第19話

けれどそれは日常生活のなかでの出来事だったと気がついた。



今は山の上の林間学校施設に閉じ込められて、次々に人が死ぬという異常な状況だ。



その中で匠はようやく本来の自分を出すことができているのかもしれない。



哲也に馬乗りになられながらも笑みを浮かべつその姿は気味が悪くて、哲也の方から離れてしまった。



唖然とした表情で匠から逃げるように後ずさりをする哲也。



それを見て匠は起き上がろうともせずに楽しげな笑い声を立てた。



「こんなときになに笑ってんの……」



美幸の呟き声が聞こえてきても匠の笑い声は止まらない。



それは食堂内に響き続けて、脳をおかしくさせてしまいそうだった。



咄嗟に哲也は調理場へと走り、包丁を握りしめていた。



この中で一番怖いのは実は匠かもしれない。



過激なイジメで心が壊れてしまっている匠は、これから先なにをしでかすかわからない。



そんな気持ちになっていた。



哲也は包丁を両手でしっかりと握りしめて匠の前に戻ってきた。



「おい、哲也?」



毅が声をかけても哲也には届かない。



ジッと匠を見つめる目は充血していて、呼吸が荒くなっている。



「僕を殺す?」



匠が哲也に気がついて笑うのをやめた。



持っている包丁にも気がついているが、その顔には笑顔が張り付いたままだ。



「今日殺されるか、明日殺されるか。僕はずっとそう考えて生きてきた」



「黙れ!!」



哲也が包丁を振り上げる。



「やめろ!!」



「それは、今日だったんだ」



大河と匠の声が重なりあう。



そして哲也が匠の胸に包丁を突き立てるのが同時に起こった。



駆け寄ろうとしていた大河がその場で動きを止めて目を見開く。



匠が自分の胸に突き刺さった包丁へ視線を向け、そして口の端から血を流した。



哲也は肩で呼吸を繰り返して、その場に座り込んでしまった。



その数秒後、食堂内に悲鳴が響き渡ったのだった。




匠の過去


どうして毎日学校に行かないといけないんだろう。



よく晴れた春の日差しの下、匠は乗らない気分で学校へ向かっていた。



歩幅は自然と狭くなり、時々立ち止まってしまう。



どうにか3年生に進級した匠だったが勉強は大嫌いだった。



かといって運動ができるわけでもないし、どちらかといえばずっと家にいてゲームをしていたいと思っている。



けれど高校に入学してしまったからそれもできない。



中学卒業と同時に引きこもりになればよかったんだ。



匠は常々そう感じるようになっていた。



その原因のひとつが学校生活にある。



「よぉ匠くぅん!」



教室に入ってすぐに馴れ馴れしく肩を組んでくるのはクラスメートの毅だ。



毅とは別に仲がいいわけじゃないのに、匠のことを見つけるとすぐに近づいてくる。



「今日の昼ごはん代がないんだよねぇ。ちょっと貸してくれねぇ?」



至近距離でそう頼まれると断れない。



断ればまた放課後の呼び出し、休日家へのおしかけが始まるだけだ。



どうせそこで金品を取られてしまうのだから、今おとなしく出しておいた方がいい。



匠がカバンから黒い財布を取り出すと毅が手を伸ばしてそれを奪い取った。



勝手に財布を空けて千円札を一枚取り出して自分のポケットにねじ込む。



「たった千円かぁ」



毅たちが毎日のようにカツアゲしてくるから、財布にお金を入れなくなったのは正解だった。



といっても1日千円ずつ取られるのだって痛いのだけれど。



それでも、これでひとまずおとなしくしてくれるから匠はホッと胸をなでおろした。



毅や哲也から目をつけられたのは2年生の頃からだった。



元々勉強も運動もできない哲也はできるだけ静かに学校生活を過ごしていたのだけれど、ある日の体育の授業で偶然ふたりと同じチームに入れられてしまったのだ。



種目はサッカー。



ボールを使った競技は全般的に苦手としている匠はサボる気満々でいた。



しかし、教室に残ってポータブルゲームをしていたところを担任教室に見つかって参加することになってしまったのだ。



結果は言うまあでもなく惨敗。



匠へのパスが通らずに何度も得点を入れそびれたことが敗因だった。



だから参加したくなかったのに。



心の中でグチグチと文句を言いながら着替えているところに毅と哲也のふたりがやってきた。



ふたりは学年内でも激しい気性の持ち主だとわかっていたから、匠は決して関わろうとはしてこなかった。



「よぉ匠くん。今日はどうしたんだよ、体育に出席なんてしてさぁ」



絡みつくように声をかけてきた毅に匠は引きつった笑みを浮かべる。



「た、担任の先生に見つかって、参加させられたんだ」



あくまでも自分の意思で参加したんじゃないと伝えたつもりだった。



担任にバレたせいだと。



しかしふたりは匠を取り囲み、匠のせいで試合に負けたのだと詰り始めた。



匠もそれは否定できない立場にあったけれど、授業の試合なんてふたりにとってはどうでもいいことのはずだった。



ただ、いいカモを見つけた。



それだけのことだったのだ。



この日から匠イジメは開始された。



無視するとか、机にラクガキをされるとか、そんなねちっこいものではなくて、もっとわかりやすくて暴力的なものだ。



言うことを聞かなければ放課後呼び出されて殴られ、蹴られる。



少しでもふたりのことを拒絶すれば、休日家にまでおしかけてくる。



匠は2年生のあの頃からずっとふたりから奴隷のように扱われていたのだ。



いつか復讐してやる。



いつか殺してやる。



そんな気持ちが芽生えるまでにそう時間はかからなかった。



だから、林間学校で死体写真が出回り始めたときには使えるかもしれないと考えた。



あのふたりに写真が届くようにすれば、復讐できると……。



「だから僕は、一旦削除したお前のアドレスをまた登録したんだ」



食堂内、口の端から血を流しながらも匠はまだ笑みを浮かべていたのだった。

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