第15話 木花咲耶姫
翌日は休日だったのでゆっくりと昨日の疲れが取れたろう午後も遅い頃、皆に茶画詩庵に集まってもらった。
色とりどりの小菊が咲き競う間を飛石伝いに座敷へ案内する。
座卓の上には接着剤とパテで丁寧に修復した木花咲耶姫像と、昨日の邪鬼が落とした小太刀が置いてある。
卓に珈琲と星宿餅を運び私も座った。
「まずこの小さな女神像をどうするかだが、あの山にあった祠は粉々でもう使えないだろう。新しい祠を造るにも土地の所有者の許可が要る。どうすれば良いかな?」
「私はここにご遷座頂くのが良いと思います。山の地主さんにしても真葛岡神社にしても震災の復旧だけで精一杯でしょうし、きっと欠けた小さな姫神さまの事など放っておかれるだけです。」
「大佛君はどう思う?」
「ここの裏山にも大きな山桜があるよね。木花咲耶姫ならあそこ辺りに置けば弱った神気も戻るんじゃないか?」
元々の場所に戻れるのが一番だとは思うが、皆の話を聞くとそれも難しそうだ。
傷ついた木花咲耶姫には、この玉依姫に護られた浄域で静養してもらうのが良いかも知れない。
「じゃあそうするか。裏山のこちら側はうちの地所になっているし、ごく簡易な石積みの祠なら山に転がっている鎌倉石で造れそうだしね。」
「わあ!玉依姫さまに続いて花の女神さまのご遷座なんて、とっても素敵です!」
「春になればこの庵で良い花見が出来そうだよね。」
「では私が祠を造っておくから、遷座式を開く時はまた宜しく頼むよ。」
「はい、楽しみに待ってます。」
「酉子も連れて来るよ。」
庭では今年最後となるだろう名残の揚羽蝶が、秋風に舞いながら木立の高みに消えて行った。
「もう一つはこの小太刀なんだが………」
朱塗りの鞘に収まり柄や鍔の拵えも古びた剣を手に取り、引き抜いて皆に見せた。
刃渡り一尺七寸ほどで反りの緩やかな小太刀だ。
「午前中にいろいろ調べたと…」
「おう!皆揃っているな。」
「先生!」
しばらくご無沙汰だった蒲原先生だ。
昨日来てくれれば良かったのに!
「このところ家の始末で飛び回っていての。」
白妙が縁側へ出迎えに走り、私は先生の茶菓を運ぶ。
三人で代わる代わるに昨日の出来事を話した。
「ほう、もう皆一人前じゃな!立派な物だ。」
先生に褒められて皆嬉しそうだ。
私もまたこの大詩人の機嫌の良い顔を見られて良かった。
「で、この小太刀は
「やはりそうでしたか。」
髭斬は古の源頼光の伝説で、やはり土蜘蛛の化物を退治した時に出て来た宝剣だ。
始めは蜘蛛斬とか膝斬とも呼ばれていたが、験の良くない名なので髭斬と改められ源氏重代の家宝となった。
その後長らく行方が知れなくなり、後世の徳川家に伝わった物は模作とも言われている。
私が午前中数時間かけて調べた結果も、これは髭斬だった。
もっとも本物を見た人は誰も居らず、古文書上の言い伝えでしか判別する術は無いが。
しかし実際目の前にあるこの小太刀は、銘などどうでも良くなるほどの凄絶な神気を放っている。
先生始め全員が私が使うべきだと言うので、遠慮なくそうさせてもらう事にした。
ただ髭斬の銘だけは有名過ぎて世間の噂になるのも困るので、源氏山で得た所以に源氏丸と呼ぶ事にしよう。
その後はわいわいと雑談に移ったが、大物討伐を成した後で皆満足げな顔だった。
裏山に石積みの小祠を造るのに四五日かかり、木花咲耶姫の遷座式は次の休日となった。
祠用の石を削るのには源氏丸が早速役立ってくれた。
最初はそんな事に使ってはまずいと思ったのだが、他の道具ではなかなか上手く行かずちょっと試しに使ってみると、大した力を入れずともさくさく石が削れ刃先には傷一つ付かない。
鎌倉石は砂岩質で石としては柔らかな方だが、これには驚いた。
