第9話

そこにはられていたはずのネームは剥がされていたが、つい最近まではられていたようで木の色が新しい。



「たぶん、ここがクリちゃんの下駄履だったんだろうな」



和の言葉に私は静に頷いた。



先月までここを使っていた少女はもうこの世にはいない。



そう思うと胸に隙間風が吹いていくようだった。



それから私達は靴下で校内に入り込み、校舎地図を確認して2階へと向かった。



2年3組の教室は2階の一番端にあり、すぐに見つけることができた。



閉められているドアの前に立ち、それぞれに目を見交わせる。



これは立派な不法侵入だし、おかしいことにバレたらなんの収穫もなく追い出されることになってしまう。



下手なことは絶対にできない。



緊張で背中に汗が流れていった。



和が右手を伸ばしてノックしようとしたそのタイミングで、ドアが開いた。



教室から出ようとした男子生徒が驚いたように目を丸くして和を見つめる。



まずい!



咄嗟に後ずさりをしてしまう。



教室に生徒が残っていれば、その子たちからクリちゃんについて聞き出すつもりでいた。



ちゃんと入校許可をとり、小学校時代にクリちゃんと仲が良かった友達で、今日になってやっと訃報を知ったのだと、説明する予定だった。



同年代の私達の話であれば、きっと聞いてもらえる。



でも、突然開いたドアに私達は言葉を失って立ち尽くしてしまったのだ。



真面目そうな男子生徒の表情はみるみる不審を満ちていく。



「君たち、誰?」



澄んだ声で質問されて、どうにか和が引きつり笑顔を浮かべた。



「お、俺たち飯沢高校の生徒なんだけど、ここってクリちゃんがいたクラスだよな?」



緊張のせいか和のセリフはたどたどしく、わざとらしい。



それでもどうにかクリちゃんについて聞き出そうと必死だ。



「そうだけど、なんで隣町の生徒がここに?」



男子生徒はまるで教室内には入らせまいとするように腕組みをして、一歩も動こうとしない。



教室内にはまだ何人か生徒たちが残っているようで、「どうしたの?」と、声が聞こえてくる。



しかし男性生徒はそれに答えることもなく、ジロジロと私たちを睨みつけてくる。



「私達、クリちゃんと小学校が同じなの。それで今日になってクリちゃんの訃報を聞いたんだけど、クリちゃんの住所がわからなくて聞きに来たの」



早口で説明すると男子生徒が目を見開いた。



どうにか納得してくれただろうかと不安に感じながら次の言葉を待つ。



「そうか。でもそれらどうして証明書を首から下げてないんだ?」



「え?」



男子生徒からの指摘された意味がわからなくて加菜子がまばたきを繰り返す。



「外部者が学校に入るときには証明書をもらうはずだ。首からさげるタイプの紐がついてる」



「それはっ……」



咄嗟に口を開くが適切な言い訳が思い浮かんでこない。



証明書があるなんて考えてもいなかった。



黙り込んでしまった私達に男子生徒は鋭い視線を向ける。



「お前達栗原の住所を聞いてどうするつもりなんだ?」



クリちゃんの名字は栗原というらしい。



こんな状況だけれど、少しだけヒントになる情報を得ることができた。



「本当に受付を通ってきたのか? 不法侵入じゃないのか?」



一歩前に出て詰め寄る男子生徒に和が歯ぎしりをする。



そんなにうまくいくとは思っていなかったけれど、これ以上ここで粘っていれば警備員を呼ばれることになりかねない。



不法侵入がバレれば飯沢高校へ連絡が行き、動きづらくなってしまう。



ここは素直に退散したほうがよさそうだ。



「ご、ごめんなさい!」



私は男性とへ向けて頭を下げると、和の腕を掴んで3組から逃げ出した。



和はまだなにか言いたげにしていたが、グッと唇を引き結んで高校を辞したのだった。


☆☆☆


「はぁ、怖かった」



近くのコンビニまで逃げてきて、加菜子が大きく息を吐き出した。



その顔は青ざめている。



「チッ。なにも聞き出せなかったな」



和は不服そうな顔をしている。



あのまま校内にとどまっていたらさっきの生徒と喧嘩になっていたかもしれない。



無理矢理にでも連れだして正解だった。



「でも、栗原さんっていう名字はわかったよね」



○○高校2年3組に在籍していた栗原さん。



これだけの情報があれば、どうにか家を突き止めることができそうだ。



さっそくスマホでそれらの情報を入力して検索にかける。



真っ先に出てきたのは○○高校の自殺者についての記事だった。



それに目を通してみるけれど、栗原という名字は出てこない。



きっと、自殺と断定されたわけではないからだろう。



それならもっと広範囲に、○○高校全体の記事を探し出せばいい。



そう思って検索画面へ戻ったとき、足音が近づいてきて顔をあげた。



「あの……」



そう声をかけてきたのは○○高校の制服を着たショートカットの女の子だった。



みたことのない顔だ。



「さっき教室で聞いてたんだけど、あなたたちクリちゃんの友達なの?」



今にも折れてしまいそうなほどか細い体の少女は上目遣いにそう聞いてきた。



私はスマホをポケットにしまい、頷く。



「そっか。さっきは田辺くんが追い返しちゃって、ごめんね。あの子、クリちゃんのことが好きだったから、警戒してるんだと思う」



少女は眉を下げてつらそうな表情でそう言った。



どうやらこの子はさっきの少年、田辺くんとクリちゃん、両方と仲が良かったみたいだ。



「あなたは?」



「私は桜っていうの。クリちゃんとも仲が良かったから、あなたたちの話を聞いて、気になっちゃって」



それで追いかけてきてくれたみたいだ。



和が咄嗟にスマホを取り出して、プリクラを桜ちゃんへ見せた。



それを見た瞬間、桜ちゃんの頬に赤みがさす。



そして今にも泣き出してしまいそうな顔になった。



「本当に、クリちゃんと仲が良かったんだね」



「そうなの。だからお焼香だけでもさせてもらいたくて」



言うと、桜ちゃんは溢れ出そうになった涙を手の甲で拭い、何度も頷いた。



「もちろんだよ。クリちゃんの家を知りたいんだよね?」



桜ちゃんに教えてもらった住所を頼りに歩いて行くと、20分ほどで目的の家を発見できた。



大きな一軒家で、庭には芝生が植えられていて隅々まで手入れされている。



立派な門の外側から覗き見てみると、大型犬が一匹庭に放し飼いされていた。



しっかりしつけがされているようで、私達を見ても少し吠える様子はなかった。



石で掘られた表札の名字は栗原と書かれているし、ここで間違いないみたいだ。



ただ、豪邸を目の前にして少しだけひるんでしまった。



「どうするの?」



加菜子が和の服をひっぱって訊ねる。



「ここまで来て引き返すわけにはいかねぇだろ」



そう答える和も緊張を隠せない様子でさっきから無意味に当たりを見回している。



こんな家の前で高校生3人が集まっていると余計に目立ってしまう。



私は勇気を出して玄関チャイムを鳴らした。



するとすぐにスピーカーから女性の声が聞こえてきた。



「クリちゃんの友達です」



と、加菜子の柔らかい声で答えると、玄関から50代くらいの女性が出てきてくれた。



細身だけれど丸顔で、50代にしては随分と若く見える。

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