第13話 武神の巫女

あくる朝、日課になった玉依姫の拝礼を終え朝食を済ませた頃。

「朝比奈さーん。」

透音さんだった。

「やあ、こんな朝からどうしたの?何か忘れ物?」

「いえ、昨日のお礼を言いたくて。」

「何だ、そんなに気を使わなくても良いよ。先生もご機嫌宜しかったようだし。」

「私いろいろ感激しっ放しで、またまたお礼も忘れて失礼してしまって……」

「それでこんなに早く?却ってこちらが恐縮だよ。」

「いえ、本当に有難う御座いました。…それで帰り道に先生が………」

「何か言われてた?」

「そのっ、こちらで稽古を付けて貰えと。」

「………稽古って、まさかあれ?」

「瘴気祓いです。」

「………」


稽古って、むしろ巫女職の方がお祓いの本職じゃないのか?

確かに彼女は神気も感得出来るし、和歌も上手そうだ。

だからと言って瘴気はともかく、あの見るも悍ましい邪鬼と戦わすのはねえ………

彼女は私が考えに浸っている間中もじもじしていたが、

「で、これを使えと。」

錦絹の袋から取り出したのは、蒲原先生が持っていた神鈴だった。

この神鈴の形は神楽鈴とも巫女鈴とも呼ばれていて、巫女舞などでよく見られる物だ。

「君の方がもっと神威を引き出せるじゃろうと仰って。」

確かにこの神鈴は先生より彼女が持つ方が圧倒的に似合う。

先生にはまだ護法剣や他の神器もあるだろうし、……まあ良いか。

「先生がそこまで見込んだなら、やって見ようか。」

「はい!是非お願いします。有難う御座います!」

喜色に満ちた彼女の笑顔を見ると、とうてい否とは言えなかった。

お祓いの本職だから祝詞の知識は私以上だろう。

あと彼女に必要なのは、言霊に神威を乗せる所と実戦経験か。

「では次に瘴気が出たら行ってみようか。用意しておいてくれ。」


待つ程もなく数日後の夕暮に、また源氏山方面に薄い瘴気を感じた。

私は万が一の時に備え万端の装備の腰にカンテラを下げて門を出ると、もう透音さんが駆けて来るのが見えた。

私より早く瘴気に気付いたようだ。

若者は元気が良い、と言うか私が準備に時間をかけ過ぎたか。

いや彼女は本職の武神の巫女だから普段の装束でも十分神気が込もっていると思っていたのが、今日の出立ちはあでやかな上下紫紺色の巫女装束に鉢巻まできりりと結んでいる。

用意しておいてとは言ったのだが、公家のお姫さまはここまでするのか………。

「そう急がなくても敵は逃げやしない。言霊に神威を乗せるには先ず調息だ。」

「はっ、はい!」

偉そうに先輩ぶってしまったが、私だってついこの前まではもっと慌てていたのだ。

まあ山に着くまでには自然と彼女の息も整うだろう。

二人で祝詞の手順を確認しながら源氏山の登り口に着くと、そこに大佛君と白妙が待っていた。

「どうやら前回とは違う場所みたいですね。」

瘴気は前回より少し奥の尾根筋だ。

「大佛君もだいぶはっきりと瘴気を観じるようになったね。」

「ええ、透音さんの装束も凛々しくて張り切ってますね。」

「何だかわくわくして来ました。」

皆この調子なら大丈夫だろう。

「さあ行こうか!」


現場の尾根路に着くとやはり小さな祠が荒らされ、薄く瘴気が漂っている。

打ち合わせ通り神鈴の拍子が始まった。

シャンシャンシャン

シャンシャンシャン

祝詞は大佛君と透音さん二人で。

「暗み夜のー」

「暗み夜のー」

ぞめきの山に吹き降ろすー」

「騒きの山に吹き降ろすー」

すると突然瘴気が濃くなり祠を中心に渦を巻き出した。

そこから数匹の一尺ほどもある蜘蛛が這い出て来る。

邪鬼だ!

