第14話 源氏山の土蜘蛛

秋雨が二三日続き、鎌倉の秋も深まって来た。

庵の庭は桔梗に代わり小菊の盛りとなっている。

町では瓦礫の撤去もだいぶ進みバラックの避難所が幾つも建った。

駅周辺は掘立小屋ながら営業を再開する店も増えた。

そして銀行業務も仮店舗で再開されて、早速溜まった小銭を換金し当座の営業資金を降ろして来た。

鶴ヶ丘八幡宮も仮の拝殿が建ち、透音さんも巫女職に復帰したそうだ。

また横須賀線は品川まで復旧して、これで食材の買出しにも行ける。

茶画詩庵の客足も安定して、と言っても一日二十人弱だが、何とか私一人の食い扶持には足りる。

このひと月はいろいろな出来事が怒涛のように押し寄せる日々だったが、何とか凌いで今日まで生き延びる事が出来た。


その日は私が庭で菊の手入れをしているところに、大佛君が門から顔を覗かせた。

背広姿で風呂敷包を抱えている。

「朝比奈さん、お陰様で雑誌の連載が決まりました。」

「それは良かった。おめでとう!」

「今度書き始めたチャンバラ物が評判良くて、筆がどんどん進むんですよ。」

「そうだろう。君には時代物が合っていると思うよ。」

「チャンバラ物なんて、と馬鹿にされる事もありますが、小説で食って行ければ御の字です。」

「私もチャンバラは大好きだよ。娯楽小説を馬鹿にするのは売れない者の僻みだろう。」

「実は僕も最近戦いの場面を書くのがどんどん面白くなって来ましてね。」

いよいよ『鞍馬天狗』に着手したようだ。

大佛次郎の代表作の誕生だ!

「で、早くまた邪鬼退治に行きましょうよ!」

「えっ、執筆に追われて書斎に籠るんじゃないの?」

「いえいえ、あれをやらないと良い小説は書けません。」

「………」

「今ここに来る途中で源氏山を眺めたんですが、また何か怪しい雰囲気が!」

「………じゃあ私が見ておくから、君は早く仕事に行きなよ。

その風呂敷包は原稿だろ?」

「はい、では源氏山の偵察の方はよろしくお願いします。明日また寄ります。」

と言って、いそいそと去って行った。

仕方ない、夕方散歩がてら山を見に行くか。


源氏山に近付くと瘴気の漂っているのは前回とは反対側の真葛ヶ丘の方だった。

日の暮れる直前、残照の中に一瞬空まで立ち昇る濃い瘴気が見えた。

……これはちょっと不味い。

瘴気があんなに立ち昇っているのは初めてだ。

蒲原先生に相談したいが、忙しいのかこの四五日姿が見えない。

先生を待っている間にも、もっと瘴気が濃くなるかも知れない。

あれこれ考えたが、翌日みんなに集まってもらう事にした。


次の日の朝私は八幡宮に行き、透音さんに夕方化粧坂の下に来てくれるよう伝えた。

大佛君は午前中に庵に来て、夕方出直して来ると一旦帰って行った。

私は気を鎮めるために庭に出て素振りを繰り返す。

玉ノ井の水で汗を拭っているうちに、だいぶ落ち着いて来た。

手に負えなさそうなら、撤退すれば良い。

これまで瘴気が場所を移した例は無かったから、たぶん遠くまで追い掛けては来ないだろう。

今日は茶画詩庵も少し早めに店仕舞いして出陣だ。


身支度にも慣れて早めに庵を出て来たのに、化粧坂にはもうみんな集まっていた。

「ここから見ると瘴気は坂を登った真葛ヶ丘神社の方でしょう。あんなに濃く立ち昇っている。」

「ああ、今までより手強い敵のようだから、いざと言う時には撤退もある。皆そのつもりでいてくれ。」

「この前は手応えが無さ過ぎでしたから、望む所です!」

いやはや、勇ましいお姫さまだ。

「では、行ってみよう!」


急な坂を登った先はなだらかな真葛ヶ丘が広がっている。

その奥に建つのが、建武の中興の忠臣日野俊基を祀った真葛岡神社だ。

社殿に覆い被さるように一段と濃い瘴気が渦巻いていた。

震災で本殿は小壊だったようだが、脇に控える建物がバラバラに潰れてるのが瘴気の下に見える。

「透音さんは神鈴、大佛君は祝詞を頼む!」

私はやや前に出て剣を構える。

白妙が私の横に並んだ。

シャンシャンシャン

シャンシャンシャン

たいらけく〜!」

「平けく〜!」

透音さんも続いて唱和していく。

真葛岡まくずがおか奥津城おくつきの〜!」

「真葛岡の奥津城の〜!」

瘴気は徐々に薄れて行くが、逆に悍ましい気配は増して来た。

そして、

……ザザッ……

ザザザザッ!


