第25話

☆☆☆


ベランダの窓越しに教室を確認してから、豊は話始めた。



「明日香を呼び出して殺せばいい」



「あんた、なに言ってんの?」



突然の提案に美幸は大きく息を吐き出す。



明日香は豊の恋人だ。



殺すなんてできるわけがない。



だけど豊の表情は真剣だった。



「あいつ、妊娠してるんだ」



「は……?」



豊は困ったように頭をかいて、チッと舌打ちをする。



「俺たちまだ高校生だし、受験とか就職とかあるし、子供なんて産めるわけがない。それなのにあいつ産むっていってきかないんだ」



「ちょっと待って、明日香が妊娠って、それ本当なの?」



思わず声が小さくなる。



これは誰にも知られてはいけない情報だった。



「本当だって。だからこんな提案してるんだ」



「……私の代わりに明日香を殺して、子供まで殺すってこと?」



睨みつけながらそう質問すると、豊は気まずそうに視線をそらした。



「そういうことになるけど、美幸だって助かりたいだろ?」



もちろん死にたくなんてない。



こんなわけのわからない呪いで死ぬなんて、まっぴらごめんだ。



黙り込んだ美幸を見て豊が笑みを浮かべた。



今の沈黙は肯定したのと同じ意味合いがある。



「俺が明日香を呼び出せば、明日香は疑いなく来るはずだ。ふたりがかりなら、殺すことはできる」



豊がひとりで決行するのではなく、あくまで美幸が主体となって殺すことになるんだろう。



そうわかっていても、豊からの提案を否定することはできなかった。



豊が明日香を拘束している間になら、手首を切ることもできると思う。



「わかった」



美幸が頷くと豊の顔が晴れやかになった。



まるで背中から重しをおろしたときのような表情だ。



それを見て不快感が湧いてくる。



豊は明日香だけでなく、自分の子供まで殺そうとしているのだ。



クラス内ではそんな風に見えない豊だけれど、性根は腐りきっている。



「だけどこれだけは言っとく。あんたは最低の人間だ」



美幸はそう吐き捨てて大股で教室を出たのだった。


☆☆☆


豊が明日香と結のいる部屋のドアをノックしたのはその日の夜だった。



すでに夕飯を済ませてみんな部屋に戻っている時間だ。



「どうしたの豊」



突然の訪問に驚いた顔をしながらも明日香は嬉しそうだ。



不安なときだからこそ、好きな人と同じ時間長く居たいと思っていたところだった。



「ちょっと気分転換しないか?」



そう言って明日香を部屋から誘い出した豊は、美幸が待っている教室へと向かった。



「ここで話をするの?」



教室の前まできて明日香が口を尖らせる。



教室の中にはすでに5人の死体が保管されている。



中に入らずとも腐臭が漂い出てきていた。



「まさか、教室には入らないよ」



豊はそう言って廊下の真ん中で立ち止まった。



本当は教室の中に入ってしまったほうが人目につかないが、嫌というなら仕方がない。



ここで無理を言えば怪しまれてしまう。



「それで、話ってなに?」



明日香は完全に警戒を解いていて笑みを浮かべている。



その後方にある教室のドアが音もなくスッと開いた。



背を屈めで中から出てきたのはもちろん美幸だ。



美幸の右手にはカッターナイフが握りしめられていて、強い意思を感じる。



最初は誰かを殺すことに抵抗を覚えていた美幸だけれど、ここに来るまでにすでに覚悟は決めていた。



下山したあとに罪に問われるかもしれないが、それでもここで死ぬよりもマシだった。



他愛もない会話を続けている明日香と豊のふたりにそっと近づいていく。



明日香がふいに振り向いてしまわないように、豊が手を握ってくれている。



あと少し!



明日香と美幸の距離はあと1メートルほど。



手を伸ばせばその体にふれることができる距離だ。



緊張から呼吸をすることも忘れて目の前の明日香を凝視する。



明日香が話をするごとに艶のある豊かな髪の毛がサラリと揺れる。



捕まえられる!



美幸が明日香に飛びかかろうとしたその瞬間だった。



明日香が振り向いた。



満面の笑顔で美幸を視界に捉え、同時に身をかわしていた。



まるで最初からそこに美幸がひそんでいるとわかっていたような身軽さに美幸の方がとまどい、ついていけなかった。



両手を伸ばしたまま体のバランスを崩した美幸を抱きかかえるようにして教室へ連れ込んだのは豊だった。



咄嗟のことでついカッターナイフを手放してしまい、カランッと軽い音を立てて落下する。



暗い教室内には腐臭が立ち込めていて、美幸はついさきほどまで待機していた床に押し付けられる形になった。



同時に明日香が教室のドアを閉め、美幸が手放してしまったカッターナイフを握りしめている。



ここにきてようやく美幸は自分がふありにハメられたんだと気がついた。



美幸の体の上に豊が馬乗りになり、両手で美幸の口を塞いでいる。



強い圧迫感に呼吸が止まりそうになる中、どうにか目だけ動かして明日香の動向を確認しようとする。



大きく見開かれた美幸の目が捉えたのはカッターナイフの刃をカチカチと音を立てながら出す明日香の姿だった。



明日香は長く延した刃を月明かりに照らしてうっとりと微笑んでいる。



豊に捉えられている美幸はふーっふーっと鼻息が荒くなり、額から脂汗が流れていく。



「はやくしろ」



豊に言われて明日香がニッコリと微笑み、近づいてくる。



どういうこと!?



なんで!?



パニック状態で豊を睨みつけると、豊は少しだけすまなさそうに眉を下げた。



「妊娠の話は嘘なんだ」



「!?」



美幸は愕然とししてしまってなにも考えることができなくなる。



「美幸にメールが来たから、誰かを殺してしまうんじゃないかと思って、それが心配だったんだ。もし明日香が殺されたらどうしようって」



豊はそう言って明日香へ視線を向けた。



明日香は嬉しそうに笑っている。



当然、明日香はここに美幸が潜んでいることを知っていたし、教室内に入りたくないと言ったのも、美幸が聞いているだろうからと演技したのだ。

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