第17話 芥川龍之介

気候温暖な鎌倉では11月も半ばを過ぎてようやく晩秋の気配が漂って来る。

茶画詩庵の品書には秋から冬向けに、柿を形どった新作和菓子が加わった。

復旧した横須賀線で横浜まで買出しに行き、食用染料や和三盆ほか各種食材と調理器具を手に入れて来たのだ。

横浜も市街地の復興はまだまだだが、港には次々と貨物船が着き仮店舗や露店市での取引は活気付いている。

帰りの汽車は大荷物で嫌な顔をされるかと思ったが、他の乗客も皆大荷を背負って押し合っていた。


新作和菓子は新味より伝統の和三盆の上品な味を生かし、見た目の色形に凝って銘は木守柿とした。

例によってお隣の山村さんや大佛夫妻に試食してもらい好評だったが、私は更に手を加え柿の蒂と実の一部に焦茶の枯れ色を差して完成とした。

透音さんは折よく休みが取れたので友達と一緒に明日来るそうだ。

せっかくなら明日の床飾りは少し若い人向けに考えてみよう。

掛軸は鏑木清方の品の良い美人画で、晩秋の野に佇み風に吹かれるお下げ髪の少女の絵だ。

南京赤絵の花入には裏山で取ってきた木通の実。

あとは卓飾りにどんぐりと楊枝で作った独楽を転がしておこう。


翌日の朝は庭に咲いていたこの秋の名残の菊を木花咲耶姫に供え、玉依姫には新作木守柿を供えておいた。

店を開けて間もなく透音さん達がやって来た。

揃って大正袴の三人連れだ。

女学校の文芸部の先輩後輩と言っていた。

「今日は御招き、有難う御座います。」

挨拶の声も揃っていた。

「ようこそ。どうぞお上がり。」

三人を座敷に招き入れると透音さんが残る二人を紹介してくれた。

髪を結い上げてちょっと大人びて見えるのが同級の朝子さん、お下げ髪の方が後輩の澪さん。

如何にも良家の子女らしく所作も楚々として可憐な娘さん達だ。

三人はさっそく床の掛軸に見入っていた。

まあ茶道でも先ずは掛軸拝見が御作法なので、良家の子女なら当然なのだが……

「まあ、鏑木清方!去年の上野の帝展でも評判になっていた若手の絵描きさんよ!」

「素敵ねぇ……。今まで見てきた美人画より全然深い色!」

「このお下げ髪、澪さんにも似ていてよ。」

「私こんなに美人ではありませんもの。でも憂い顔が本当に綺麗。」

普段の茶席では躾けられたおすまし顔のお嬢様方も、今日は随分はしゃいだ御様子だ。

清方の軸を選んで正解だった。

鏑木清方も戦後は鎌倉に居を構え晩年を過ごした美人画の巨匠だが、当時はまだ売出し中の新進作家だ。

鏑木清方の本画なんて、21世紀だったら到底買える値段では無かった。


新作和菓子の木守柿に、抹茶は萩の俵茶碗で出した。

伝統的な味にした木守柿に最も合うのはやはり伝統の抹茶だろう。

「わぁ、綺麗なお菓子!食べてしまうのが勿体無いくらい。」

「お味も上品で。」

「近頃上等な和三盆はなかなか入荷しないって、裏千家御用の和菓子屋さんが。」

「それならもっとゆっくり、じっくり味わっておかなきゃ!」

若い娘達はどの時代でもやはり甘い物好きだ。

帰りに玉依姫のやぐらに案内すると、透音さんは手提げから小さな御神酒の瓶を出して供えた。

三人は長い間手を合わせたまま無言で何か祈っていた。

懐紙に包んだ星宿餅を一つづつお土産に持たせると、また一際元気な声を揃えて礼を言われた。

娘さん達の明るい声に、普段は閑寂な茶画詩庵も華やいだ午後だった。

夕方にはまた大佛君が来て小一時間ほどウォルター・スコットを読み耽って帰った。

彼になら貸し出しても良いのだが、この時代の文士達に希少本を貸すとまず返って来ないと、21世紀で読んだ誰かの随筆に書いてあったのだ。


数日後には朝から久米君が来た。

どうせ目当てはここの洋書だろうから、数冊持って離れの茶室に行ってもらった。

今日は茶屋の営業日なので、読書には静かな茶室の方が良い。

書写もすると思い、文机も運んであげた。

昼に握り飯と煎茶を持って行くと、

「いやあ、申し訳ない。」

と、頭を掻きながらも本から目も上げずに言う。

やがて店仕舞の音に気が付いたようで、ようやく本を抱えて戻って来た。

「これ、有難う。ああ、芥川が今度来るって。」

「いつだ?」

「次の日曜だよ。良いかい?」

「支障無い。」

芥川君はかつて住んでいた鎌倉の震災後の様子が気になっていたそうだ。

と言いつつ彼もまた、ここの洋書が目当てに決まっている。

また俳句には相当入れ込んでいた事も、彼の没後に出た句集や書簡集を読んで知っている。

「では大佛君にも宜しく。」

と、久米君は帰って行った。

文士達は皆つくづく本の虫だ。


次の日曜日、昼過ぎに文士達は集まって来た。

私が迎えに出るより前に久米君が芥川君を女神像のやぐらに連れて行き、我が物顔に説明している。

蒲原先生始め文士達は何故か皆この姫神さまの虜となるのだ。

芥川君は話に頷きながらも無言でしゃがんだまま、じっと玉依姫の顔を見つめていた。

茶室の方に句会の準備をしてある。

置き床には蕪村の短冊を軸装に仕立てた小品を掛けた。

[よらですぐる藤沢寺のもみぢ哉]

