第32話

☆☆☆


明日香と豊の死体を発見したと伝えても、毅も哲也も驚いた顔は見せなかった。



すでに心が麻痺してしまっているのかもしれない。



結も何度も何度も友人たちの死を目の当たりにしてきたことで、とっくに感覚は死んでいた。



「下山してみないか」



食堂内の沈黙を破ったのは大河だった。



その提案に結は目を大きく見開いて唖然とする。



「まだ雨は降ってるよ?」



「わかってる。だけど残っているのはこの4人だけだ。ずっとここにいるよりも動いた方がいいかもしれない」



人数が多い時は施設内で助けを待っていても精神的に安定していた。



けれど、日に日に少なくなっている仲間たちにもう待っていることはできないというのだろう。



「俺は賛成」



手を上げたのは毅だった。



「食料も随分少なくなったしな。毅が下山するなら、俺も行く」



次に哲也が賛成した。



大河が結へ視線を向ける。



全員が下山するとなれば、結1人でここに残ることはできない。



「結も一緒に来てくれるか?」



大河にそう言われて、結は頷くしかなかったのだった。


☆☆☆


大河が無謀な下山を提案したのは、この施設内の女子生徒が結1人になってしまったからだった。



何日間も自由のきかない施設内に軟禁状態にされた毅と哲也の今後の動向が不安だった。



大河だって、いつ結に乱暴なことをしてしまうかわからない。



そうなる前に1度下山できるかどうか、試しておきたかったのだ。



そして無事に下山できたのなら問題はない。



途中で引き返すことになっても、疲れ果てて眠ってしまえばひとまず結は安全ということになる。



それから1時間後。



4人は下山の準備を終えて再び食堂へ集まってきていた。



来た時の不要な荷物は部屋に置いて、ペットボトルの水と食料を中心に持った。



風が強いと使い物にならないけれど、一応人数分の傘も持った。



「よし、行こう」



大河が先頭となって、4人は施設を出たのだった。


☆☆☆


施設から一歩外へ踏み出した途端に雨が体に叩きつけてくる。



傘なんてほとんど意味がないようなものだ。



結は大河が用意してくれた透明な合羽を着用しているので、みんなよりは少しマシな状況にあった。



「この木はどうにもできないな」



広場を抜けて門の前まで来て大河が呟く。



先生が言っていたとおり門の前には大木が横倒しに倒れていて、とてもじゃないけれどどかせれそうにない。



たしか体育館倉庫にチェンソーがあったはずだけれど、充電があるかどうかわからなかった。



大河が5メートルほどある錆びたフェンスを見上げる。



フェンスの最上部は有刺鉄線になっていて、野生動物たちが侵入できないようになっている。



大河にもそれは見えているはずだけれど、躊躇することなくフェンスに片足をかけた。



あとはスイスイと身軽に上がっていって、あっという間に上まで到達していた。



「様子はどうだ?」



下から哲也が声をかけると、大河は返事をする代わりにポケットからハサミを取り出して見せた。



事前に明日香たちが有刺鉄線が会ったと知らせてくれていたから、持ってきたみたいだ。



大河は片手でハサミを扱い、有刺鉄線を切断していく。



その間にも雨は降り続いていて視界は悪くなる一方だ。



5分間ほどパチンパチンと有刺鉄線を切断する音が聞こえてきていたが、ついに人1人文の隙間ができたようだ。



大河がフェンスをまたいで向こう側に着地した。



「やった!」



結は思わず手を叩いて喜ぶ。



哲也が先にフェンスを登り、その後に毅が続いた。



ふたりとも運動神経がいいからフェンスを乗り越えるくらいどうってことのない様子だ。



「大丈夫だから」



残された結に大河が声をかける。



結は大きく頷いてフェンスに足をかけた。



高い場所は苦手だけれど今は行くしかない。



できるだけ下を見ないように注意しながら一歩一歩フェンスをよじ登っていく。



最上部までくると切断された有刺鉄線が目に入った。



その隙間をぬってフェンスの逆側へ足を回す。



そのとき嫌でも地面が見えてしまって一瞬体が震える。



「結!」



大河の声に視線を向けると、傘を下ろして両手を広げているのが見えた。



結はコクリと頷いて大河めがけてジャンプした。



大河は見事結の体をキャッチして地面を下ろしてくれた。



「ありがとう」



いくら軽いといっても衝撃はあったはずだ。



けれど大河はそんなことおくびにも出さずに「さぁ行こう」と、全員を促したのだった。

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