5.帰ってきたぜ、地の底からなぁ
016
地上、午後一時十七分。
霊山とも称される山の麓の、不自然に開けた一角。切り拓かれて平地へと均され、けれども建造物の類はほとんど見られないその場所──『ダイバーズギルド』によって厳重管理されている国内最深ダンジョン『SS-02』の出入り口周辺は今、数え切れないほどの人混みに取り囲まれていた。がやがやと騒がしい彼ら彼女らは皆一様に、そのダンジョンの最奥より帰還する人物──多田良メイを一目見ようと駆け付けた見物人たち。出入り口から百メートル四方、許可のない立ち入りを禁ずる柵で囲われたすぐ外には、国内外を含むいくつものマスメディアのカメラが鎮座しており。配信を通して深淵層踏破を全世界に知らしめたメイの姿を今か今かと待ちわびていた。
やがて、柵の内側にいた十名ほどのスーツ姿の男女が、一斉にダンジョンの出入り口へと視線を向ける。そこは、外から見れば地面へと潜っていく傾斜の急な洞窟のように見える。しかしその中は──人が一切手を加えていないにも拘わらず──階段状になっており、少し下って最初に辿り着く小部屋のような空間に、全ての階層の転移ポータルは繋がっていた。
「──あらまぁ。熱烈なお出迎え」
気の抜けるような声とともに、小柄な女性と真っ黒い触手が、出入り口から姿を見せ。
途端に、どよめきと歓声が波のように広がっていく。
「──来ました!多田良メイです!国内最難関ダンジョンの最深部を踏破したS級
カメラを構えていたメディア陣の誰もが、興奮気味に同じようなことを叫んでいる。四方八方から響く歓声に遮られ、その声がどれだけお茶の間に届いているのかは定かではないが……少なくともメイとマリ、彼女らを取り囲んだスーツの人影たちに聞こえていないのは確かであった。メイの背後に浮遊カメラはなく、ポータルで表層に戻った時点で、すでに配信は終了している。
「……あー、まさか満身創痍の遭難者をひっ捕らえて取り調べようってわけじゃないよね?」
くたびれた中に棘の見え隠れするメイの物言いに、黒服たちは気まずげに首を振る。そういった腹積もりも半分はあったが、しかし遭難者当人から突っ込まれれば何も言い返せないこともまた分かっていたが故に。満足そうに頷き返したメイは、視線を一度足元──上の世界の明るさと狂気じみた歓声にビビり散らかし膨らんだり縮んだりしているマリへと向けたのち、再び口を開いた。
「どうしても今話さなきゃいけない相手はたぶん、テイムモンスター管理部だよね?どうせ誰かしら来てるんでしょ?」
言葉を受けて、囲んでいた内の一人、かっちりとスーツを着込んだ中年女性が静かに一歩踏み出してくる。厳つい顔付きのその人物がなにか言う前に、メイは手の甲を向けるようにゆっくりと右腕を上げた。
「……ほら、マリも。打ち合わせしたでしょ?」
呟かれハッと気を持ち直したマリも、体を伸び上がらせて触手を一筋だけ見せつける。並んだ手の甲と触手の先には、全く同じ紋様が刻み込まれていた。無数の細く柔らかな線が、毬のようにまぁるく絡み合っているマーク。メイの白い肌には、きらめくことすらない黒で。マリの黒い表面には、色を抜いたかのような白で。
テイムの魔法によって──形は様々だが──出現するその契約印を、女性はスマホで二、三度撮影し、それから真顔のまま小さく頷いた。
「はいどーも。細かい申請書類とかは後日でいいよね?わたしめっちゃ疲れてんの。今すぐ帰って飯食いたいし水飲みたいし風呂入りたいし今夜はベッドで寝たい」
この場はひとまずお開きだ。有無を言わせぬメイの言葉にスーツ姿の──『ダイバーズギルド』の職員たちは再度頷き、うち一人が何事かを小さく囁いた。
「──ほんと?それは助かる、ありがとー。でもごめんね、お高い車ダメにしちゃうかも。今わたしめっちゃ臭いし汚いから」
戯けるような言葉を合図に、職員たちがメイを護送車へと案内する。迷子を恐れる子供のように、マリがすぐ隣にぴったりついて這う。柵の内側に停められたそれに乗り込むまでのあいだ、メイはそれとなく周囲に視線を巡らせ……そして終ぞ、誰一人として、『パイオニア』のメンバーを見つけることはできなかった。
◆ ◆ ◆
「いやぁー文明さいこ〜」
同日、夜。
緊急入院……どころか簡易な検査のみで即日1DKの自宅(賃貸)へと帰宅したメイは今、ダイニングのソファに沈み込んでいた。ダボッとした無地Tシャツに膝丈のズボンというラフな格好で脱力し、ダンジョンの床とは天と地ほどの差があるクッションに身を委ねる。重篤というほどではない栄養失調&脱水以外にこれと言った異常も見られず(検査医はドン引きしていた)、“じゃあ家で休みたいから完全栄養ゼリー飲料だけいっぱいちょうだい”などと宣いその足で病院から出ていった彼女を、誰も止めることはできなかった。
帰りしなにカロリーを急速補充し、あろうことか帰宅後もおかわりのゼリー飲料を咥えたままシャワーを浴びようとした始末。しかしさて隻腕の身でどう身を清めたものかと思案する彼女を手助けしたのは、
風呂から上がればバスタオル一枚を巻いた姿で水を飲み散らかし、胃がこなれてきたその後は、ゼリーじゃ栄養は補給できても腹は膨れないという考えで常備していたインスタント食品を片っ端から口に運んだ。生来彼女にあった粗野な部分が顕在化していた数時間。
マリの方はと言えば、入浴介助ののちはメイが一息つくまで家の中をもにょもにょと駆け回っていたが……何もかもが未知な探索を経て最も彼女の怒りを買ったのは、自身が得られるはずのメイの排出液をすべて飲み込んでしまうトイレという存在であった。じゃばーっと音を立てて甘美なる排出液を呑み込んでいったそのツルツルテカテカだっせぇフォルムの輩に対して、暫くのあいだマリは怒気も露わに体を大きく膨らませ、また同時に“言っておくけどあたしはもっと凄いやつ貰えるって約束してるんだからね”の触手仕草でマウントを取っていた。
「──なぁにそわそわしてんの?」
そうやって、各々色々しているうちにやってきた夜。
初めて見る上の世界への興味関心、未だ心に燻る便器への憤り、メイが言っていた“もっと凄いやつ”への期待、それらがない混ぜになり落ち着かない心持ちで、マリはメイの隣で蠢いていた。何ならこのソファとやらの妙に柔らかい感触も落ち着かない。
奇しくも時間は、昨晩マリがメイから排出液を
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