第11話 両性のスペクトラム

 私は、妹にいぶかしく思われるのを覚悟しながら、一つだけ大きく深呼吸をした。


「lua、レオナルドはね、研究者であり、探究者でもあったの。一枚の絵を仕上げるためにありとあらゆることを調べまくっていたそうよ[注3][注4]。おそらくそうした飽くなき探究心こそが、彼のことを完璧主義者と言わしめた理由の一つになっていると思う」


「うん……そうなんだ、えーと、その、だから何?」


「つまり、レオナルドは、“究極の美”といった現実離れしたものを描こうとしたんじゃなくて、“人間の本質”を描こうとしていたんじゃないかと思うの」


「人間の本質?」


「そう、私たち人類、つまりホモ・サピエンス(Homo sapiens)の本質よ」


「わかんないよ。それって、一体どういう意味?」


「私たち人類は皆、“男性的要素”と“女性的要素”の2つを合わせもつ存在だということよ」


「“男性的要素”と“女性的要素”とをあわせ持つって、え? じゃあ、私は女だけど、“男性的要素”も持っているってこと?」


「そうよ」


 私は少しだけ間をおいた。できるだけわかりやすく妹に説明するために考えを整理した。だけど、正直それでも自信はなかった。こんなことを考えているのは、少なくともこの国では私だけかもしれないから。


「lua、最近、LGBTという言葉をよく耳にするわよね」


「性的少数者といわれている人たちね。たしか、Lはレズビアン(女性同性愛者)、Gはゲイ(男性同性愛者)、Bはバイセクシュアル(両性愛者)、Tはトランスジェンダー(性同一性障がい者を含む、心と出生時の性別が一致しない人)よね[注25]」


「そうよ。私は、実はこの人たちこそが、人間の本質を理解する上で重要な役割を果たしていると思うの」


「どういうこと?」


「事実上、性的少数者とよばれる人たちと、一般の人たちとを分けることにはあまり意味がないんじゃないかということ。もちろん、性的少数者同士の間でもね」


 私は、化学を専門とするある科学雑誌を本棚からとりだした。そしてページをめくり、ある記事のところを開いた。


「この雑誌にも掲載されているように、“性スペクトラム”という考え方を提唱している日本人研究者がいるわ[注26]」< pic 36>


「性スペクトラム?」


「ええ、生物の性別を、これまでのようにオスかメス、人間の場合は男性か女性という、二項対立式でとらえるのではなく、連続する表現型でとらえるべきとする考え方よ」


「???」


「難しいことを言ってごめんね。つまりね、生物は、かならずしもオスかメスのどちらかに分けられるんじゃなくて、その中間的な性質をもつ生物も存在するという意味なの。例えば、メス寄りの性質を示すオスがいたり、逆にオス寄りの性質を示すメスがいるということ。オスの程度やメスの程度が個体によって少しずつ違っていて、こんな風にそれらが連続しているのよ」


 私は、妹に、その雑誌に記載されている図を見せながら話した[注26]。


「へえー」


「私は、この“性スペクトラム”という考え方を借りて、人間の心について考えてみたの」


「どう考えたの?」


「人間の心には、“男性的要素”と“女性的要素”という2つの異なる要素があって、それぞれがスペクトラム(連続性)を形成しているんじゃないかということ。例えば、男性的要素と女性的要素のそれぞれが、0~100%の間で連続しているとするわね。このとき、男性であっても、男性的要素よりも女性的要素の方が多ければ、自分の性を女性と認識し得るだろうし、男性的要素と女性的要素が同じくらいだったり、あるいは時と場合によってその比率が変わる人もいるかもしれないから、そうした場合は、自分の性がどちらに属するのか判断し難くなると思うわ。もちろん、このことは女性の場合にもいえる」< pic37 >< pic38 >


「ということは、例えば、トランスジェンダーと呼ばれる人たちは、男性の場合は女性的要素の方が多くて、女性の場合は男性的要素の方が多い人ということ?」


「おそらくね」


「じゃあ、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアルと呼ばれる人たちの場合はどう?」


「うーん、基本的には、どういう相手を恋愛対象とするかは、その人の好みや相性などによるところが大きいと思う。ただ、トランスジェンダーと呼ばれる人たちほどではないとしても、男性の場合は女性的要素が比較的多くて、女性の場合は男性的要素が比較的多いということはあるのかもしれない」


「ふーん」


「私の知人に自分のことをゲイと言っている人がいるんだけど、その人の交友関係をみてると、普通に女性との付き合いもあるみたいだし、その人の友人のゲイの中には、女性と結婚して家庭を持っている人もいるそうよ。ゲイとは言っているけど、バイセクシャルに近い感じなのよね」


「へえー」


「そういうことを踏まえて考えると、好きになる対象が同性の場合もあるというだけで、ゲイとバイセクシュアルとの間の境界というのは、実はかなりあいまいなものなんじゃないかしら。ゲイに近いバイセクシャル、または逆にバイセクシャルに近いゲイといった具合に、中間的な性質をもつ人だっていると思うの。もちろん、このことはレズビアンとバイセクシャルとの関係にもいえると思う」


「じゃあ、そう考えていくと、“一般の人”の場合も……」


「そうね。“性的少数者”と“一般の人”みたいに分けるのは良くないと言っておきながら矛盾するようだけれど、説明のために敢えて“一般の人”という言い方をさせてもらえば、ゲイ、レズビアン、もしくはバイセクシュアルに近い“一般の人”だっておそらくいると思う。つまりこれらのことは、“男性的要素”と“女性的要素”という2つの異なる要素がスペクトラム(連続性)を形成していることを裏付けていると思うの」


「うん、うん、なるほどねー」


「男性の容姿をもつ人は男性的要素の方が勝る人の方が相対的に多くて、また女性の容姿をもつ人は女性的要素の方が勝る人の方が相対的に多いということは言えるかもしれない。けれど、スペクトラムを形成している以上、女性的要素の方が男性的要素に勝る、もしくは女性的要素と男性的要素とが同等という男性がいることは当然のことだし、同様に、男性的要素の方が女性的要素に勝る、もしくは男性的要素と女性的要素と同等という女性が存在することも当然のことなのよ」


「うん、うん」


「この考えに従えば、人によって“男性的要素”と“女性的要素”の比率はそれぞれ異なることになるから、人の数だけ“性”があるといってもいいかもしれないわね。ただ、結局、2つの異なる要素を持っているという点ではほとんど皆一緒なのよ。男性的要素または女性的要素のいずれか一方しかもたないという人間の方がむしろ稀な存在だと思う」


「そうか……じゃあ、LGBTとか、そんな風に分けようとするのは意味がないのね」


「いいえ、必ずしもそういうことでないわ。分けることになんらかの意義があるのならそれはそれでいいと思うの。例えば、そうした人々がいるということを、世の中に広く知ってもらうためとかね。だけど、分けることで不当な差別を生み出し助長してしまうような場合は、むしろ無くすべきだと思うわ」


「確かにそうだよね」


 そう言いながら妹は、私との会話から距離を置くように、その身体を壁の『モナ・リザ』の方に向けていた。

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