015
ボス部屋に至るまでのマリの勢いたるや、もはや昨日の比ではなく。
七割がたリポップしていたモンスター共を歯牙にもかけず一蹴。メイを小脇に抱え──どこが脇にあたるのかは不明だが──、無数の触手で地を滑り、もに゛ょに゛ょに゛ょに゛ょに゛ょに゛ょっっっ!!!!とノンストップで駆け抜ける。昨夜の撤退時よりもなお早く、僅か二時間そこらでの最速踏破。二人がボス部屋の扉の前に辿り着いたとき、地上ではまだ昼を過ぎて少しといった頃合いであった。どこまでいってもエンタメを見ている心持ちのリスナーたちは、今日も大盛り上がりである。
〈くっっっっそ早くて笑う〉
〈バグみたいな早さ〉
〈カメラもついて行けてなくて抱えられてたからな〉
〈マリさんの気合の入りっぷりがハンパじゃない〉
〈自分で立てた深淵層RTA記録を自分でぶち破る触手〉
マリの色々な意味でのパワーアップぶりに、もうこれわたしいらないのでは?などと冗談めかして呟くメイではあったが……マリの方は共に挑む気満々なようで、メイを降ろして一息つかせたのち、両開きの扉へと
(やる気に満ち溢れちゃってまぁ)
数日の同居を経て、マリが自分と同じく地上へ行きたがっていることを何となしに感じ取れるようになっていたメイ。その為には自分の存在が必要なのだということも、同じく。ここから出たがる理由は分からないが……まあ何でも良い。利害は一致しているし、何より、生きて帰ったあとにもマリがいた方が嬉しい。
しかしその一方でメイは、マリが彼女自身の意思で地上に行きたがっていることは明らかにしない方が良いとも思っていた。通常そんな考えは持たないはずのモンスターがダンジョンから出たがっている、それはほとんどの人にとって──メイは全くそう考えてはいないが──、地上への侵攻を目論んでいるようにしか見えないだろうから。だからあくまで、“マリはなぜかメイを気に入り手を貸してくれている”という体で。
「……ん、おっけー。いこう」
扉が押し開かれる僅かな暇にそんなことを反芻したのち、メイの雰囲気は一瞬で臨戦態勢へと変ずる。昨日と同じく、暗い部屋の中には黒く巨大な触手が怒りに身を膨らませていて。しかし昨日と違って、メイは触手との戦い方を頭に描いている。昨日の僅かな接触と、今朝マリと行ったシミュレーションに基づいて。
「っ」
部屋に踏み入った瞬間にぶぁっ!!と視界のあちこちから殺到する、一本一本がメイの腿よりも太い触手たち。一つの敵意によって無数の軌道を描くそれらを前に、メイは臆さず、ただ、真正面へと足を踏み出す。触手が地面を叩いたときに勝るとも劣らない轟音を響かせて、二歩目でトップスピードに至る健脚が、その小柄な体を前へと押し出していく。今回は様子見ではない。残った体力を使い切ってでも、倒せるのならそれで良い。そんな心持ちで、出し惜しみなど一切なく、メイは高速で黒い触手へと迫る。数多蠢く幾筋の、その中心部を目指して。
「──っ!」
当然そんなことをすれば、母触手はこれ好機とばかりに全方位からメイを捕らえようとしてきた。懐に潜り込もうとする愚かな人間へ、前、上、左右、斜めから、剛腕を叩きつける。一撃でも貰えば、さしものメイも無傷ではすまないだろう質量と速度。迎え撃つのは当然、同種の黒。開戦と同時にメイの背中にへばり付いていたマリが、親のそれよりも細い触手をきっちり同数だけ迸らせ、迫りくる全てを弾き返した。
(よしっ……質量差に出力で対抗できてる……!)
驚くように体表を波打たせたマリの母親に、メイは内心で大きく頷く。サイズでは負けておれども、内包するエネルギー量ではもはやマリに軍配が上がる。その結果として生まれる実力の拮抗に、自分が拳を差し込むのだと。
(親子喧嘩に水を差すようで悪いけど……こっちも命がけなもんでねぇっ……!)
マリが母の
このまま触手で触手を抑え、一気にゼロ距離まで接近してしまえば……そう勝機を見出すメイとマリだが、しかし直後に母個体の放った第二波は、さらに激しさを増していた。マリが一晩で力を得たその
「──くっ、ぅ」
メイの歩みが鈍る。マリが母親の触手を捌き切れなくなる。確かに正面からのぶつかり合いでは拮抗できるが、そも、マリは戦いという行為そのものにまだ完全に慣れてはいない。先よりも数多く多角的に攻め込んでくる触手たちの全てを、最適な角度で受け切ることができない。パワーと質量以外の、触手を振るうことそのものへの“慣れ”の差が、ここに来ての実力差として表れていた。
「うぐぅ……っ!」
そして遂に、マリが弾き損ねた一筋がメイの右腕を捕らえた。前腕にぐるりと巻き付き、そのまま圧潰させようとしてくる。引き剥がすべく触手を前へ伸ばすマリだが……今度は母触手の方が、娘の
(──わたしが足引っ張っちゃ、だめだっ……!)
