第20話 師恩
庵に帰り透音さんが縛ってくれた手拭いを解いて明るい灯で見ると、傷は浅いものの僅かに瘴気を帯び周囲もどす黒く変色していた。
常備の膏薬を塗り包帯を巻き、今夜は寝るしかない。
………二三時間ほど浅く眠ったようだが、痛みが酷くなって来て目が覚めてしまった。
包帯を解くと患部が膿んでいる。
微熱もあるのか、脂汗をかいていた。
仕方ない、朝になったら医者か救急所へ行くとして、取り敢えず玉ノ井の浄水で膿を洗い膏薬を塗り直して横になった。
表から誰かの呼ぶ声で目が覚めた。
透音さんだった。
「お加減如何ですか?」
と問われて、痛みも熱も無くなったのに気が付いた。
「ああ、お陰様で良くなった。朝早くから有難う。」
「家にあった良さそうな薬を持って来ました。包帯も綺麗なのに取り換えましょう。」
彼女はてきぱきと包帯を巻いてくれ、
「この軟膏を使ってください。お仕事の帰りにまた寄ります。」
と、油紙に包んだ薬を置いて行った。
飛鳥井家の主治医の物か、何だか高級そうな包み紙だった。
ふと座敷の卓に目をやると昨日の薬壺が置きっ放しだ。
それを仕舞おうと手にした時に思い付いた。
瘴気の傷には神気の薬だろう!
昨夜は玉ノ井の水で洗った後すぐに痛みが引いたのだ。
私は透音さんに貰った薬を玉ノ井の浄水と練り合わせ、出来た膏薬を金銅の薬壺に入れ女神像の前へ御神酒と共に供え、神気が籠るようねんごろにお祈りしておいた。
今朝はもう身体の動きに大きな支障は無かったが、瘴気の傷という事で大事を取りその日の茶画詩庵は休業にした。
昼過ぎに芥川君と大佛君がやって来た。
「やあ、傷はどうだい?」
「心配をかけたが大事無い。」
「それは良かった。こちらは夜更けまで百足退治の話で盛り上がってね、二人して寝坊した。」
「今日は店を休みにしたから、午後は二人共この座敷で存分に書見すると良い。」
「有難いね、ではお言葉に甘えるよ。」
夕方また透音さんが来てくれたので、玉依姫の所から薬壺を持って来て彼女に見せた。
蓋を開けると中には濃密な神気が籠っている。
「わあ、凄い神気ですね!さっそく使って見ましょう。」
包帯を取ってみるとだいぶ薄くはなったが黒ずんだ変色部分はまだ残っている。
そこに透音さんが薬壺の膏薬を丁寧に塗ってくれた。
患部にすうっーと爽やかな感じがして、見る見るうちに変色が消えて行く。
やや赤味は残っているが傷口も完全に塞がったようだ。
皆唖然としている。
「どうやら霊薬が作れたみたいだ。」
「!!!」
「これは透音さんに持っていて貰うのが良いだろう。頼むよ。」
「わかりました。お預かりします。」
「今後瘴気の籠った傷は、その場ですぐこの薬を使うようにしよう。」
「はい!」
それから霊薬や昨夜の話でまた小一時間ほど盛り上がり、透音さんと大佛君は
帰って行った。
翌日芥川君は昼まで洋書を読んだり書き写したりしていたが、午後からは用事があるそうで東京に帰って行った。
裏山の紅葉がほんのり色付いて来た。
茶画詩庵の客も少しづつ増えて、また新作でも考えようかと思っていた時、
「おお、息災のようじゃな。」
蒲原先生が久々に訪れた。
「先生もお元気でしたか。お忙しそうで皆心配しておりました。」
「うん、家の再建が材木や人手の不足で遅々として進まんでの。」
「そうでしたか。それは難儀な事で。」
「それでの、いつ迄も知人の厄介になっとる訳にも行かんし、静岡の女房の実家に行く事にしたんじゃ。」
「……………それはまた…。」
迂闊だった。
21世紀で読んだ先生の伝記では、静岡に疎開して戦後鎌倉の元の家へ戻るとしか書いていなかったので、てっきり昭和の戦時中の事と思い込んでいた。
今から静岡に引っ越すとなると、先生は今後二十数年も鎌倉には居ない事になる。
「で、いつ立たれるので?」
「鉄道はまだ当分箱根が通れんので、横浜から船しかない。静岡までの定期便は無いので貨物船に便乗じゃが、その手配が出来次第行く。」
「ではまだ二三日はこちらですね?」
「船の手配に早くとも四五日は掛かるじゃろう。」
「それなら皆を集めますので、どうか明後日の夕方お越しください。」
「ああ、わしも皆の顔を見ておきたい。宜しく頼む。」
