第8話 マリアの橋

「ほ、本当に? 姉さん」


「本当よ。lua」


「一体どういうことなの?」


「つまり、サライはイエス・キリストでもあり、リザは聖母マリアでもあるということよ。lua、落ち着いて聞いてちょうだい。順を追って説明していくから」


「う、うん、わかった」


「じゃあまずは、聖母マリアの方からね」


 私は、再びノートパソコンを操作して、別の絵画を画面に映し出した。


「この絵は、レオナルドが『モナ・リザ』よりも20年くらい前に描いた『岩窟の聖母』よ。聖母マリアと幼児キリスト、そして幼い洗礼者ヨハネと天使が岩窟を背景として描かれているわ。真ん中にいる女性が聖母マリアね。ちなみにこの絵は2枚あって、今画面に映し出されているのは、初めに描かれた方のいわゆるルーヴル・ヴァージョンと呼ばれている方よ[注18]」< pic22 >


 私は、プリントアウトしたモナ・リザの絵の一枚をノートパソコンの画面の横に並べた。< pic23 >


「どう? lua、こうして並べて見てみると似ていない?」


「え? 聖母マリアとモナ・リザがってこと? うーん、どうかな」


「違うわ、lua。私が言っているのは、“服装”のことよ」


「服装?」


「そう、二人とも黒い服を着ているでしょ。私ね、最初に『モナ・リザ』をみたとき、なぜこの人は、こんな暗い恰好をしているのだろうって思っていたの。これはまるで喪服よね。たぶんそれが、私がこの絵を見て怖いと思っていた主な理由だと思う」


「姉さんの言う通り、確かに二人とも黒っぽい服を着ているね。でも、たまたま同じような服装になったとも考えられるんじゃない?」


「そうね。ただ、ネットで調べてみると、当時のイタリアでは、黒い服というのは一般的に着られるものではなかったそうよ[注19]」


「ふーん」


「それに、lua、もしあなたが私の肖像画を描くとしたら、私にこういう暗い恰好をさせる? もちろん、私は嫌だわ」


「場合にもよるかもしれないけれど、確かに私ならそういう服をまず選ばないわね。ということは、レオナルドは、『岩窟の聖母』のマリアの黒い服を意識して、『モナ・リザ』に敢えて同じような服を着せているということ?」


「私はそう思うわ」


「だから姉さんは、リザの姿に聖母マリアの姿が重ねられていると判断したのね」


「それもそうだけど、もう一つ、決定的な理由があるの」


「えっ、もう一つの理由?」


「実は、マリアの名前(イニシャル)のようなものが描いてあるのよ。さらに、この後話をするけれど、イエス・キリストを示す名前(イニシャル)もね」


「ええっ!? あっ、そうか、マリアについては、さっき説明してくれた“謎の物体”の『M』のことね?」


「ちがうわ。だけど、『M』の文字については合っている」


「ちがう? じゃあ、どこに?」


「ここよ」< pic24 >


 私は、“謎の物体”の上の方に描かれている川と2つの橋の部分を指さした。


「え、どこ? 私には見えないわ」


「よく見て、いい? こうして、川岸から2本の橋の部分をなぞっていくと、イタリア語の筆記体の『m』の文字に見えない?」


「う―ん、たしかにそうなぞられると、そう見えないことはないけど」


「謎を解く鍵はこの2本の橋にあるの。ねえ、lua、“橋”ってどういうものかしら?」


「橋? そりゃもちろん、川の両岸をつなぐものでしょ? 一方の岸から他方の岸に渡ったり、もちろんその逆もね」


「その通りよ。要するに川の両岸を往来するためのものよね。じゃ、筆記体の『m』の文字はどう書く?」


「どうって、こうやって、まず丸い部分をちょっと書いて、そのまま下に線を引いて、ある程度きたら同じ線をまた上に戻って……あっ、そうか!」< pic25 >


「気が付いた? そうつまり、この2本の橋は、『m』の文字の、ペンが往復する二本の直線部分を示しているの」


「なるほど!」


「しかも、上の方の橋には、この橋が聖母マリアを意味することを示すヒントが記されているようなの」


「ヒント?」


「さっき、モナ・リザの瞳に記された暗号で紹介したシルヴァーノ・ヴェンチェッティ氏は、背景にある橋のアーチには「72」あるいは「L2」のような文字があるとも言っているの[注1][注16]。私は「L2」の方だと思う」


「どうして?」


「L2、これは『ルカによる福音書の第2章(Luke 2)』を意味していると思うの。この章には、『イエスの誕生』が記載されているわ」


「イエスの誕生って、聖母マリアがイエス・キリストを出産したときのこと?」


「そうよ」


「じゃやっぱり、この二つの橋は聖母マリアの『M』(イニシャル)を示しているんだ。まさに“マリアの橋”だね。すごいよ、姉さん!」< pic26 >


「ふふ、あくまでも一つの解釈よ。ただ、さっきあなたが言っていたように、服装が似ているというだけじゃ決め手にかけると思ったのかもしれないわね。実際、後に描かれたもう一方の『岩窟の聖母』、いわゆるロンドン・ヴァージョンのマリアは、青い服を着ているし[注18]」


「へえー、なるほどねー」


「ちなみに服といえばね、『モナ・リザ』を注意深くみると、その上半身が、頭から薄くて半透明の黒いベールで被われているのがわかるわよね?」


「うん、確かに」


「この黒いベールは「グアルネロ」といって、ルネサンス期イタリアで妊娠中または出産直後の女性が着ていたドレスだそうよ。当時のリザは、次男アンドレアを出産しているの。そして「ルカによる福音書の第2章(Luke 2)」には、イエスの誕生が記述されている。つまり、聖母マリアはイエス・キリストを出産していた」


「ということは……」


「そう、薄いベール(グアルネッロ)は、出産直後の女性であるリザと聖母マリアを意味していると思う」


「レオナルドは、完全にリザに聖母マリアを重ねているのね」


「ええ、そうね」

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