第8話

☆☆☆


結の話を最後まで聞き終えた大河は大きく息を吐き出した。



まるでずっと呼吸を止めていたかのように、深いため息。



「他の人間を殺すのか……」



部屋の空気は重たく淀んで、ずっしりと体にのしかかってくるようだった。



「さすがに、それは他の連中には言えないな」



結はコクリと頷く。



もしもこの回避方法が知られてしまえば、この施設内での秩序は完全に崩壊してしまうだろう。



死体写真が、このふたつだけで終わるとは限らないのだから。



「でも、それで生き残ったってことは……」



大河はそこまで呟くと結へ視線を向けた。



その目は大きく見開かれていて結はとっさに左右に強く首を振っていた。



「ち、違うの! 私は誰かを殺したりなんてしてない!」



1年前、恋人だった裕之は自分を守るために自らの命を経った。



そう説明すると大河は大きく息を飲み込んで深刻そうな表情でうつむいた。



「そうか。そんなことがあったのか。とにかく、このことはまだ誰にも話さない方がいい。先生と運転手さんに届いているメールが本当に死体写真かどうかもわからないんだから」



大河の言葉に結は小さくうなづく。



あのふたつのメールが本当にただのイタズラであればいいのに。



心からそう願ったのだった。


☆☆☆


結と大河はその後教室へ戻りみんなと同じように勉強を開始した。



外は相変わらずの豪雨で、どこからか助けが来てくれるような気配もみられない。



なにもできないまま、夕飯の準備をする時間が来てしまった。



重たい気持ちで食堂へと向かう。



「結、顔色悪いけど大丈夫?」



心配して声をかけてきてくれたのは明日香だ。



さっきまで恋人の豊と一緒だったはずだけれど、豊は今後方でひとりで歩いている。



「大丈夫だよ」



そう返事はするものの、元気のない声になってしまって余計に心配をかけてしまう。



「全然大丈夫そうじゃないじゃん! 風邪でも引いたんじゃない?」



明日香が結のおでこに自分の手を当てて熱を確認する。



細くてしなやかで、少し冷たい指先が心地いい。



「本当に大丈夫だから」



結が少し無理をして微笑むと、明日香はやっと納得したように豊の元へと戻っていったのだった。


☆☆☆


今日の夕飯の献立はシチューだ。



昨日はカレーだったから、要領はほとんど同じで簡単なものだった。



料理に不慣れな生徒でも積極的に参加できるように考慮されている。



それでも元々あったクラスカーストを完全に崩すことはできないみたいだ。



「あんたもう少し手際よくできないわけ?」



開始早々に声を荒げたのは美幸だった。



由香里がもたもたとジャガイモの皮を剥いているのが気に入らないようだ。



「ご、ごめんなさい」



突然怒鳴られた由香里はビクリと体を震わせて剥きかけていたジャガイモを床に落としてしまった。



ゴロゴロと転がるジャガイモを追いかける由香里。



その姿を見て美幸と静のふたりは大きな声で笑い出した。



「なにあれ」



「だっさ!」



みんなに聞こえる声でそう言うと、好奇心旺盛な毅と哲也のふたりも由香里の姿を見て笑い出す。



嫌な雰囲気だな……。



結は横目でそんな5人を見ながらもなにも言うことができなかったのだった。


☆☆☆


色々なことがありながらもとにかく晩御飯が完成したのもも、結は目の前で湯気を上げているシチューを食べる気にはなれなかった。



もしかしたら後1時間で先生と運転手さんが死んでしまうかもしれないんだ。



そんな状況で食事なんてできるわけがなかった。



他の生徒たちは結の言葉を信じていないからか、普通に食事を楽しんでいる。



その姿を見て結は下唇を噛み締めた。



せっかく勇気を出してみんなの前で死体写真について説明したのに、そんなものやっぱり無駄だったんだ。



そう思うと悔しさが滲んでくる。



「少しは食べないと」



ジッとテーブルを睨みつけていた結に大河が声をかけてきた。



「食欲がないの」



「わかるよ。だけどまだ誰かが死んだわけじゃないんだから」



そう言う大河の声色は明るい。



大河すらも自分の言葉を信じてくれていない可能性はあった。



あの出来事は、実際に経験したものにしか理解できないことだ。



「もういい」



そう言って立ち上がる。



とてもみんなと同じテンションで食事を楽しむことなんてできそうにない。



この場の雰囲気を壊してしまうこともしたくなくて、食堂を出たのだった。

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