第18話 幻の古寺

翌日の午前中私は露店の買い物の帰りに八幡宮に寄り、透音さんに句会の話をした。

もしかしたら彼女や先日の文芸部の友人達も、句会に来たがるかも知れない。

黙っていて後で恨まれるよりはと、一応誘いの言葉をかけたのだ。

「うーん、短歌だったら少しは自信があるのですが、俳句をそんな凄い方達とやるのは絶対無理です。無理無理!……とっても残念ですが………」

返ってしょんぼりさせてしまったか。

「それはそうとして、こちらもご報告があるんです。」

「何かあった?」

「実は昨日祇園山の北麓の方で小さな瘴気を感じて……」

「ほう。」

「それで行ってみたら、簡単にお祓い出来てしまいました。」

「ええっ!」

「ご報告してからの方が良かったでしょうか?」

「いいよいいよ。その程度の瘴気ならもう各自で判断出来るだろうから。」

「大佛さんももう一人で何度か瘴気祓いに成功したとおしゃっていましたから。」

「えええっ!!………まあ彼には白妙が付いているから………」

「やはり小さな五輪塔が倒れていたので起こしておきましたが結構重くて、お祓いよりそっちの方が苦労しました。」

「それはご苦労様。」

………私だけ置いて行かれた気がする。

素振りの稽古は毎朝欠かさず励んでいるのだが、若い者達に遅れを取ったか。

先輩面していても私など皆よりほんの少し先に始めていただけなのだ。

それとも小さな瘴気に対する感知能力の差だろうか、白妙に勝てないのは仕方ないとしても透音さんにも劣るとは………。

蒲原先生は最近忙しそうで姿が見えないが、今度会えたらまた相談してみよう。

「報告やお稽古でも茶画詩庵にはもっと度々伺いたいとは思うのですが、巫女のお勤めの時間と重なっていて………」

「何だ、そう言う事なら休日でも歓迎するよ。もちろん茶菓付きで!」

「わあっ、本当ですか!嬉しい!!」

「それにそもそも玉依姫は巫女の守り神でもあるんだし、何も遠慮は要らないよ。」

「はい!」


彼女と別れ庵に戻ってから、私は今聞いた小さな瘴気について考えた。

各地域を守っている神仏像はともかく、五輪塔は鎌倉中にそれこそごまんとある。

しかもその構造は四角と丸の石を積み上げただけだから地震などで倒れ易い。

平地にある物は近隣の人が何とかするだろうが、今の状況では地元人でも山まではとても目が届かない。

我々が見回るしか無いだろう。

大佛白妙組も透音さんもそれにいち早く気が付いて実行していたのだ。

これは私が迂闊だった。

見回りは西の方は大佛君が、中央部の八幡宮近辺は透音さんが見てくれるから、私は残った東方面だな。

この手の石造物が多いのは山裾あたりと切通し周辺だ。

道祖神や塞の神があるのは大体道沿いで、用も無い山中にぽつんとある事は少ない。

では明日からでも暇をみて東を見て回ろう。


翌日私は大町を通って鎌倉の東方、釈迦堂谷戸へ向かった。

震災後しばらく渡れなかった滑川の橋も仮復旧している。

当時のこの地域はまだ田畑が広がり、人家は山裾にポツポツとある程度だった。

倒壊した家屋もあったろうが、元々建物も少なかったせいか瓦礫は片付いており、無事だった茅葺き屋根の農家が長閑に見える。

絹張山は遠目に瘴気は感じないが、もう少し谷戸の奥に行ってみよう。

道はやや上り坂となり山へ近づいて行くと、大きな茅葺き農家を過ぎた所の木陰に何か見えた。

近寄ってみると少し開けた所に更地があり、そこに小さな瘴気溜りがあった。

この小ささでは農家の大屋根と木立の陰で遠目ではわからなかった。

私はさっそく源氏丸を抜き、神気を込めて祝詞を唱えようと構えた時!

