第23話
☆☆☆
タイムリミットが来るまで決して家から出ない。
夜の間に裕之とそう約束したけれど、私が目を覚ました時隣に裕之の姿はなかった。
窓から差し込む光はすでに朝のそれになっていて、慌てて飛び起きる。
ベッドの横にはまだくぼみの暖かさが残っていて、つい数分前までここに裕之がいたことがわかった。
着るものもとりあえずで大急ぎで部屋を出る。
念の為にリビングやトイレを確認して、裕之がいないことがわかると外へ飛び出した。
裕之の両親はすでに帰ってきているけれど、寝室は静なままだった。
きっとまだ眠っているのだろう。
外の景色はいつもと変わらず、学生やサラリーマンたちが行き交っている。
裕之ならすぐに見つけ出すことができると思っていたが、思っていたよりも人が多くて歩くのにも邪魔が入る。
イライラとした気持ちで裕之に電話をかけてみるけれど、それはつながらなかった。
呪いのせいでフラフラと外へ出たのなら、スマホを持っていない可能性もある。
焦りで額に汗が流れ落ちた時、大きな交差点へ向かう後ろ姿を発見した。
裕之だ!
パジャマ姿のままフラフラ歩いている裕之はどこか異様で、通行人たちはよけて歩いている。
それなのにひとりも心配して声をかけることはしなかった。
「裕之、待って!!」
声をかけるが、裕之は立ち止まらない。
交差点の信号が赤に変わり、すごいスピードで右へ左へと車が行き交い始める。
裕之に送られてきた死体写真を思い出して全身から嫌な汗が吹き出した。
今交差点に立ち入ったら、裕之はあの写真のようになってしまう!
裕之は信号を全く見ていないように歩き続ける。
交差点の前で待っている人たちにぶつかり、文句を言われても立ち止まらない。
集団登校している小学生たちが交差点の手前で立ち止まり、裕之の姿が見えなくなった。
「どけて! どけてよ!」
普段はここまで信号待ちをする人はいないはずなのに、今日に限って私の邪魔をするように人垣ができている。
焦りで口の中はカラカラに乾燥し、手のひらには気持ちが悪いほどの汗をにじませている。
それなのに一向に裕之の姿を見つけられない。
「おい、あれ」
知らない男性がポツリと呟いた。
その瞬間人垣に隙間ができて、前に進むことができた。
そして目に飛び込んできたのはフラフラと交差点に入っていく裕之の姿と、すぐそばまで迫ってきている乗用車だった。
「裕之!!」
絶対に聞こえる距離だったのに、裕之は立ち止まらない。
私の声に反応しない。
チクリと胸に針が突き刺さるが、かまっている暇もなかった。
私はキツく目を閉じて両手を前に突き出していた。
そこには信号待ちをしていた小学生たちがいる。
私の両手がランドセルに触れた。
そして、それを思いっきり突き飛ばす。
「ぎゃっ!」
と、短い悲鳴が聞こえたような気がした。
だけどそれは一瞬で消えていき、今度は車の急ブレーキ音となにかに衝突する音、後方車からの盛大なクラクションで、騒音の渦が巻き起こった。
なにが起こったのかわからなかった。
目を開けることができなかった。
まわりの人たちが悲鳴を上げて逃げ出し、誰かが救急に連絡する声が聞こえてくる。
「結!」
名前を呼ばれて私はようやく目を開けることができた。
目の前で小学生の男の子が倒れている。
頭から血をながし、目はうつろに空中を見つめる。
全身のちからが入らないようで、少しも動こうとしなかった。
「写真……」
震える声で言っていた。
裕之が「え?」と聞き返してくる。
「写真を撮らなきゃ……」
ふらふらと昨日を停止している歩道へ出て、少し遠くから少年の写真を撮影する。
1枚でいいのかわからなくて、何枚も撮影した。
私が裕之の元へ戻ってきたときに、ようやく救急車が到着したのだった。
☆☆☆
強引に裕之のスマホを奪い取り、呪いメールに返信したのはそれから5分後のことだった。
手が震えてうまく操作できなくて危うくタイムリミットがきてしまう寸前のことだった。
メール送信がうまいったことを確認すると、私はそのまま道路に座り込んでしまった。
あれだけ流れていた汗はいつの間にかひいていて、今は肌寒いくらいだ。
何度も撮影した少年の死体が網膜にこびりついていて、まばたきをする度にその姿が浮かんでは消えていく。
いや、まだ少年が死んだとは限らない。
生きていたかも知れない。
いま頃救急搬送された先で意識を戻しているかも。
そこまで考えたけれど、それはただの願望に過ぎなかった。
少年の死体写真は呪いのメールに受け入れられた。
そして裕之は今でもこうして生きている。
それがすべてを物語っている。
「なんてことをしたんだ!」
自我が戻った裕之が顔面蒼白で私の両肩を掴んだ。
痛いくらいに指が食い込んでくる。
「裕之だけは……助けたかったの」
誰だってそうだ。
自分の愛する人や家族だけはどうしても助けたいと願うはずだ。
私はそれを実行しただけ。
そう思っているのにやけに喉が乾いて、呼吸が乱れた。
ここだけ酸素が薄くなっているのではないかと疑うほど、苦しい。
それは紛れもなく罪悪感のせいだった。
裕之を守るために、なんの面識もない少年をこの手で突き飛ばした。
あのときの感触はまだリアルに両手に残っていて、強く拳を握りしめる。
「そんなこと言ったって……!」
裕之がすべての言葉を言う前に、そのスマホが震えていた。
無意識の内に小さく悲鳴があがる。
裕之も肩をビクリとはねさせた。
そして恐る恐るスマホ画面を確認する。
そこにはメールが1件届いたことを知らせるアイコンが出ていた。
アコのメールを削除したときのことを思い出して、また背筋が寒くなった。
メールは削除しても何度もターゲットのもとに送られてくる。
だけど今回は違うはずだ。
呪いメールに返信できたのだから!
もう1度呪いメールが送られてきたとすれば、もう私達に成すすべはない。
死ぬと知っていながらなにもせずにジッと待っているしかないのだ。
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