瓦礫の下から大きさ二丈ほどもある土蜘蛛が這い出た!

同時に無惨にも喰い散らかされた人の遺骸が転がり出た。

遺骸はあちこち裂けた禰宜の装束を纏っている。

この前の蜘蛛どもの一匹が震災で圧死した禰宜の神気を喰らい巨大化したのだろう。

シャァ!

邪鬼はギザギザの毛を生やした前足を振り上げて威嚇している。

構わず祝詞は続く。

シャンシャンシャン

醜草しこくさ薙ぎて称へ辭竟ことおへ〜!」

「醜草薙ぎて称へ辭竟へ〜!」

シャシャシャシャシャーーー!


敵の動きは鈍っている。

「白妙!」

一瞬立ち竦んでいた私より早く、大佛君が白妙をけしかけた。

光と共に膨れ上がった白妙が、目にも止まらぬ速さで土蜘蛛に襲いかかった。

一打一打の攻撃力は軽いが、十分に敵の気を引いてくれる。

私はその隙に飛び込み、背後からの一撃を叩き込んだ。

キシャー!

八片焔剣が輝き出し、私は稽古で身に付いて来た蓮撃を繰り出した。

土蜘蛛の腹の下に潜り込み、右袈裟斬り!左逆袈裟!

かなりのダメージを受けた敵が後ろへよろける。

勢い込んで薙ぎ払いから斬り下ろしに移ろうとした大振りになった時!

私は奴の前足を躱し損ねて捕まってしまった。

くっ、調子に乗って深追いし過ぎた。

締め付ける足の力が強くて逃げられない。

噛みつきに来た土蜘蛛の大顎が眼前に迫る!

ファッ!

一瞬破邪の鉢金が鈍く光り、頭への噛みつきを防いでくれた。

そこに、


シャシャシャシャシャーーー!

「“神楽舞”!」

透音さんが咄嗟に神鈴を振ってくれた。

その浄音で土蜘蛛が怯んだ隙に私は奴の脚から逃れ、置き土産代わりの一撃を顎に叩き込んだ。

すかさず白妙が敵を撹乱し、体勢を立て直した私が追撃に移ろうと踏み込んだが………

ザザザザッ………

敵が元の瓦礫の中に潜ってしまった。


???

我々は恐る恐る瓦礫の下を覗き込むが敵は見えない。

三人で力を合わせ大きな瓦礫を退かした跡にあったのは、蜘蛛の糸だらけの大穴だった。

「………」

「はあ……」

「………逃げられた。」

自分達は撤退も覚悟だったが、まさか邪鬼が居場所を移して逃げるとは思わなかった。


「………もしかしたら!」

一度目は銭洗弁天の坂下、二番目はその坂を登った尾根、そして今回。

この源氏山全体が土蜘蛛一族の縄張りだったのかもしれない。

すると今奴が逃げた先は、

「二回目の木花咲耶姫の祠だ!」

神官の遺体の神気を喰らって巨大化した邪鬼なら、傷を回復させようとしてきっと女神像の神気を吸いに行く。

「急ごう!」

我々は木花咲耶姫の祠へ駆け出した。


破壊された祠の傍らに奴が蹲っていた。

キシャーッ!

我々に気付いた土蜘蛛が威嚇する。

「白妙ぇー、“幻燈”!」

白妙の残像が五彩に光り敵を幻惑する。

大佛と白妙の合技が進歩していた。

敵は怯んで動きが止まる。

なら私も!

剣に渾身の神威を乗せ

「“滅却”!!」

言霊に精魂を込め

「“仕る”!!!」

炎色煌めく八片焔剣で土蜘蛛の首を撥ね飛ばした!


邪鬼の遺骸は剣の業炎の中に消え失せ、やがてその炎も消えた。

「はぁー、今度の邪鬼はちょっと手応えがありましたね。」

「透音さん、さっきの神鈴は助かった。有難う。」

「いいえ、仲間なら当然です。」

「朝比奈さん、これ白妙が咥えて来ました。」

と、大佛さんが差し出したのは朱塗りの鞘に入った小太刀だった。

凄まじい神気が籠っている。

「おお、邪鬼の落として行った物だ。後で調べてみよう。」


そして私は土蜘蛛に壊された祠に歩み寄った。

割れた祠の石の間に先日安置したばかりの女神像が倒されていた。

上部は無事だったが足元が大きく欠けている。

私は懸命に辺りを探し、それらしいかけらを拾っては像と合わせた。

無い。

無い、無い!

「これでは?」

「……違うな。」

大佛君も透音さんも手伝ってくれた。

「あった、これだ!」

草の陰から遂に像とピッタリ合う欠片を見つけ、私はそれを手拭に包み懐へ入れてほっと息をついた。

皆さすがに疲れた顔をしていたので、話は後日茶画詩庵に集まる事にしてその日は解散したのだった。

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