第12話 愛の原資
私の考えていることは、はたしてちゃんと妹に伝わったのだろうか。いいえ、ちゃんとじゃなくてもいい。全てが伝わっていなくてもいい。たとえわずかでも、なにかしらの共感をもってもらえたのなら。
不意に、妹が振り向いて言った。
「姉さん、姉さんは今、ほとんどの人間がその心の中に“男性的要素”と“女性的要素”をもっていると言っていたけど、それらは一体なんのためにあるの?」
その質問に私は驚かなかった。それは、私の想定する範囲内にあったから。しかし、その質問にすぐに答える気にはなれなかった。私の用意していた答えは、自分でいうのもはばかれるくらい、ほんの少しだけ勇気を必要とするものだったから。
「lua、その質問は当然よね。実のところ、私にもよくわからない。けれど、この絵『モナ・リザ』を見ていて思うことが一つだけあるの。というか、今の私にはそれしか思い浮かばない」
妹は黙ったまま、私を見ていた。
「“愛の原資”よ」
つぶやくように言ってしまった私は、妹に聞き返される前に、息を込めて再び言い直した。
「“男性的要素”と“女性的要素”というのは、“愛の原資”となるもの、つまり愛の元になるものだと思う」
「愛のゲンシ? 愛の元?」
私は、自分の中にある答えについて、思いつくままに話を始めた。その答えは、ほとんど自分の直観に従うもので、あやふやなところが確実に存在し、整理するなどということがそもそもできなかった。
「“男性的要素”と“女性的要素”という2つの異なる要素があるからこそ、私たちの心は自ら愛を生みだすことができるし、他の人からの愛を享受することもできるのよ」
「キョウジュする?」
「愛を受け取ることができるということよ。受け取った愛は、“男性的要素”と“女性的要素”のそれぞれに振り分けられ、そしてそれらをさらに強くするのだと思う」< pic 39>
妹はキョトンとした顔をして聞いていた。
「私たちは、自分の2つの要素を使って愛を生み出して、自分自身や他の人に与えることができる。さらに、自分の要素と他の人の要素とをお互いに組み合わせることで愛を育むことができるし、そうして生み出された愛を互いに分かち合って、また他の人にあたえることもできる」< pic40 >
妹からの相槌はなかった。この私が『愛』について語るなど、彼女にはほとんど予想だにしなかったことなのかもしれない。
「私たち人間は、自分を含むすべての人々を愛し、その愛を共有して循環させることができる。ホモ・サピエンスは、そういうことのできる種族なのかもしれない」< pic 41>
私が、壁にかかった『モナ・リザ』の方に顔を向けると、妹もそれに合わせるように顔を絵の方に向けた。
「さっきも話をしたけど、この絵の背景、つまりレオナルドの“理想郷”には、水と、そして空の大気がとても印象的に描かれているように私には思えるの。水は雲となり、雨となって大地に降り注ぎ、川を下って海へと流れ、そしてまた雲になる。そうして世界中をくまなく循環するものよね。もちろん、大気も。レオナルドは、人間の愛情も、そうして人類全体を循環してゆくものと考えていたんじゃないかと思う」
私は、自分の胸の内にあるものすべてを解き放った。どういう結果になろうと、とにかく終わりまでたどり着いたという安堵感のようなものが私の中にあった。
「……」
妹は、じっと私を見ていた。そして突然、
「姉さん! 姉さんって、そういう人だったんだ!」
妹の顔には、すごく久しぶりにみたような優しい笑顔があった。
「うふふふ、すごい、すごいよ、姉さんは! 姉さんの言う通り、私もそう思う。ほんとにそう思う」
妹は自分の両手で私の両手を握り、何度か上下に振った。珍しく妙にはしゃいでいた。
「ちょっと、lua、どうしたのよ?」
「ううん、なんかうれしくて。ほんとの姉さんに会えたような気がして」
本当の私? そう言われた私は一瞬どきっとした。
「愛の循環かー、そんなこと今まで考えてもみなかったな。でも、男性的要素と女性的要素をもっている意味が、それでよくわかるような気がする。確かに、私にも男っぽいところはあるし」