だからその分、メイが奮起する。
「──S級
声を張り上げ、右腕に目一杯の力を込めた。巻き付かれたまま、そんな痛みなど気にするものかと、凄まじい腕力で触手を引っ張り返す。限界が近い体力をそれでも振り絞れば、やがて腕ではなく触手の方からみちみちと嫌な音が鳴り出した。
「おいしょぉッ!!」
本人的には鬼気迫っているのだろう掛け声とともに、絡まっていた触手がぶちりと千切れる。まさか人間に力負けするとは思ってもみなかったのか、先程以上の驚愕に母触手の体が大きくこわばった。
「すいませんねぇっ、マリのお母さんっ!」
腕を振ってへばりついた触手の残骸をふるい落とすメイの姿に、今度はマリが気を持ち直した。
そうだ。あたしだって膂力では負けてないはず。弾くのではなく掴み、動きを封じれば。
鋭さの減じた母親の触手を自分の触手で迎え撃ち、そのまま絡め取って逃げられなくする。一本また一本と、ただひたすら捕らえることに集中する。マリの母親は数多無数の触手を備えており、捕らえても捕らえても次が襲いかかってきた。
一見して、果てがないように思える行為。しかし単為生殖によって生じた子であるマリは、サイズと質量を除く身体特徴の全てを親個体から完璧に引き継いでいた。素の膂力、速度、光すら反射しない黒い体色。そして、持ちうる触手の本数さえも。
(……マリ、すごぉ……っ!)
時間にして僅か数十秒足らずのうちに、マリは母のすべての触手を捕らえてみせた。拮抗する大小二種の触手が、まるで鳥かごのようにメイの周りを囲み、軋む。娘の手を振りほどこうとする母触手。逃すまいと力を振り絞るマリ。彼女を背負ったメイもまた、地面を踏みしめて助力する。襲われ逃げた昨日とは真逆の心持ち。緊張状態にある親子の取っ組み合いをその腕たちの中で感じながら、メイは小さく息を吸って。
「──マリッ!」
その一声に合わせて、メイとマリは同時に、踏ん張ることをやめた。
抵抗が失われた母親の膂力は、掴んで離さないままのマリとメイを懐へと引きずり込んだ。彼女の望み通りに、しかし予想だにしないタイミングで。
「マリのお母さんっ!」
一足に飛び込みながら、メイは右の拳を大きく引く。しかし足は地を離れており、空中での咄嗟の姿勢制御は、片腕を失っている今の状態では完璧にはいかなかった。
「悪いけど、娘さんはぁッ──」
だからマリが、その背中を支える。逃さないためにと母の触手は全て掴んだままの今、しかしマリには自由に動かせる触手が一本だけ残っていた。メイが母親の触手を一本引きちぎって、使えなくしたから。全く同数の触手を持って生まれたマリは今この瞬間、母親よりも一つだけ、手数が多い。
そのたった一筋で、メイの左肩の辺りを支える。左右の比重を可能な限り均衡させ、右腕を引き絞っているあいだは、左肩を少しだけ前に押す。一瞬の内に、二人は母触手の中心核を射程に捉え。メイが力を開放するのに合わせて、マリがその
「──わたしが連れていきますねぇッ!!!」
ゴアァッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!
爆発でも起きたかのような轟音を立てて、その拳が母触手の中心核を叩き潰した。地震と紛うほどの衝撃が部屋……どころか、深淵層のフロア全域に轟く。無数と一本の触手によって一点へと完璧に集約された破砕は、フロアボスが即座に絶命し、余波だけでその亡骸が千々に弾け跳ぶほど。部屋の入口で委細を見守っていた浮遊カメラも衝撃で地面に叩きつけられ、配信は途切れずとも映像は大きく乱れていた。
〈うぉぁぁあ何も見えん!〉
〈人間が生身で出して良い威力じゃねぇだろこれ!?〉
〈カメラくんがんばえ〜!!〉
〈ここで配信途切れたらほんましょーもないからなお前!?〉
〈途切れなくてもどうせ何も見えんわ!!〉
〈それはそう!〉
〈マジで何も見えん!!〉
〈何も見えんけど!!!〉
〈見えんけど!そんなことより!!〉
〈メイちゃんなんかすげぇこと言ってなかった!?!?!?〉
〈言ってた!!!〉
〈言ってたよな!?!?娘さん貰っていきますね的なことを!!!〉
〈ああ言ってた!絶対言ってた!!!〉
〈言質取ったからなァ!!!〉
〈ここにいる三百万人のダンハブ民が証人やぞ!!!!〉
〈【朗報】S級
〈誰か深淵層単独踏破を祝ってやれよ……〉
〈単独じゃねぇから!!!!〉
〈メイちゃんとマリさんの初めての共同作業やぞ!!!!!!!〉
ダンハブ民たちも大いに乱れていた。
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