「………………」

新之助が神気を込めただけで、呆気なく瘴気は消えていた。


その場には大きめの石と朽ちた丸太が幾つか転がっていて、真ん中には大きな穴が開いていた。

これは倒壊した家屋の瓦礫を撤去した跡で、穴は農家に地下倉でもあったのだろう。

石仏や石塔らしき物も見当たらないし、そのまま立ち去ろうとして瓦の欠片に爪先を引っ掛けた。

躓きそうになったが堪えてその瓦を振り返ると、埋まっていた部分がひっくり返っり何かの模様が見える。

よく古瓦に入っているのは家紋だが、相当良い家か大寺院とかでないと軒瓦一つ一つに紋など入れない。

付着した泥を払って良く見ると三角の中に逆三角の、鎌倉人ならどこかしらで見覚えのある北条家の三つ鱗の紋だった。

これはもしかしたら………。

私は意を決して五尺ほどの深さの大穴に降り、辺りを隈なく探す。

仔細に見れば朽ちた木材も相当古い物だ。

瓦の破片の中にまた一つ同じ紋入りの物があった。

そして土砂と朽ちた木材に隠れていたが、その陰から穴が斜め下に続いていた。

大地震で地中にあった隙間が広がったのだろうか。

念の為源氏丸を抜きその奥へ潜って行くとやや広い空間があり、さらにその奥は崩れた土砂で埋まっている。

その空間にも瓦や何かの破片が転がっていて、私は気になった幾つかを拾い地上に戻った。

明るい所で良く見ると拾った中で最も大きい物は、一尺くらいの潰れた金銅仏の台座だろう。

その金銅仏の腕らしき破片もあった。

他には同じ金銅製の一寸程の小さな丸い物があった。

これは多分薬師如来が持つ薬壺のようだ。

私はその薬壺と先程の紋の入った瓦の破片を懐に仕舞い、それ以外を穴に戻して帰路に付いた。


庵に戻ってそれらを洗い、納屋から資料を引っ張り出して確認した。

間違いないだろう。

瓦の様式も紋も中世鎌倉の物だ。

あそこは文献にはあるものの未発見だった北条泰時の氏寺、幻と言われて来た釈迦堂の跡だ!