「lua、私だって、この絵のことを調べるまでは、男性的要素や女性的要素、そして愛のこととか、そういうことをほとんど考えたことはなかったわ。それに、そもそも、レオナルドがそういう風に考えていたことを証明するものを私は何一つもっていないし、あくまで個人的な解釈にすぎないということを忘れないでほしいの。ただ、愛に関する私の考えはともかくとして、人間が男性的要素と女性的要素の二つをもつということは、あの絵によってすでに証明されているように思う」
「どういうこと?」
「『モナ・リザ』は、500年以上にもわたって今もなお多くの人々に受け入れられているでしょ? それも最高傑作と称されるほどに非常に高い評価を受けながら。もし仮に、世の中の人間の大半が、男性的要素と女性的要素のうちのいずれか一方だけしかもっていないとしたら、たぶんそういうことにはなっていないと思う」
「つまり、あの絵が、こんなに有名になることはなかったってこと?」
「そう。ありえないのよ。そういう人たちが、あの絵から感じ取れることはせいぜい半分程度。それって裏を返せば、ほとんど何も伝わっていないのと一緒よ。自分の力を半分しかだせないアスリートが試合で勝てるわけがないのと同じ理屈だわ」
「なるほどそうね、男性的要素もしくは女性的要素しかもたない人たちから見たら、あの絵は、なんだかよくわからない違和感のある“変な絵”か、もしくは、よくある“普通の絵”ぐらいにしかみえないかもね」
「ええ、おそらく。この絵は、人間の本質をとらえているものだからこそ、いくつもの時代を超えて、多くの人々に愛されてきたのよ」
「うん、確かに。それにしてもレオナルドはすごいわね。こんな風に女性と男性のモデルを融合させて人間の本質を表そうとするなんて」
「lua、もしかしたら、そうした試みを行っているのはこの絵だけじゃく、すでに他の絵でもなされていたかもしれないわよ」
再度、私はノートパソコンを操作して、『最後の晩餐』を画面に映し出した[注17]。<pic42 >
「最後の晩餐?」
「ええ、そうよ。Lua、私がさっき言ったことを覚えてる? この絵のイエス・キリストの右隣にすわっている人物が“女性”かもしれないと言ったこと」< pic 43>
「うん、覚えているよ。この人は“聖母マリア”だって言っていたことでしょ?」
「そうよ。あなたから見て、この絵を見ていて不自然に思うことはない?」
「うーん、さっき話してくれた“使徒ヨハネの右手”の部分以外は特にないけど……あえて言うとしたら、イエス・キリストと聖母マリアとの間がちょっと空きすぎているところかな」
「そう、そこよ!」
「え? そこ?」
「ええ、ここの所謂“V字空間”[注27]についてはいろいろな説があるようだけど、私は、この部分には、背後の柱の部分を含めて“大きな矢印”が描いてあると思うの」< pic44 >
「大きな矢印?」
「ほら、ここの柱と窓枠の下の部分とを合わせると……」
「なるほど、確かに“下向きの矢印”にみえるわ。でもそれってどう意味?」
「つまりこれは、この矢印の先の部分をよーく見なさいっていうメッセージじゃないかと思うの」
「ええ? で、よく見るとどうなるの?」
「いいからやってみて。いい? じっと見続けるのよ」
「見続ければいいのね? えーとっ……あー焦点がぼやけてきた、あっ! 『聖母マリア』と『イエス・キリスト』の姿が重なった! 聖母マリアが、その右手をイエス・キリストの右肩に載せて、イエス・キリストの背中に優しく寄り添っているみたい」< pic45 >
「そうよ! レオナルドは、まさしくそれを意図してるんじゃないかと思うの。つまり、そうした視覚的な効果を使って、男女のモデルを融合させることをね」
「はー、なるほどねー」
「ただ、この絵は壁画として描かれたもので実際にはどう見えるのか私には分からないし、正直、かなり強引な解釈だとも思うのだけれど」
「いいえ、案外、姉さんのいうことが正しいかもよ。『最後の晩餐』では敢えて男女のモデルが分離しているところを描いて、見る者に視覚的に融合させ、一方の『モナ・リザ』では敢えて男女のモデルを融合させているところを描いて、その解釈によって分離させているとすれば、そのテーマに一貫性がでてくるもの」
ああ、そうか、なるほど。
あまりないことだけれども、私は妹の言葉に思わず感心して、納得してしまった。
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