第16話 久米正雄
鎌倉の復旧も進んで来て、あちこちにバラックの避難所や仮設住宅が建っている。
食料や生活用品も出回り、露店や仮設店舗で買えるようになった。
ただ個人住宅の再建は木材と人手の不足からか、まだまだ難しいようだ。
電線の復旧にはまだ時間が掛かりそうだが、この頃の電気の普及率は元々全世帯の半分も行かず、街の人々もそう不自由そうでは無かった。
朝のうちに買い物を済ませ開店時間まで結構暇が出来たので、今日の午前中はしばらく手付かずだった納屋の奥の書庫をゆっくり調べる事にした。
書架はきちんと分類整理されていて、多少黴臭いもののそれなりに掃除もされていたようだ。
まず和書漢籍の類は主だった古典はほとんど揃っている。
江戸時代の歴史書が大量にあるのは、幕府の祐筆だった職業柄当然だろう。
俳諧の書も多く、芭蕉の元禄版猿蓑があったのは驚いた。
絵双紙や浮世絵本はあまり好みでは無かったようで見当たらない。
明治以降の物は詩句歌を中心に、主な作家の初版本が揃っている。
21世紀にこれだけ初版を揃えようと思ったらひと財産掛かるだろう。
私が特に見たかったのは、この当時は貴重だった洋書類だ。
第一次世界大戦の影響で、洋書は当時の日本では大変入手難だった。
ここには19世紀の英国本を中止に、立派な金文字革装丁の背表紙がずらっと並んでいる。
文筆を志す新之助のために貿易商だった父が現地で買い集めたのだ。
日本で買うよりは遥かに安価だったろうが、これだけの量は輸送だけでも結構費用がかかる。
確かにここの洋書を片っ端から翻訳するだけでも、最低限は文筆家として食って行けそうだ。
英国浪漫派を主にして詩小説戯曲など、豪華な銅版画の挿絵入りも多い。
中でも目当てにしていたラファエロ前派はほとんど全て揃っていた。
ラファエロ前派の特にロセッティの詩画集は、蒲原先生を筆頭に大正文士達も争って探している物だ。
茶画詩庵に並べて置けば、鎌倉文士達の目を惹く事間違いない。
私はさっそく店の座敷の一角に小型の本棚を置き、文士達の好きそうな洋書を見繕って並べた。
それをしばらく眺めていると和風の座敷に洋書の本棚はやや唐突な気がして来た。
本棚の上の壁も何となく間が抜けて見える。
そこに何か飾るとしても掛軸は合わないし、額装の絵でも有れば良いのだが………。
考えた末に私は書斎に行き色紙に自作の俳句を書いた。
納屋から色紙額を引っ張り出して来てその句を入れ本棚の上に掛けてみると、和洋折衷の大正らしい様式にも見えて気に入った。
句は、[月の街人には見えぬ猫の路]
まあ……白妙の句だ。
きっと大佛君だけは褒めてくれる。
もう一度部屋の全体感を見直し、満足してその日の茶画詩庵を開けた。
そして待望の大佛君がやって来た。
今日は白妙は居らず、代わりに一人の連れがいた。
あの顔は21世紀に写真で見て良く知っている。
久米正雄だ。
新之助と同年代で人の良さそうな目鼻立ちをしている。
大佛君とは同じ帝大の先輩後輩の間柄だ。
鎌倉に移り住むのはもう少し後だが、大震災の時には鎌倉に居てその手記を書いている。
「朝比奈さん、こちらは久米正雄さんです。」
「ようこそ、朝比奈です。」
「久米です。大佛君から面白い武勇伝を聞かされて是非一度会いたかったんですよ。」
「そうでしたか。どうぞごゆっくり。」
厨から珈琲を運んで来る間に、思った通り二人は目敏く本棚を見つけていた。
久米君はすでに本棚の前に座り込んでいる。
大佛君も一冊を手に頁を捲っていた。
「凄いよ、噂でしか知らなかった本がこんなに揃ってる!」
「これ全部僕が欲しかった本ですよ!どこに隠していたんですか。」
「ああ、店が落ち着いて来たんで出してみたんだ。亡父が英国から送ってくれた物だよ。」
「これ銀座の丸善あたりで買ったら気が遠くなる値だぞ。我々文士風情じゃとてもとても……」
