屑をくれる。あれの魔力は美味しいから好きだ。
馬車に乗って出かける。人間は自分の足では速く走れないけど、馬に言うことを聞かせられる。馬車から街を見て、街の匂いを嗅ぐのが好きだ。
やがて、森へ来た。
森!森は大好きだ。
なにせ、犬は森で生まれて森で育った。森のことならよく知ってる。そこに住む生き物たち、魔力の流れ、命の巡り。犬たちはそれらを管理するように造られているからだ。
森は、大きな兄弟の気配に包まれている。
犬が森に入ったことをすぐ感知した。
子供が笛で兄弟を呼ぶと、空間から溶け出すように兄弟が現れる。
大好きな兄!
犬はよろこんで飛びついた。
その匂いをたくさん嗅いで、ふかふかの毛並みに埋もれて、全身で会えた喜びを表現した。
兄も、小さな小さな犬をそっと舐めて無事を確かめる。
子供もそれにつられたように、兄の毛並みの中に沈んだ。
兄は、あまりはしゃぎすぎないよう小さな犬に注意した。それから、あまり魔力を使いすぎてはいけない、とも。
理由はわからないが、兄が言うことなのだから大事なことだろう。犬は覚えておこうと思った。
森の恵みをたくさん摘み取って、また馬車に乗って子供の住む場所へ戻る。
ここへ戻ると、不思議な安心感に満たされる。
森も故郷だが、この場所もお気に入りだ。
人間たちの匂いは攻撃的ではないし、ときどき構ってくれる。骨もくれた。
だから、ここも森と同じように縄張りだ。
昼食、夕食、と人間は何度も食事をする。手間暇かけて手を加えるのだ。それの意味はわからないが、子供がそのたびにうれしそうだから、犬もうれしい。
夜、湯の入った大きな池に浸かる。
人間はこれが好きで、毎日入っている。
あたたかいこの中で泳ぐのが好きだ。
石鹸は、すこし苦手だが。
池から出て、子供が犬と大人を風で乾かす。これも気持ちが良くて好き。
子供は、寝床の上で大人といっしょにペラペラした『本』というものを一生懸命眺めている。物語が書いてあるらしい。
人間は犬たちとは違い、物語を書いて記憶を誰かに伝えていくのだ。
やがて、子供は眠そうにしはじめる。
あたたかい寝床にもぐりこみ、思い出したように手を伸ばして犬に戻るよう命じた。
犬も、子供といっしょにまどろみの中へ沈んでいく。
大人が子供へ祝福を送るのがわかった。
時々、犬は夢を見る。
さわやかな風が吹き抜ける草原に立っている夢だ。
その夢では、犬は小さな犬ではなく、本来の大きさの仔狼になっている。
そして、側にはいつも、大人の女がいる。長い、赤みがかった髪の女だ。
犬をやさしく撫でながら、何か話しかけているが、その言葉は理解できない。
しかし、その女に撫でられるのは好きだ。とても愛しているのがわかる。
その愛は誰に向けてのものだろう。
わからないが、この夢が好きだ。いつか子供もこの夢を見るのだろうか。
犬は、女に向けてワン!と吠えた。
夢の中では、声が出せる。
だから夢が好きだ。
この世界が好きだ。
犬は、たくさんの好きなものを数えながら、深い眠りに落ちていった。
(おしまい)
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