第9話 鏡像のイエス

「それじゃ姉さん、次はイエス・キリストの方ね」


「ふふ、慌てないでlua。ことわっておくけど、イエス・キリスト(Jesus Christus)に関するイニシャルではないのよ」


「へ? どういうこと?」


「イエス・キリストは、“救世主”とも言われているわよね。つまり、この絵に描かれているのはその“救世主”に関するイニシャルなの」


「キュウセイシュ?」


「そう、“世界の救世主”を意味する『サルバトール・ムンディ(Salvator Mundi)』よ[注20]」


 私は、再びノートパソコンを操作して、『サルバトール・ムンディ』の絵画を画面に映し出した。


「この絵は、1500年ごろ、フランスのルイ12世のためにレオナルドが描いたものだそうよ[注20]」< pic27 >


「サルバトール・ムンディか……私、初めて見る絵だけど、この人なんとなく、さっきのサライに似ていない?< pic11 > なんていうか、巻き毛の感じとか」


「『洗礼者聖ヨハネ』や『バッカス』と同じく、この『サルバトール・ムンディ』のモデルもサライだったんじゃないかっていう説もあるみたい[注21]」


「へえーそうなんだ。で、姉さんは、この『サルバトール・ムンディ』に関するイニシャルが『モナ・リザ』に描かれていると解釈しているわけね? それはどの部分?」


「ここよ」


 私は、『モナ・リザ』の右側に描かれている“曲がりくねった道”の部分を指さした。


「えっ、ここ?」


「そうよ、この“曲がりくねった道”が『サルバトール・ムンディ(Salvator Mundi)』を示す『S』よ」


「S? いや、姉さんちょっとまって、この道の形って「S」の字になっていないよね? なんだか変よ」< pic 28>


「それは、“鏡文字”だからよ。左右の向きが逆になっているの。レオナルドは、左利きだったということもあってか、“鏡文字”を多用していたらしいわ[注3][注4]」


「そうなの? じゃあレオナルドは、“鏡文字”で『サルバトール・ムンディ(Salvator Mundi)』のイニシャル『S』を示したってこと?」


「それだけじゃないわ。この“鏡文字”もメッセージになっているの。つまり、ここの部分は鏡を使って見てみなさいと言っているのよ」


「そうか、なるほど」


「鏡を使うのももちろん良いけど、今回は、ノートパソコンを使ってここの部分の画像を反転させてみるわね」< pic 29>


 私は、ノートパソコンの画像編集ソフトを立ち上げて、画像を反転させたものを元の画像と合わせてみせた。


「あっ! 姉さん、これって何?」< pic30 >


「何に見える?」


「うーん、上の方は、何かのボトルかな。それと、下の方に見えるのはグラス?」


「そうね。私にもそう見えるわ」


「それって、何を意味しているの?」


「私は、上の方は“聖水もしくは聖血の入った瓶”で、下の方は“聖杯”だと思っている」< pic 31>


「え? “聖水又は聖血”と“聖杯”? どうして?」


「うーん、残念ながらその点については確証をもっているわけじゃないの。けれど、よく見てみると、この2つのアイテムは、そのディテールがとても丁寧に描かれているわ。ここまで力を入れて描いているということは、何かとても重要なアイテムであることを意味していると思うの。先の『聖母マリア』のことをふまえると、キリスト教に関係するものをね」


「それがつまり、“聖水又は聖血”と“聖杯”だと?」


「そう、そしてそれらから連想される人物は、私には“イエス・キリスト”しかいない」< pic32-1 >


「確かに、そうだね」


「実は私、この『S』の文字は、サライ(Salai)の『S』かもと思っていたの。でもやっぱりちがう」


「どうして?」


「さっきの聖母マリアの『M』の文字も、この『S』の文字も、『モナ・リザ』の背後に描かれた風景の一部として描かれているでしょ。『M』は“川縁と2つの橋”で、『S』は“曲がりくねった道”として。“橋”と“道”はいずれも人の存在を示唆するものでしょ?」


