05


「──ちょぉーちょちょちょちょ、やめろばかそれめっちゃ高かったんだぞってー」


 宙に浮いた配信用カメラへと飛びかかる触手モンスター。

 間違いなく人生で一番高い買い物だったそれを壊されてはたまらないとメイが慌てて声を上げる。叫びの意味は理解できずともそこに籠められた制止の意図は読み取れたのか、はたまた浮遊カメラそれが意思無き存在であるとすぐに分かったのか。幸いにも触手がそれ以上の攻撃行動に移ることはなかった。


「こ、壊さないでよほんとにぃ……」


 とはいえやはり興味は惹かれるのか、触手は浮遊状態を維持しているカメラに絡みついたまま。力づくで引き剥がすべきかと逡巡するメイを尻目に、無数の触手てゆびでべたべたと球体のあちこちを触っていく。

 浮遊カメラの形に沿ってまぁるく蠢くその姿に(なんか……毛玉とか毬みたい)などとメイが思っている内に、一本の触手がカメラ背面の小さな穴──有線充電用のジャックを発見し……


 ……ずぶり。


「あーっちょっとぉー!?」


 制止する間もなく、その先端を刺し込んでいってしまった。そのまま一本だけが、まるで何かを注入しているかのようにぐじゅるぐじゅると脈動し……合わせて、オレンジ色のランプがチカチカと点滅し始める。


「壊さないでって今言ったばっかりなんですけどぉーっ?」


 流石にこれはと右手を伸ばし、突っ込まれている触手を握るメイ。反射とはいえ無警戒に触れてしまったことに彼女自身も驚いたが、それ以上に全身をビックゥゥッ!?と跳ねさせ大きく飛び退った黒触手モンスターの反応に、かえってちょっと冷静になってしまう。


(ほんっとにモンスターっぽくな…………んんぅーっ?)


 そして、冷静になったが故に気付く。ランプがオレンジ色から緑に変わっていることに。カメラは今まさに、配信専用の面目躍如を果たしていた。


「え、あ、これもしかしていけてる?」


 カメラの向こう側、壁際まで逃げていった触手もこのときばかりはひとまず後回しにし、メイはカメラ本体上部にホログラムで映し出される配信情報に目を向けていた。


『20xx/05/22』『Listener :0』


 最初の文字列は日付……ではなく、デフォルト設定では自動的に配信日時のみが入力される配信タイトル。リスナー数は現在ゼロ人。配信者として見れば落胆以外の何物も想起しない数字ではあるが、今のメイにとってはその表示が出ていること自体に大きな意味がある。


「ほ、ほんとに繋がってる……あんた何したのっ……?」


 再び体を膨らませた真っ黒触手へ、今一度メイの視線が向けられる。無論、答えが返ってくるはずもなく、そいつはただぬ゛るぬ゛ると忙しなさそうに蠢き、彼女を威嚇しているのみ。そうこうしているあいだにリスナー数がゼロからイチに変わったものだから、またもやメイの意識はカメラの方へと戻ってしまう。混乱しきりな心境ではあるが、今この配信に誰かが来たのであれば、やることはただ一つ。緊張と期待で乾く喉を一度こくりと鳴らし、メイはカメラへ向けて言葉を投げかけた。


「──は、はじめましてぇ。わたし、多田良メイっていいますっ。えーっと、その──」




 ◆ ◆ ◆




「──というわけで、至急『ダイバーズギルド』に救助を要請して欲しいっていうか、いやたぶん『パイオニア』の方から出してるとは思うんだけど……えっと、えっと……取り敢えずなんかニュースとかになってない?」


 配信開始から十分後。経緯説明完了。視聴者数七人。


〈フェイク乙〉

〈新人ちゃん注目集めようと必死だねぇwww〉

〈嘘つくにしてももっと設定詰めてから来い〉

〈顔はめちゃくちゃ良いんだけどなぁ……〉


 この時点で、メイの言葉を信じるものは誰ひとりとしていなかった。


(まじかぁ……)


