017


「……なぁに?もしかしてしてんのー?」


 小さく投げかけたメイの言葉には、からかうような色が含まれていた。マリを見やる眼差しは、細く窄められている。図星を突かれたマリは黒い体をびくりと跳ねさせ、やがておずおずと触手を一振り、メイの方へと伸ばしていった。契約印の刻まれた、あのとき背中を支えたその一本だけがメイの太ももの辺りへと近づき……そして同じ印の浮かぶ右手に、むにゅっと掴まれる。


「すとーっぷ」


 テイム魔法。モンスターとダンジョンの間にある特殊な魔力的結合を解き──つまりダンジョン内にリポップできなくし──、新たに術者と結び直させる魔法。生息する層が深くなるほどモンスターとダンジョンの結合は強くなり、また人間への敵愾心も増していくことから、強力なモンスターが相手では高位のテイム魔法ですら弾かれるのが常ではあるのだが……マリはその魔法の概説を聞いて一切の抵抗を示さず、メイの超低位へなちょこテイム魔法を受け入れた。それが、母触手を倒し転移ポータルを使う直前のこと。ダンハブ民どもは“百合契約の儀じゃん!!!!!!”と馬鹿みたいに盛り上がっていた。


 たしかにマリは今、メイとのあいだに昨日まではなかった言い知れぬ繋がりを感じていた。自分たちが分かち難い存在になったのだという、魂に刻まれた結合。落ち着くようなむず痒いようなその感覚を内に秘め、メイの住処へ無事に帰り着き、こうして今、二人っきりで触れ合っている。

 期待するなという方が無理だろう。何度もリフレインしている“もっと凄いやつ”への期待は、マリの思考をぐずぐずに蕩かし、しかしだと言うのに、メイは伸ばした触手を掴み留めている。


「確かに、マリにあげてもいいって言ったけどさ。わたしその前に、“もうちょっと仲良くなれたら”とも言ったよね?」


 ずがーん。

 マリの心に衝撃が走る。それはさながら、母親を屠った一撃に匹敵するほどの威力であった。

 

 共に命懸けで目的を果たして。テイムの魔法によって魂まで近づいたはず。ここまでやってまだ、仲良くなった判定ではないとでも言うのか?お揃いの紋様まで出てるのに?互いの色を交わし、体に刻んだというのに?あんたのモノって印を受け入れたのに?まだダメなの?おかしくない?もしかして思わせぶりなこと言ってあたしのこと弄んだんじゃないでしょうね??????


 シャーッ!と声が聞こえてきそうなほどに触手を荒ぶらせ、うねり狂うマリ。とてつもなくぷんすこしているその姿に、くつくつと笑うメイ。


「がっつき過ぎだって。こういうのには順序ってもんがあるでしょー?」


 しかししかし、言いながらも脳内で考えているのは、それよりももっと根幹に位置することであった。

 つまり、そもそも自分はマリをどう思っているのかとか、そういう。


(極限状況で突然できた同居人。可愛くて、頼りになるやつ。下にいるときは、そんな感じだったけど……)


 それはもしかして、ダンジョン内遭難という危機的状況に正常さを失った自分が、自身の心を守るために生み出した感情なのではないか。特異なモンスターをヒトに見立てて、精神の崩壊を防ぐための寄る辺にしているだけなのではないか。深淵層で過ごす数日間のうちに、そんな考えが過ぎらなかったと言えば嘘になる。

 しかし昨夜。マリに尿瓶の中身を飲まれ、そして自ら服の縁に指をかけたとき。マリを強くするという合理的な目的意識と、そんなこととは一切関係ない倒錯的な高鳴りが、メイの胸中でせめぎ合っていて。そこでメイには分からなくなった。


 もしかして、自分は、とてつもなくマリが好きなのではないか?


 互いのうちにある根源的情動を、互いの身でもって満たしたいと願う。そんな関係になりたいと、本気で思っているんじゃないか?ヒト代わりではなく、触手の本能まで含めたマリそのものを、欲しているのではないか?

 湧き上がったその疑念を確かめるには、何にせよ極限状況から脱しなければならなかった。命の危機を解消し、平常な世界に戻り、その上でマリが隣にいて、彼女が欲しいと思えるのなら。それは紛れもなく、情愛と言って差し支えないだろうから。そして、それらの条件を無事にクリアしたいま、メイは。


(──めっちゃシたい。ムズムズする)


 わりとムラついていた。

 親愛に係る欲情。マリとシたい。マリが好き。概ねそんなところ。


(シたい、けど……)


 自身の気持ちを確信して、しかしメイはその疼きを抑え込んでいた。まだ、まだ安心しきるには早い。ダンジョン内で死に絶えるという最悪の結末は避けられたが、まだ全ての懸念材料が取り払われたわけではない。むしろ地上に戻ってきた今こそ、気を抜いてはならない問題がまだ残っている。“もっと凄いやつ”は、それを解決してからにしよう。

 そんな気持ちを手指に乗せて、メイはマリの触手を握っていた。荒ぶる彼女を宥めるように、指先の力加減を変える。


「大丈夫、わたしもマリにあげたいよ。だけど……」


 恋人繋ぎに手を握るように、指のあわいに触手をくぐらせる。手のひらから甲へ向けて小指と薬指のあいだを通し、薬指の根本に巻き付けて、今度は中指とのあいだで挟み込む。ふにゅりとわずかにひしゃげたその触手を、さらに人差し指で掬って絡ませ。あわあわと震える触手ゆびの先を、親指で捕まえる。五指の全てを使ってメイの方から絡みつくような、片手と一本の最大接触。ただならぬ雰囲気に気勢を削がれたマリは身をこわばらせ。逃げることも敵わないその触手の先端を、メイがそのまま、ゆっくりと唇へ寄せていく。


「もうちょっと、もうちょっとだけ待ってね、マリ」


 囁きで自身の体表をさざめかせるその穴は、同時にエネルギー補給のための器官でもあるのだと、マリはよくよく知っている。つまり、取り込まれる。捕食される。メイに食べられちゃう……?慄きと共に先程までとは別種の興奮を覚えながら、マリはされるがままに身を任せ。


 

「……んっ。とりあえず今日は、ちゅーだけにしとこ?」

 

 薄紅の、自分の体など比にもならない柔らかなものが、白い契約印の上から触れた。



 その表面を僅かに湿らせていた体液が表皮を通して吸収され──訪れる多幸感に、マリの全身が弛緩する。排出液とは別種の、帯びた魔力はあれよりもさらに少ない、ごく少量の粘液。しかし得られる感覚もまた別物で、むず痒くぴりぴりと落ち着かないまま、けれども体の力が抜けてしまうような初体験。ふにゃっふにゃになったマリの触手から、メイの手指がするりと解かれた。


「マリ、意外とウブだねぇ」


 言葉だけはいっちょ前だが……微笑むメイの顔もまた、真っ赤に茹で上がっており。その夜はもう二人して、くたりと脱力しソファに沈み込むばかりであった。

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