本尊の釈迦如来像だけは後世どこかに移されたと聞くがが、その脇に病気怪我治癒のための薬師如来像があるのは中世の武家の寺では珍しく無い。

………気が付けばもう開店の時間だ。

昼食を忘れていたが、店の茶菓子で済ませば良いだろう。


そしてその日の営業を終え店仕舞している時に、門の外から大声が聞こえた。

「おーい、来たぞー!」

芥川君だった。

「やあ、さっそくのご来賀だね。何も無いが歓迎するよ。」

「どうぞお構い無く。先日の本が見たくてね。」

「わっかてるよ。まあ上がってくれ。」

「じゃ、遠慮なく。」

取り敢えず飯にしよう。

干物と卵焼に漬物のいつもの一汁三菜しか無いが仕方ない。

彼の膳を運ぶと、

「おお、ご馳走が並んでるじゃないか。このご時世に豪気なもんだ!」

と喜んでいる。

東京の食糧事情はまだ思ったより回復していないようだ。

「農家や腰越の漁師が直売の露店を出していてね。お陰で卵と魚は毎日でも食える。」

「良いなあ、うちは米味噌醤油はあるんだがね。」

彼はあっという間に膳を平らげてしまった。

食後に珈琲と残り少なくなった星宿餅をだす。

「これは美味いな!以前夏目先生が銀座のカフェに連れて行ってくれたが、どうも苦いばかりでねえ。それ以来あまり飲んだ事が無かったんだが、これは良いよ!」

「ちょっとした淹れ方のコツとミルク砂糖の分量だな。あとは茶筅で掻き回して泡立てるとまろみが出る。」

「いや美味かった、ご馳走さん。」

「書見は取り敢えずここを使ってくれ。その間に離れの支度をしておく。」

「すまんね、じゃあ早速。」

と洋書棚から本を引きぬいて来た。

私は茶盆を片付け風呂に火を付け、離れの茶室に文机と布団を運んでおいた。

彼は一心不乱に読んでいる。

案の定ウィリアム・モリスだ。

モリスの妖精譚が余程お気に召したのだろう。

元々今昔物語や伝説の類いが好きなのだから、さもありなんだ。


彼は放っておいても良さそうなので、私は自分の関心事にかかろう。

今朝拾って来た薬壺をもう少し綺麗にしたい。

布とブラシで中まで埃を払い、頑固な付着物は楊枝の先で取り除く。

時々ルーペで確認し、また楊枝で突つく。

気付けば芥川君が横から覗き込んでいた。

「古そうだが何だい、それ?」

と聞いて来たので、これを拾った経緯を話した。

「大冒険じゃないか!良い本になりそうだ。」

「まあ本に書くのは自由だが、そろそろ風呂が沸いた。先に入ってくれ。」

「僕は拭くだけでいいんだが、……ではお先に。」

そうだ、確か彼は風呂嫌いだったか。

………ああ、離れの灯りを忘れていた。

カンテラは私が使うので、納屋からオイルランプを取って来た所で、彼があっという間に風呂から出て来た。

離れに案内しランプを渡すと、

「有難う。東京じゃあ灯油にも不自由してねえ。」

「鎌倉の灯油は海軍からの放出品らしい。ここには軍のお偉方も多く住んでいるからな。復旧に使う材木も軍艦で運んでくれるようだ。」

「ふーん、僕も鎌倉を離れたのは間違いだったかなあ。」

私はこの言葉にびくっとした。

これと同じ事を……………

彼は自殺の直前にも言っているのだ。


朝食が出来て芥川君を呼びに行こうと勝手口を出ると、彼が玉依姫に手を合わせていた。

「やあ、ここの朝は清々しくて良いねえ!玉ノ井の水もまさに玉が転がるように朝日に輝いている。」

「それは良かった。さあ、支度出来ているから座敷に上がってくれ。」

朝食が済むと私は彼にちょっと留守になる事を告げ、昼まで本を持って離れで自由にするよう言った。

どうも昨日の穴が気になり、もう一度見に行きたい。

思い返すと地震で開いた穴にしては不自然な所が多々あるのだ。


現場に着いて確かめるも昨日と何ら変わり無く、瘴気が復活した様子もない。

ただ、この穴は見れば見るほど異様に思えて来る。

私はもう少し谷戸の奥へ行ってみた。

その道の奥には名所の釈迦堂切通しがある。

切通しを潜って向こう側へ出てみたが何も感じない。

仕方なく引き返しそうとした切通しの中で、

ゴォォォー!

と山全体に響く音がした。

あわてて走り出て頭上の絹張山を見上げると、一瞬だけ薄い瘴気が山全体を包んだように見えた。

その後しばらく山を見ていたが、もう何も起こらず瘴気も感じられなくなった。


その場は諦め、帰るついでに食糧を買って来た。

厨に買い物を置いてからも、何か不安な思いが去らない。

もし前回の土蜘蛛のような物の怪があの穴から出て来たとしたら………。

土蜘蛛の穴よりずっと大きい穴だ。

「念の為だ。何も起こらなかったら皆に謝れば良いだけだ!」

私は八幡宮に行き透音さんに不審な穴の事を話し、夕方集まるよう頼んだ。

大佛君にも伝えに行くので芥川君に昼食が遅れる由を言おうと一旦庵に寄る。

するとそこに都合よく大佛君が来ていて、離れの縁側で芥川君と話していた。

これ幸いと彼にも夕方の集合を伝える。

「急いで白妙にも伝えなきゃ!」

と何故か嬉しそうにいそいそと帰って行った。

芥川君がぼそっと言う。

「君達、楽しそうだな。」

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