因みに文士と言う言葉はこの久米正雄の造語だ。
他にも彼の造語で後世まで残った物は幾つもある。
その後戦後に至るまで鎌倉文士の世話役として名を馳せる彼も、この頃はまだ駆け出し文士だった。
また大佛君も翻訳本は何冊か手掛けている。
当時の文士達は皆語学は達者だった。
「まあ、ここに並べておくから久米君もいつでも来てくれ。」
「良いのかい!有難う。」
こうして私は後々鎌倉文士の代表格となる人物と出会えたのだ。
久米君は顔が広く面倒見も良いから、彼を通じて今後もいろいろな人達と知り合えるだろう。
活路が一気に開けた気がする。
「あれ、この句は朝比奈さんの?」
大佛君がようやく私の俳句に気付いてくれた。
「………人には見えぬ猫の路って、白妙の句だ!」
「へえ、幻想的な句だね。生垣の隙間から土塀の上、軒から跳んで月光の屋根までが眼裏に浮かんで来るよ。」
「良いなあ。僕もこんな俳句をやってみたいね。」
「俳句だったら俺も前からやってるんで、今度一緒にやろうか。」
「是非にも!」
「それならこの茶画詩庵を開放するよ。少人数なら離れの茶室をいつでも使える。」
「よし、やろうやろう!俺が幹事をやるから文士仲間の句会にしようじゃないか。」
「では久米君、宜しく頼むよ。」
これは幸運だった。
いよいよ私も鎌倉文士に交じって詩文を楽しむ事が出来る!
ゆくゆくはここ鎌倉に伝説のミューズの楽園のような、文士文化人達の楽土を築くのだ。
そして後世における日本の伝統文化衰退を少しでも食い止めたい。
帰り際に久米君を玉依姫のやぐらに案内した。
「はぁー、この微笑みは…………。ここの庵に何処となく浮世離れした雰囲気があるのは、こんな女神様が坐したからか!」
私は女神像発見の経緯と加護を彼に話した。
「羨ましい話だなあ。芥川なら凄い小説が書けそうじゃないか!」
「芥川龍之介か、機会があったら会ってみたいね。」
「そのうちまた来るだろう。彼が鎌倉に住んで居た頃は俺も良く来て、皆で楽しくやっていたんだがね。」
芥川龍之介は震災前に東京の田端に引越していた。
そして鎌倉を離れた彼は………………四年後に自殺する。
ふと玉依姫を見ればいつにも増して優しく、そして哀しげに微笑んでいた。
二人が帰ればもう店仕舞の時間で、すぐ食事の支度にかかった。
最近やっと夕食だけは一汁三菜が揃うようになったのが嬉しい。
魚は腰越漁港から来ている露天の魚屋で毎日でも買える。
朝昼はまだ前夜の残りで握り飯か茶漬けに精々自家製の漬物だが。
風呂を沸かし、秋も深まり澄んできた虫の声を聴きながら湯船に浸かっていると、色々な事が頭に浮かんで来る。
今日の久米君始めこの時代に来て友人や同好の士が次々出来た。
21世紀の私も過去の新之助も友人はごく少なっかたのに、震災後、いや玉依姫の出現以降は良き師に出会え友人が何人も出来た。
小さな神々がまだ生きている時代、それがこの大正だ。
だが私は未来を知っている。
昭和の二・二六事件以後は軍国主義と共に燃え上がる国家神道、そして敗戦後の掌を返した宗教や伝統文化の否定。
本来国家神道とは関係無い八百万の自然神達もまた、日本人の心から急速に失われて行くのだ。
ミルトンの描いた失楽園の様相が戦後の日本に起こる………。
いや!
そうはさせん!!
この麗しき姫神を失ってなるものか!!!
美しき自然の四季と共にある暮し、小さき神々がまだ生きているこの浄域を、何としても守って行きたい。
これまでの引き籠りの新之助には欠片も無かった、闘志と言う物が湧いて来た。
我ながら想い昂るあまり、つい長風呂になってしまった。
残る命の限りに鳴く虫の音を背に風呂から上がり、私はやや上気したまま寝床に入った。
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