源氏丸は陰陽五行で言う土の属性なのだろう。
八片焔剣は言うまでも無く火属性だからこれで二つ目の属性剣だ。
となるときっとあと三種、水と木と金の属性剣もあるのだろうか。
先生は上達すれば武具には頼らなくなると言っていたから、まあ見つかればば幸運位に思っておこう。
そして遷座式の日が来た。
天高く風澄む秋麗の日だった。
遷座の神事は昼前から行ない、そのあと庵で宴を催す予定となっている。
こうして明るい昼間に皆がそれぞれ意義を正した装束で集まると、寂びた我が庵もいつに無く華やいで見える。
透音さんは正式な巫女装束に花冠を付けて来てくれた。
酉子さんも小袖姿でそのまま舞台に立てるほどあでやかだった。
水干の大佛さんや陣羽織の先生も入れて、まるで中世の頃の鎌倉の都振りを思い起こさせる。
私も上下白の狩衣姿で祭主を務めた。
榊を持った私を先導に、透音さんが綾錦に包んだ木花咲耶姫像を白木の台に乗せて運び、大佛夫妻には御神酒と灯明を持って貰おう。
殿の蒲原先生に祝詞をお願いした。
小菊の庭からちょっと裏山に入った所の山桜までは一分も掛からないが、ゆっくり静々と歩を運ぶ。
桜の根本に造った石の祠には注連縄が張ってあり、まずは私が榊で場を清め、透音さんが姫神を祠の中に安置する。
次に大佛夫妻が燭明を灯し御神酒を供える。
蒲原先生が花山の祝詞を唱え、神鈴を持った透音さんが春日の舞を奉納した。
最後に皆で揃って二礼二拍手一礼、木花咲耶姫の御霊にご遷座頂いた。
たったこれだけの簡素な神事だったが、秋の花の庭に美しく装った人達が集い、心を浄めて奉る古風な儀式は、私が思っていたより遥かに晴れ晴れとした物だった。
私がいた21世紀の人々には決してわかってもらえない程、夢のように美しく厳かなひと時だ。
あの悍ましい土蜘蛛どもに二度も襲われ傷ついた姫神は、この浄域でこの人達に守られ、きっと元の神気を取り戻してくれるだろう。
さあ、庵の座敷に移って秋の宴だ!
私が用意したささやかな精進料理と皆が持ち寄った酒肴で、卓上は隙間も無く埋められた。
その真中には蒔絵の桶に秋野の花々が賑やかに盛られている。
祝宴の挨拶は蒲原先生だ。
「皆立派になったのう。これで鎌倉の行く先も安泰じゃ、乾杯!」
「乾杯!」
思えばあの震災後、そして私がこの時代に来てから初めての宴だ。
心底目出度い日となった。
我々もこの源氏山の一連の騒動の間に、仲間としての絆が強く結ばれた気がする。
それからは戦いの話から装束の話、言霊の話から詩歌の話、花の話から茶菓の話と話題は尽きず、夢うつつの間に時はたちまち過ぎて行く。
暮れ易い秋の陽が西の源氏山に沈みかけた頃、私は心地良い酔いの中に麗しい幻を見ていた。
春だ。
春の陽が溢れ花々が乱れ咲く庭を、十二単を纏った美しい姉妹がにこやかに歩いている。
私が話しかけても向こうには聞こえないようだ。
二人に近づこうとするが足が動かせない。
やがて姉妹は一陣の風に舞い散る花と共に消え去った。
後にはいつまでも散り止まない桜が一本立っているばかり。
私もそこから動けずいつまでも散る花を見ている
はっと気が付くと座敷では皆が帰り支度をしている。
私は手提灯を持って門まで見送りに出た。
暮れなずむ紺青の空で星々は座に着き、街の灯の数も少しづつ戻って来ている。
見送った時の皆の笑顔が私の眼に焼き付く。
[………今宵会ふ人みな美しき………]
庵に戻る庭の途中で、私は一人この与謝野晶子の名歌を呟いていた。
これは京都祇園の春の歌だが、来春の鎌倉の花時を楽しみに待つ事としよう。
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