 カメラ下部から投影されている視聴者のコメント欄には、彼女の言葉を嘘と断じるものが数件ばかり。まずそこから読み取れるのは、そもそも『パイオニア』が国内探索者ダイバー管理機関『ダイバーズギルド』にこの一件を報告していない、あるいはギルド側が受けた報告を公表していないらしいということ。国内初の深淵層、穴の底がどうなっているかも分からない状態では救助計画の立案も難航しており、世論にせっつかれるのを嫌って公表を避けている……というのはまあ、有り得そうな話ではあった。


(そしたらこっちから、“穴の直下は安全だからちゃちゃっと助けに来て!”ってアピールすれば良いわけだ)


〈お嬢ちゃんは知らないかもしれないけど、S級探索者ダイバーって全世界で54人しかいないんでちゅよぉ〜?〉

〈現時点で日本には5人しかいないんでちゅよぉ〜??〉

〈深淵層も世界で8例、国内じゃ発見すらされてないんでちゅよぉ〜???〉

〈流石に無知すぎ〉

〈顔の良さだけに全振りしてるのかな????かわいいね♡〉

〈隻腕色白白髪赤目小柄少女ってキャラ付け自体はまあ嫌いじゃない〉


 幸い、視聴者たちはメイを新しいと定めたのかその数が減ることはなく、コメントも煽り一色ではあるがぽつぽつと綴られている。


(……まずは何が何でも今見てる人たちに信じさせて、情報を拡散してもらう……っ!)


「──はいこれライセンス。ここに書いてあるでしょS級ってほらほらほらっ」


 確たる証拠を見せるのみと、メイはポーチから自身の探索者ダイバーとしての身分を示すライセンスカードを取り出した。最初からこれを見せるべきだったのがしかし、何しろこの極限状況下で唐突に配信が始まってしまったのだから、失念してしまうのもまあ致し方ない……などと、自分に言い訳しつつ。


「あとわたし二十二だから」


 本名に生年月日に顔写真、探索者ダイバーランクに登録番号、現在の所属クラン、主な活動歴までもが記載されたカードをこれみよがしにレンズに突き付けたのは、決して煽られてムカついたからではない。ムカついたからではないが、身長や顔付きだけでお嬢ちゃんだの少女だの言われるのは甚だ心外であった。


〈おーいおいおいwwwライセンスの偽造までやってんのwww?〉

〈マジモンのアホで草〉

〈バーカ♡頭よわよわ♡重罪確定♡〉

〈通報しちゃおっかなぁーw?〉


「はーいはい真偽も見極められないパンピーはちょっと黙っててねぇ。『鑑定』スキル持ち誰か一人くらい居ないの?」


 反射で叩いてくる視聴者たちにに違わぬ民度の低さを感じ取りつつ──そして早くもその扱い方を覚えつつ──、ライセンスカードの真贋を見極められる者を探す。簡易な『鑑定』スキルであれば、少しダンジョンに潜ってアレコレやったことがあれば自然と身につくものではある。まあ最悪、通報された末の真偽判定を待っても良いのだが……などとメイが考えている内に。


〈画面越しだから断定はできないけど……これたぶん本物だわ〉


 運良く紛れていたスキル持ちによって、コメント欄の流れが変わる。

 

〈マ?〉

〈うそ乙〉

〈いやこれもし偽物なら本物って鑑定したやつも最悪処罰されるんだろ?ガチなのでは?〉

〈サクラまで用意してんのメイちゃん???〉

〈取り敢えず拡散してみるか〉

〈高位の鑑定持ちに見せたいなこれは〉

〈あ〜あ〜メイちゃん公開処刑タイム始まっちゃったねぇ……♡〉


「良いよ良いよどんどん拡散して、どんどん鑑定しちゃって〜」


 この一人の視聴者によって、多田良メイ──これまで一般知名度は皆無に等しかったS級探索者ダイバーの存在と現状が、一気に拡散されていくこととなる。

 触手は壁際でにょるにょるしていた。

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