第17話

まだ朝もやに包まれている路地へとパジャマで放り出される加菜子。



私は慌てて加菜子と助け起こした。



「なんてことするんですか!?」



最後まで言う暇もなく、バタンッ! と音を立てて玄関ドアが閉められた。



続いてガチャッと鍵まで閉める音が聞こえてくる。



「なに……あれ……」



私と加菜子はしばらく呆然としてその場から動くことができなかった。



突然帰宅したかと思ったら、家を追い出されてしまった。



勝手に泊まったことは悪かったと思うけれど、あんな風になるだろうか。



「今のはお母さんじゃなかった」



加菜子が両手で自分の体を抱きしめて言う。



「あんなの、お母さんじゃない」



地面には引っ張られて引きちぎれた髪の毛が何本も散らばっていたのだった。


☆☆☆


加菜子の母親の様子がおかしくなったのは、間違いなくあのメールのせいだろう。



そうとしか考えられなかった。



加菜子を守ろうとするこちらに対して、呪いのメールはあらゆる手段を使ってくるらしい。



和のときもきっとそうして自殺を実行させたのだろう。



私達はパジャマに素足という姿のままで近くの公園にきていた。



このままではどこにも行けないし、加菜子の家に戻ることもできない。



頼れる相手は裕之だけだった。



「一体なにがあったんだよ?」



大きな紙袋を持った裕之がやってきたとき、心底泣きそうになってしまった。



袋の中には女性ものの着替えと、サンダルが入っている。



あとは朝ごはんにパンとお茶を買ってきてくれたみたいだ。



「わからないの。急にお母さんが変になって……」



公園のトイレで着替えを済ませて、お茶を一口飲んだところでようやく加菜子が口を開いた。



少しは落ち着いた様子だけれど、その声は震えている。



私だってまだ気持ちが落ち着かない状態だった。



「それで外に出るしかなくなったのか」



事情を飲み込んで裕之が険しい表情を浮かべる。



まだ早い時間であるけれど、裕之はすでに制服姿だった。



ここへ来るのに服装を選んではいられなかったのだろう。



「とにかく、うちに来るか? このままじゃどこにも行けないだろ?」



裕之が持ってきてくれたのは、裕之の母親の服だった。



ズボンもTシャツも少し大きめだし、サンダルで歩くには足が冷たすぎる。



一旦どこかへ避難して、それから考えたかった。



「裕之の家ではなにも起こらないかな?」



加菜子はまだ怖がっている。



自分の一番身近な人と言っても過言ではない母親があんな姿に豹変したのだ。



本当は私達と一緒にいることだって怖いのかもしれない。



けれどひとりになるのはもっとこわい。



そんな感情がふつふつと伝わってくる。



私はそんな加菜子の手を握りしめた。



ついさっき見たかなこの母親の豹変ぶりを思い出すと大丈夫だなんて言えない。



今はこうして寄り添って、呪いに逆らうことしかできない。



加菜子がこちらへ視線を向けて手を握り返してきた。



不安と恐怖で胸は張り裂けそうになっているだろうに、その足取りはしっかりとしている。



「とにかく家に来て、それからまた調べよう」



前を歩く裕之の言葉に頷こうとした、そのときだった。



しっかりと握りしめられていた手がするりと解けた。



加菜子がふらふらと1人で歩き出す。



「加菜子、どうしたの?」



歩く背中の様子がなにかおかしくて声をかける。



振り向いた加菜子は目に涙を浮かべて顔面蒼白になっていた。



真っ白な顔で口をパクパクさせて、なにかを訴えかけようとしている。



「加菜子?」



右手を伸ばしてその手をもう1度握りしめようとしたのだけれど、それから逃れるように突然加菜子は走り始めたのだ。



咄嗟のことで動くのが一瞬遅れてしまった。



加菜子はその間にあっという間に前方にみえていた橋の欄干まで移動していたのだ。



「おい、なにしてんだ!」



今にも手すりを乗り越えて川へ飛び込んでしまいそうな加菜子に気が付き、裕之が駆け出す。



「助けて」



加菜子の絞り出すような声が聞こえてきた次の瞬間、その体は川へと落下していた。



「加菜子!!」



叫び声を上げて手すりにすがりつき、川を覗き込む。



最近は晴れ間が続いていたというのに川の水川は多く、流れも早い。



その中に加菜子の体が沈んでいくのがみえた。



「嘘だろっ」



裕之とともに河川敷へ降りたときにはすでに加菜子の姿はどこにも見えなくなっていたのだった。


☆☆☆


加菜子の体は少し離れた川の中央にあった大きな岩にひっかかり、鯉のようにその場に留まって揺れていた。



見つけた裕之は躊躇なく川に入っていき、加菜子の体をどうにか河川敷へと引っ張り上げていた。



ずぶ濡れになった裕之はガタガタと震え、加菜子はキツク目を閉じたまま動かない。



加菜子の胸に耳を押し当ててみると、心拍が確認できた。



「行きてる!」



流されてからそれほど時間が経過していないのがよかったみたいだ。



ホッとしたのもも、このままではどこにも行くことができなことに気がついた。



水から遠ざかるにしても、加菜子には意識がないのだ。



「救急車を呼ぼうか。病院なら安全かもしれないし」



院内にも水場はあるけれど河川敷にいることを思えば雲泥の差だ。



加菜子の異変に看護師や石が気がつけば止めに入ってくれるだろう。



「そうだな。それがよさそうだ」



裕之は震えながら頷いたのだった。

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