先生はいつものように玉依姫にお参りした後帰って行った。
翌日私は大佛君と透音さんに先生の送別会を開く事を伝え了承して貰った。
それから出来る限りの食材を集めようとしたのだが、今の鎌倉の食糧状況では難しかった。
豪勢な酒肴を揃えるのが難しいなら、ここは割り切ってせめて文人らしい風雅な宴にしよう。
まずは厨で使っていた大きな水甕を床の間に据え、裏山から紅葉の大枝を伐って来てそこに活けた。
差し渡し七尺程の枝で、その下にも色付いた葉を散らしておく。
座敷の反対側に置き床を設え、頼山陽の秋江別離の詩軸を掛ける。
山陽が九州へ帰る盟友の田能村竹田を淀川に見送った時の詩だ。
半切の料紙の真ん中に拙ながら玉依姫の絵を描いた。
当日この余白に皆が句歌を入れて先生に贈るのだ。
あとは最低限の茶菓酒肴と器を用意して当日を迎えた。
今日は店を早仕舞いして、直前の準備も終えた。
待つ程も無く皆が集まった。
「うぅっ、先生ー。」
透音さんは早くも涙目だ。
晩秋の日はとうに暮れ、風もやや肌寒くなった。
座敷には盛大に燭を灯し、宵闇の中に煌々と輝いている。
「やあ、みんな集まってくれて嬉しいのぉ。」
「当たり前です!何を置いても駆けつけますよ。」
「では皆先生への感謝の意を込めて乾杯しましょう。乾杯!」
「乾杯!!!」
床の間の紅葉は燭光の赤みを受け、いよいよ紅錦に映えている。
先生は置き床の軸を眺め
「うむ、山陽の書は力感があって良いのお。」
と呟いている。
酒肴が進み、やがて先日の百足退治の話となった。
「ほお、芥川龍之介か。我らの神気とは少し違うようじゃが、仲間に入れても良いかも知れん。」
「危ない所を助けて頂きました。」
「芥川さんも久米さんも僕の大学の先輩なんですよ。」
「久米君とは何度か会っとるが、ちと臆病そうでな………」
「句会では良く幹事役をやってくれます。」
「ああ、彼はそう言う事には適役じゃろ。」
そろそろ酒肴も尽き、私は膳を下げて茶菓を出した。
玉依姫の絵を書いた半切の紙を傍らの文机に広げ、まず私が句を入れた。
透音さんは少し戸惑っていたものの、やがて流麗な書体で一首書いた。
最後に大佛君が意外にも几帳面な字で句を書き、乾いた頃にタトウに入れて先生にお渡しした。
「皆、有難う。静岡に行ったら早速表具に出そう。本当に有難う!」
それからも皆もっと沢山教わりたかった事、お陰で新たな経験が出来た事など名残の話は尽きない。
最後に私は包んであった風呂敷を開き、先生に差し出した。
「私のせめてもの感謝と亡父との思い出に、これをお持ちください。」
D・G・ロセッティの集大成、『ピクチャーズ&ポエムス』だ。
是非いつか蒲原先生にと思い、他の皆には見せなかった本だ。
この本はたぶん日本にはまだ二三冊しか無いだろう。
「おお、これはっ!ロセッティじゃ無いか!!!欲しかったんじゃよ!探し回ったんじゃよ!」
21世紀で私が読んだあらゆる詩文の中で最も美しい日本語と感じたのが、このロセッティの詩を蒲原有明が訳した『天津郎女』だった。
その気韻生動たるやもはや翻訳と言うより創作と言って良い程、日本的な神聖さと美に溢れている。
始めは伝を頼って借りた原書を手書きで写し、そこから翻訳したと聞く。
その訳詩が出版されるのはこの五年後の『パンテオン』でだ。
「亡父が生前最後に送ってくれた物です。先生もまだご存知ないかと思いましてね。」
「おお、圭介も有難う!初めて見るよ。」
「これで是非また素晴らしい詩を、是非是非お願いします!」
「わかっとる、わかっとるよ!任せて置けい!!わっはっはっ!!!」
文芸の事となると話は尽きないが、そろそろお別れの時が来た。
「では先生、どうぞご健勝で!」
「おう、皆も息災でな!」
「本当にお世話になりました!」
「有難う御座いました!」
「うぅっ……有難う…」
「ではの!」
この先も手紙の遣り取りならいつでも出来る。
また先生も東京への用事がてらに鎌倉に寄ってくれるかも知れない。
弱気になってはいけない。
私は蒲原有明の唯一の弟子なのだ。
鎌倉は、この楽土は、私が守る!
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