「うん、そうだね」


「一説によると、この『モナ・リザ』の背景は、実在する場所じゃなくて、レオナルドが想うある種の“理想郷”を描いたものらしいの[注5][注1]」


「理想郷?」


「だとすれば、その“理想郷”の住人としてもっともふさわしい人物はだれかと考えてみると……」


「そうか! “聖母マリア”と“イエス・キリスト”をその住人にしたというわけね」


「ええ、二人のイニシャルを“理想郷”の中に潜ませることでね」


 ここまで話をした私は、壁にかけてある『モナ・リザ』の方に顔を上げた後、再びluaの方を向いて言った。


「lua、実はもう一つあるのよ。この絵に“聖母マリア”と“イエス・キリスト”が描かれていることを示すものが」


「え? 本当に?」


「ええ。ただそれは、私の目の錯覚によるものかもしれないし、はっきりとしたことは何も言えないのだけれど」


 私は、『モナ・リザ』の左腕の上腕部分を指さした。


「ここの部分をよく見て。青年の顔が描かれているように見えない?」


「え? うーん……あっ、ほんとだ。見える、私にも見えるよ姉さん。瞳の大きな美少年風の人が」


「よかった。あなたにも見えるのね。それじゃ次は、さっき用意した『モナ・リザ』の反転画像で同じところを見て。つまり、反転しているから、今度は『モナ・リザ』の右腕の上腕部分になるわ」


「……あれっ? なんか変だわ。青年の顔に見えない。これって……」


「あなたにも見えないのね。そう、私にも見えなかった。私にはこれは骸骨に見えたの」


「骸骨!? 確かにそう言われてみれば、そう見えなくもないかも」


「もちろん、これはただの目の錯覚かもしれないわ。だけど、もしもレオナルドが、そう見えるような仕掛けをして描いているのだとしたら……」< pic32-2 >< pic32-3 >


「仕掛け? どういうこと?」


「この青年は、イエス・キリストかもしれないということ」


「ええ!?」


「これを見て、lua」


 私はノートパソコンを操作し、レオナルドが描いた『ブノアの聖母』と『糸巻きの聖母』、そして、ミケランジェロが製作した『サン・ピエトロのピエタ』の画像を検索して映し出した。< pic32-4 >


「『ブノアの聖母』や『糸巻きの聖母』では、聖母マリアの左側に幼少のイエス・キリストが描かれているの。そして、『サン・ピエトロのピエタ』では、磔刑に処された後のイエス・キリストの亡骸が聖母マリアの右腕に抱かれている」


「え? ということは……」


「そう、『モナ・リザ』の左腕に描かれている青年は生前のイエス・キリストで、鏡像の『モナ・リザ』の右腕に描かれているのは、磔刑後のイエス・キリストを示しているのかもしれない」< pic32-5 >


 一呼吸おいて、わずかに強めの語気を伴う言葉が私の口をついで出た。


「つまりこの絵は、慈愛の象徴である『イエス・キリスト』と『聖母マリア』のそれぞれに、リアルな愛に包まれ満たされていた二人のモデル『サライ』と『リザ』を重ね合わせて、これらを融合させたもの、それが私の解釈した『モナ・リザ』の正体よ」< pic33>< pic34 >< pic35>


 妹は、その目を見開いたまま、何度もうなずくようにして私の方を見ていた。


「愛に満ちた4人のモデルを重ねて統合させたものだと分かった瞬間から、この絵に対する私の見方は全く違うものになった。そう、この絵は、その微笑みを介して見るものに愛を与えてくれる……いいえ、愛の存在を気づかせてくれるといった方がいいかもしれないけれど、そういう絵だということを」


「うん、そうだね。姉さんにそう言われると、私にもそんな風に見えてくるよ。『モナ・リザ』の眉毛とまつげが明確に描かれていないのは、もし描いてしまうと、サライとリザの男女二人をモデルにしたことが容易にバレて、人物画として破綻してしまう恐れがあったからかもね。だけどそもそもどうしてレオナルドは男性と女性とを融合させようとしたのかしら?」


「その点についてもネットで調べてみたわ。一説によると、レオナルドは、両性具有を究極の美としてとらえていたみたい[注22]。でも、私はちょっと違うような気がする」


「どうして姉さん? 別にいいじゃない、そういう“究極の美”を追求しても」


「うん、確かにそうかもしれないけれど……」


 ……究極の美、か。私は机の上のコーヒーカップを手に取り、すでにもうだいぶ冷めてしまったコーヒーを一気に飲み干した。


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