編集済
キリシタンでもあり出家もする
たしかに今の感覚だと不思議です
キリシタンが禁止される前は普通にある事だったのでしょうか
先日京都のお庭に有楽椿のあるお寺のご住職に椿のお話を聞いたばかりです
追記
レビューなのに申し訳ございませんでした
今訂正致しました
有楽椿…御陵衛士野屯所のお寺なんです
時期的に藤堂平助は見れなかったかもですが
作者からの返信
コメント付きレビュー、ありがとうございます!
歴史ものって、背景とかそういうのが分からないと「?」となってしまいますので、その辺を苦心しております^^;
それを、美しいとまでおっしゃっていただいて、とても嬉しいです!
キリシタンで出家、キリシタンの宣教師さんたちからすると「ちょっと待て」と言われちゃうかもしれません。
でもこの時代のこの国だと、同じ仏教のちがう宗旨でも兼ねて入っていたみたいなので、そういう感覚でキリシタン&出家だったのかもしれません。
有楽椿、綺麗な椿です。
その椿が植わっているお寺さんのご住職にお話を……。
実にうらやましいです!
ありがとうございました。
ではではノシ
拝読致しました。
キリシタンでありながら出家。
なんか、正月は初詣し、結婚式は十字架に誓い、ご先祖を法要する現代人のまさしく御先祖であると、数百年を遡り変わらない雰囲気を感じてクスリとしました(^_^;)
大いなる素晴らしき月の前で独自の美を誇る小さな蝶のような人生、そんな皆から愛された小さな蝶のような人生も素敵な人生だな、とか思ってしまいました。
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
キリシタンだけど出家。
でも日本人って、そういう許容性のある人たちだと思うので、有楽となればなおさら「ま、いいか」と出家したんじゃないでしょうか^^;
乱世を、英傑たちという月を、それを背景として飛ぶ蝶。
フラフラしてんなぁと思われても、それでも「美」を表現し、それにおいては一流となった男・有楽。
書き終えて、私も「素敵」と思えるようになりました、有楽。
ありがとうございました!
織田家の家紋が揚羽蝶というのをはじめて知りました。そして月を飛ぶ蝶のような有楽さん。先に逝った兄たちとの関係性もいいけれど、甥たちも有楽さんを大事にしていたのがすごく伝わってきました。のらりくらりなイメージが先だったけれど、こうして晩年まで生きて長寿を全うする。美しい生き方だと思います。
作者からの返信
揚羽蝶の家紋……私もこの同題異話の企画で蝶で戦国とかで検索して、初めて知りました(笑)
そこから、戦国の世を、月を飛ぶ蝶のように生き抜いた有楽というお話を思いつきました^^;
信忠も信雄も、有楽さんのことを軽んじずに、大切に扱っています。
拙作では信雄は有楽のことを嫌いになったという設定ですけど、史実ではそんなことはありませんので(笑)、なおさらです。
……そういう天下人の一族に囲まれて、それでも己の求める美を追求して、乱世を生き抜いた有楽。
私も、美しい生き方だと思います^^;
ありがとうございました。
こんばんは、御作を読みました。
ええーっ、ここで終わるの、と思いつつも、テーマはきっちり描かれたのかと切れ味に愕然としました。
信忠さんも、信長さんも、実は家族思いで、有楽斎さんが家族を愛したように、彼もまた愛されていたのだなあって。面白かったです。
作者からの返信
お付き合いいただきありがとうございます。
淀君との陰険漫才(笑)や、ウッカリ悪左府と同じ名前をつけちゃった息子との親子喧嘩(笑)を書いちゃうと、長編になっちゃいますから^^;
そしておっしゃるとおり、有楽さんの生き方も有り、というようなテーマなんで、そこは端折らせていただきました。
切れ味とおっしゃっていただき、恐縮です^^;
有楽さん、信長からすると末っ子の弟(?)みたいな感じで、信忠さんからすると歳が近めの叔父さんという感じで、親しみを持たれていたと思います。
あとは、有楽さん、茶人として一流なので、そのあたりに信長や信忠から愛される何かがあった、と邪推しております^^;
ありがとうございました。
茶室の丸窓を通した蝶を月を飛ぶようというのは、実に上手いですね。
これはやられた、と思いました。
武士の生きざまではないかもしれませんが、なんと言われようが戦国時代を生き抜くというのも、ある種の才人だったんだなと思います。
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
丸窓の件は、実は書いている途中で思いつきました^^;
ラストシーンは如庵なんで、そこを書く前に改めて調べてみると、窓が丸いと気づきまして^^;
有楽さん、茶人としてはともかく、武士としてはちょっと……と思ってました。
でも、こうして改めて書いてみると、どちらかというと文人であり役人であり、死ぬまで戦うよりは、生き抜いて働こうとしていたんじゃないかな、と思いました。
結果、生を全うしたから、やはり異能といえば異能の持ち主だったと思います^^;
ありがとうございました。
この時代、仏教でも複数の宗派で法名をもってる人もいますよね。そういう感覚だったのかも。
現在から見ると、「天下人」の弟に生まれながらパッとしない生涯を送った人、という印象がありますが、御作を読むと、その立場から、激動の世の移り変わりを見るとこう見える、という感慨があります。
乱世にもこういうひとは必要ですよね。
今回、調べてみて、有楽町のあたりに織田有楽の屋敷があったのは俗説という有力説を知りましたが、東京駅の隣ということは江戸城のすぐ前ということで、江戸城門前に近いところに屋敷をもっていたと伝えられるのも、その人徳のおかげなのかな、とも思います。
信雄も、子孫は明治まで大名として残りますしね。
おもしろかったです。ありがとうございました。
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
仏教って、宗派のマルチ(?)がOKだったんですか。
それは知らなかったです。
だとすると、たしかに出家しつつキリシタンであってもOKという風になりますね。
……イエズス会からすると、「ちょっと待て」と言われちゃうかもしれませんが^^;
有楽さん、私も「茶人として有名だけど、それだけ」みたいなイメージを抱いていました(笑)
しかし改めて書いてみると、この人なりに政治外交に絡んでいて、そして有為転変を見て経験していて……というところもあったんだなぁと思いました^^;
たしかに、こういう人も必要さと思います。
有楽町の話、私も作中で採り上げようかなと思って調べました。
単なる語呂合わせで、有楽は関係ないという話でしたが、もし有楽がホントに住んでいたら、なるほどお城に近いですね。
何だかんだいって、信雄の補佐や淀君の補佐で、徳川との交渉にあたってきたでしょうし、その辺りの積み重ねが評価された結果かもしれません。
信雄も、何だかんだ言って、信長の子としてはかなりの長寿で、しかも大名として残っているところが凄いと思います。
有楽も信雄も、戦国から太平にかけて、彼らなりに生き抜いた。
信長とはまたちがった意味で、これは凄いことなんじゃないかな、と書き終えて思いました^^;
ありがとうございました!
美しい小品でした。
よくできた茶道具のようで、有楽さんに似合ってます。最後に兄弟の笑顔が浮かぶのも、ほっとしますね。
なんだかんだ言って泰平の世が一番だと、生き残った二人は思うことでしょう。
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
実はこの如庵という茶室を、描いてみたかったのです。
そしてその作り手である如庵・有楽を……。
そのため、美しい小品、よくできた茶道具のようというお言葉、まことに痛み入ります。
信長や信忠に気を遣ってもらい、生き抜いた有楽。
最後の最後には、信雄とも和解し、おっしゃるとおり、泰平の世を楽しんで生きていたことでしょう……。
ありがとうございました。