第9話
結が部屋に戻って30分ほどしたとき、ノック音が聞こえてきて顔をあげた。
「電気もつけないで、なにしてるの?」
入ってきたのは明日香だ。
明日香は同じ部屋だからノックする必要なんてないのに、結に配慮してくれたんだろう。
結は慌てて流れてきていた涙をぬぐうと「なんでもない」と答える。
しかし涙声だけは隠せなかった。
「これから教室で先生の話があるらしいんだけど、来れる?」
「みんなはもう行ってるんでしょう? それなら私も行く」
泣いたと言っても少しだけだ。
きっとバレることはないだろう。
「ありがとう明日香。心配かけてごめんね」
結は早口にそう言って、明日香とふたりで教室へ向かったのだった。
☆☆☆
教室の中にはすでに10人の生徒たちが集まってきていた。
夕食後で気持ちが緩んでいるのか、大きな声で騒いでいる。
結と明日香が教室へ入ると一瞬静かになったものの、私語はすぐに再開された。
「ここ座って」
明日香に促されて教室中央の席に座る。
明日香は結の隣に座った。
教室の中を見回してみると美幸、静、毅、哲也の4人は後方で騒いでいて、由香里と匠のふたりは教卓に近い位置に座って黙り込んでいる。
豊と大河は窓際の席に座って小さく笑い合っていた。
なにも変わらない日常風景にホッと胸をなでおろす。
ひとまず、あのメールは他の生徒たちには届いていなさそうだ。
そう思っている時に教室前方のドアが開いて先生が入ってきた。
「さっきニュースで確認したんだが、天候はしばらくこのままらしい」
その説明に後方からブーイングが起こった。
こんな嵐の中で勉強なんてしていられないんだろう。
元に今日の勉強は集中なんてできなかった。
「電話もつながらないから、救助がくるかどうかもわからない。でも、ここは元々宿泊施設だし、設備はちゃんと整っている。今は外には出られないが、天候回復が回復すればすぐにでも下山できるから心配しないように」
生徒たちの不安を少しでも払拭しようとしているのが伺えるけれど、門の前には大木が倒れているといっていたはずだ。
それでも、下山できるんだろうか?
結の胸に一抹の不安がよぎるけれど、それを口に出すことはなかった。
きっと施設内にチェンソーなどの道具くらいはあるんだろう。
それで木を切って道を作れば下山できる。
「それから、明日の勉強についてだけど――」
先生がそこまで言った時だった。
きちんと閉められていたはずの教室のドアが薄く開き、そこからロープが入ってきたのだ。
ロープはにゅるにゅるとまるでヘビのようにのたうち、ひとりでに先生に近づいていく。
教卓の近くにいた由香里と匠のふたりが思わず腰を浮かして後ずさりをした。
「なんだそれ?」
まぬけな声で質問したのは毅だった。
首をかしげてロープの行く先を見守っている。
みんなマジックだと思っているようだけれど、結だけは真っ先に感づいた。
先生の死体写真は首吊ではなかったか?
そして時刻はそろそろ19時になろうとしている。
「先生逃げて!」
結は咄嗟に叫んでいた。
しかし先生はひとりでにうごめくロープに視線を貼り付けたまま動こうとしない。
その目は大きく見開かれていて、口はポカンと開いていている。
次の瞬間ロープが先生の首に巻き付いていた。
シュルシュルと音もなく巻き付き、きつく食い込んでいく。
「お、おい。なんだよこれ」
哲也が混乱した声を出しながらも、まだマジックかなにかだと考えているのだろう。
逃げ出したり、悲鳴をあげる生徒はひとりもいなかった。
結は弾かれたように先生にかけよってロープを引き離そうとする。
しかし、強い力で先生の首を締め続けているロープはびくともしない。
やがて先生の顔は真っ赤にそまり、苦しげに目をむきはじめた。
「誰か、ライター持ってないか!?」
目の前の光景に唖然としながらも大河はそう叫んだ。
ロープは力づくではどうにもできそうにない。
それなら火をつけて燃やしてしまえばいいのだ。
「あるぞ!」
ライターという単語にすぐに反応したのは毅だった。
毅はズボンのポケットに隠し持っていたライターを大河へ投げ渡した。
それをキャッチして先生の元へ走る。
先生の目はすでに白目を剥いていて、体は微かに痙攣している。
近づくと床が汚れていて、糞尿をたれなしていることがわかった。
大河はすぐにライターに火をつけてロープに近づける。
しかし、ロープは一向に燃え始めない。
「なんで燃えないんだよ!」
苛立たしい声を上げながら、額から汗が吹き出す。
このままじゃ本当に先生が死んでしまう!
危機感から手元が狂ってライターを落としてしまう。
慌てて拾い上げて再びロープへ火を近づけたその時だった。
不意にロープが緩んで床へバサリと音を立てて落下したのだ。
ハッとして視線を先生へ向けると、先生は真っ白な顔のままドサリと床に倒れ込んでしまった。
数秒の沈黙が教室内に立ち込めた後、激しい悲鳴が響き渡ったのだった。
☆☆☆
いや、いや、いや!!
結は先生の死体を目の前にして後ずさりし、そのまま座り込んでしまっていた。
全身から血の気が引いていって震え始める。
「なんだよ今の! どういうことだよ!?」
毅の混乱した叫び声。
「イヤァァァ!!」
美幸の際限ない叫び声。
明日香は豊のところまで飛んでいって抱き合っている。
「やっぱりあれは死体写真だったんだ」
結が震える声で呟く。
ロープが勝手に先生の首に巻き付いて殺した。
そんな非現実的なこと、起こるはずがない。
「う、運転手さんは……?」
そう言ったのは大河だった。
大河は先生の死体の横で棒立ちになりながらも、結へ向けて言った。
結はブンブンと左右に首をふる。
こんなときに人の心配なんてしていられない。
だけどメールが届いていたのは後は運転手さんだけだ。
「とにかく、確認しに行こう」
大河は結の腕を掴んで、どうにか引き起こしたのだった。
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