鎌倉の隣り藤沢にある遊行寺の紅葉を詠んだ句だ。

文台に投句用の短冊と会記用紙が置いてある。

大佛君は縁側に座り句帳を出し、句を仕上げているのかぶつぶつ呟いている。


ようやく皆が入って来た。

「ほう、蕪村だね。遊行寺の句か。」

芥川が掛軸に近づいて見ている。

句の署名は夜半亭となっており、これが蕪村の別号と知っているのはさすが俳句好きだ。

彼なら江戸時代の洛東にあった蕪村大雅竹田ら文人達の桃源境の事も良く知っているだろう。

私の夢である鎌倉文士達の楽園を築くのに、彼もきっと協力してくれるはずだ。

「ああ。一遍上人は鎌倉へも来ているから、その縁で掛けておいた。」

「気が利いてるね、久米君が言っていた通りの人だ。」

「あははっ、恐悦至極。」

もう今更自己紹介も要らないようだ。

久米君に目で合図する。

「じゃあ始めよう。袋回しで良いよね。」

すると、

「僕は初心者なんだからお手柔らかにね!」

と大佛君。

「何が初心者だ、前からこっそりやっているのは知ってるぞ!」

と久米君。

この二人も気が合っているようだ。

袋回しは句会としては一番簡単なやり方で、皆が数句づつ投句した短冊を混ぜ合わせ、人数分に分けた封筒を回して行く。

それを見ながら気に入った句を書き写し、ひと回りしたらそれぞれが選んだ句を披講するのだ。

この日の投句は一人五句づつ、四人だからさほど時間も掛からずに終わる。

そして披講に移る。

五句選でその内一句を特選にして、点盛りは並選が一点特選は二点。

皆いい歳をして、自句が選ばれた時は得意げな顔になる。

自分の句を選んでくれた人は絶対良い人と思い込んでしまう。

この時の最高点句は芥川君の

[朝寒や鬼灯のこる草の中]

干涸びながら晩秋寒くなるまで残っている鬼灯の赤さが印象的だ。

「やあ、良い句会だよ!面白い面白い!」

最高点取れば、そりゃそうだろう。

芥川君の笑顔は本当に心の底から嬉しそうで、彼の未来を知っている私には彼のこの時の笑顔がとても貴重な物に思えた。

他の三人も不出来な人は無く、大佛君の句もそこそこ好評だった。

その後お互いの句を語り合ったりして全員が楽しんでくれたようだ。


母屋の座敷に移って皆に茶菓を振舞おうと運んで来た時には、皆すでに洋書棚にたかっていた。

芥川君が他を押し退けて真ん前だ。

私は取り敢えず茶菓を卓の席に置き、

「ごゆっくりどうぞ。」

と言うしか無かった。

そのうち大佛君が先日のスコットを持って席に付く。

スコットの騎士物語『アイヴァンホー』は後年彼の翻訳で世に出るのだ。

本にはもうちゃっかり彼の栞が挟んであった。

次に久米君がシェークスピアの詩劇集を持って来た。

「シェークスピアは俺の飯のタネなんだよね!」

目がぎらぎら輝いている。

彼もシェークスピアの翻訳は沢山手掛けているのだ。

やっと最後に芥川君が四五冊抱えてながら席に座った。

「凄いね、幻のウィリアム・モリスまで揃ってる!宝の山だよ。」

「喜んで貰えたようで何よりだ。」

「これは親父さんがイギリスで?」

「ああ、向こうからどっさり送ってくれた。貸し出しは出来ないが、良かったらいつでも気軽に来て読んでくれ。」

「じゃあ泊り込みでも良いかな?」

「あははは!どうぞどうぞ、大歓迎だ!」

「いやあ、持つべき物は良き友だ!はっはっは、いや有難う!」

と互いに握手の手を振り合いながら笑い合った。


二人は東京まで帰るため今日は早目に日暮前のお開きとなった。

私も鎌倉駅まで見送りに行き、大佛君ともそこで別れた。

帰り道は年に一度有るか無いかの全天を覆うほどの大夕焼けで、東京へ帰る二人もきっと車窓から同じ夕焼けを見ている事だろう。

一句浮かんで来た。

……………

[夕焼けて古都の全ては影の中]

この句が句会の前に出来ていれば高点句だったのに!

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