2.想定外のデビュー
04
「…………近い…………」
──ビククゥッ!!!と、黒い触手が飛び跳ねた。
目を覚ましたメイが真っ先に気付いたのは、あの警戒心丸出しだった触手モンスターが、体に触れるか触れないかというほどすぐ近くまで寄ってきていたこと。そして次に気付いたのは、そいつがメイの声を受けて一気に数メートルほども後退していったこと。それからようやく、左腕が無いことの違和感に意識が向いた。
「……ほんとに小動物っぽいね……」
呟きながら上体を起こし、自身の体をチェックしていく。一分と経たず確信を得られたのは、自分が生きていて、毒も完全に取り払われ、左腕の切断面も大事なく塞がっており、そのほか命に関わるような問題も見られないということであった。
(それと……こいつからは何もされてないってことも)
あいも変わらず真っ黒なその触手は今、遭遇当初のように体を膨らませており……どうもそれは怒りや驚きの感情を表しているのではないかとメイは直感的に理解する。やはり敵意の類は感じられないことをしかと確かめたのち、腰のポーチに右手を突っ込み簡素な──そのぶん頑丈な──懐中時計を取り出した。
(四時間は経ってるかな……我ながら、丈夫な体ってのは良いもんだねぇ)
灰燼龍を撃破したのは、確か十五時かそこらだったはず。半日以上寝ていたのでなければ、今は十九時も半ば頃。空腹の具合からしても四時間程度の経過で間違いないだろう。通常であれば容易く死に至るであろう危機を経ても僅かな休息で小康状態にまで落ち着いているのは、彼女の体が尋常ならざる頑強さを誇っているが故であった。
「……とりあえず、エネルギー補給」
呟きながらメイは、時計をしまうのと入れ替えに携帯糧食を取り出す。黄色い箱の中には長方形のブロックが四つ、カロリーをメイトするチーズ味のそれを一本……の半分だけかじってから、残りはすぐさまポーチにしまい込み。もそもそと咀嚼しながら考えを巡らせる。
(……ムジナが何が何でも助けようとしてたら、今頃わたしは地上のベッドで目を覚ましてたはず)
そうなっていないのは、彼が委細不明な深淵層の危険度を重く見たからか、あるいはサフラが言葉巧みに引き止めたからか。救助計画を慎重に練っているという線もあるが、もしも彼らがその為に一度地上に戻ったのだとしたら、再度深層深部に辿り着くのには時間を要するだろう。時間経過でリスポーンするであろう灰燼龍を、メインアタッカーのメイ抜きで再攻略しなければならないのだから。
「完全に見捨てられた……とは、思いたくないけどねぇ」
最悪の想定は、だからこそつい口をついてこぼれ落ちてしまう。
小さなそれを耳聡く──どこが耳にあたるのかも定かではないが──聞き取ったのか、黒触手は膨らんでいた体をもぞもぞと揺らして萎ませていく。それから、地面を這ってそろりそろりとメイの方へと近づいていき……しかし一メートルも進まない内に、逡巡するようにその歩みを止めた。
「……警戒してるのかしてないのか、どっちなのさあんたは」
終始モンスターらしからぬその振る舞いに、メイの肩から力が抜ける。地上や『パイオニア』側の状況は分からないが、だからといって悲観的なことばかり考えていても仕方がない。もっと建設的に、現時点で自分が何をするべきかに考えを巡らせ──
「──待った」
記憶の中から浮上してきた一つの可能性を求めて、再びポーチに手を突っ込んだ。
「えーっと……たしか持ってきてたはず……」
ダンジョン内においては、空気中に混ざり込んだ高濃度の滞留魔力によって、既存の電子機器や火器兵器類のほとんどが何らかの悪影響を受ける。故にメイがいま探しているのは、中層程度までなら使用できる──つまり今は何の役にも経たない──高性能スマホではなく。もっと一つの用途に特化した、それゆえに深層でも稼働するのが売りだというとあるアイテム。『パイオニア』脱退後に始めようとしていた“あること”のための道具。
「……あった!」
小さなポーチの口からずるりと引きずり出されたのは、ボウリング玉ほどのサイズ感の球体──ダンジョン探索配信専用浮遊カメラであった。
色々な意味でサツバツとした最前線攻略など辞めてやるっ……と言ったとて、高校も卒業しない内から
(“魔力・電力両対応!”“ダンジョン内では滞留魔力を利用して長時間の稼働も可能!”“深層でもばっちり生配信できます!”……だったっけー?バカ高かったんだから売り文句通り……いやそれ以上の活躍はして欲しいもんだけど、さて……)
初期充電・初期設定、地上での動作確認は買ったその日にウキウキで試している。配信専用カメラと言うだけあって、設定後は頭頂部のスイッチを押すだけで、既に作ってある配信チャンネルから自動で動画配信を開始する仕様になっていた。あとはこれが、動作保証外の領域である深淵層で機能するか否か。もし生配信が可能であるならば、それを通して地上に助けを求めることができるのだが……
「えー、では……ぽちっと」
…………………………………………、
……………………、
…………。
「……起動はした、ね……うん……」
スイッチを入れられた浮遊カメラは、その名の通り人の目線ほどの高さまでひとりでに浮かび上がっていった。中央に埋め込まれた大きなレンズも動作しているように見える。が、しかし。
「配信はー……できてないっぽい」
カメラの上部にある小さなランプはオフラインを示すオレンジ色に点灯しており。それが緑色になっていなければ、今現在、配信は開始されていないということになる。
「撮影はできてるっぽいんだけどねぇ……」
残念ながら地上とは繋がっていない。立ち上がったメイの動きを追うように、ただレンズ及び本体の向きが微細動するのみ。一つの望みが絶たれ落胆するメイの様子を、その機材は音もなく捉えていた……のだが。
「──んぉ?」
不意にその焦点がメイからずれる。画角の端で大きく動いた存在──浮遊カメラを不思議がり近寄ってきた黒い触手に反応し、そちらへとフォーカスを向けた……と思いきや今度は、自身に焦点が向けられたことに気付いた触手が驚きのままに、凄まじい速さでカメラへと飛びかかっていった。
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