薄い瘴気だったのでこれは想定外だった。

邪気にしては小さいものの数が多い。

気合を入れないと。

「白妙、“幻燈”!!」

すかさず白妙の体が膨れ上がり、白光を放ちながら蜘蛛に襲いかかった。

じっと構えてさっと跳び、ひらりと躱す。

速い!

残影しか見えない。

一打一打は軽いが着実にダメージを与えている。

まさに獲物を痛ぶる猫だ。

私も八片焔剣を構える。


だが後衛の二人は以外と落ち着いて祝詞を続けていた。

そしてより神威を込め言霊を唱えた!

「天津浄風きよかぜ峰峰ねねを鎮めよ!」

「天津浄風峰峰を鎮めよ!」

蜘蛛どもは白妙に蹴散らされ言霊に打たれ、腹を仰向けにしてのたうっている。

さあっと梢を揺らす風が吹き降ろし、透音さんが神鈴を高く掲げ、

シャラシャラシャラ!

「“常夜とこよ舞”!!」

華麗に袖を翻しつつ一差しの舞。

さすが武神の巫女だ!

邪鬼は神鈴の木霊する中、常闇の深淵に消えて行った。


「二人とも堂々たるもんだ、お見事!」

「いやあ、白妙のお陰です。練習して来た“幻燈”、上手くいって安心しました。」

大佛君はもう白妙に抱き付き、はしゃいでいる。

“幻燈”は神威を白妙の体に宿して能力を強化する技のようだ。

いつの間に会得したんだか。

いや、きっと戯れ合っているうちに自然に出た気がする。

「透音さんも落ち着いてたよ。神威も十分だった!」

「有難う御座います!」

あの悍ましい邪鬼どもを目の前にして、一歩も退かない覇気は大した物だ。

終盤で神鈴を高く掲げた時の姿は、長い髪が風に舞い神々しさまで纏っていた。

巫女職だからか、舞は自然と身に付いて出るのだろう。

それを言うと、

「いえ、この為に考えた舞です!」

ときっぱり答えた。

この時代の人達は皆歌舞伎演劇かぶれだし、映画に至っては最先端の娯楽だ。

まあ………仕方ない。


荒らされた小祠を調べると、中には古びた三寸ほどの石像が倒れていた。

カンテラの灯を近づけよく見れば、これも何かの神像らしい。

百足に汚された所は庵に持ち帰り綺麗に洗ってあげよう。

こうして三人と一匹の初共演は無事に終わった。


それぞれが家路につき、私は持ち帰った石像を玉ノ井の浄水で洗った。

ルーペで拡大して見ると、手に木の枝をもっている。

小さくてわかり難いが、衣装は玉依姫に似た十二単だ。

女神の像で枝を持っているのは養蚕神か木花咲耶姫このはなさくやひめあたり。

枝に付いているのが花なのか葉なのか、小さくて彫が粗くしかも擦り減っていて判別し難い。

だが養蚕神なら蚕部屋に祀るはずだから、山中に祀ってあったのならきっと木花咲耶姫だ。

源氏山は桜の名所だし、花の女神で間違いないだろう。

明日にでも山にお帰り頂くとして、今晩は眠りに付いた。


翌日さっそく木花咲耶姫の像を持って昨夜の祠へ行った。

あの戦闘を窺わせる跡はもう何処にも無く、石造の小さな祠は静寂の中に佇んでいた。

持って来た刷毛で中を清め、女神像を安置する。

灯明と御神酒の盃を供え、二礼二拍手一礼の正礼で御返して来た。


来そうだとは思っていたが案の定その日の夕方、まず透音さんがやって来た。

今日は普通の大正袴だ。

続けて大佛夫妻と白妙もやって来た。

私が厨でお茶を用意する間にも、三人で昨日の話で盛り上がっている。

今日は普通の抹茶だ。

白妙だけが私に付いて来たので煮干をやろう。

「………で、あでやかな紫紺の装束でひらりと回ってね。」

「へーえ、紫紺色ならあなたの水色とも合ってそうね。」

「大佛さんも白妙ちゃんも、とっても凛々しくて。」

戦闘の話より衣装の話か。

煎茶を運び私も席に加わった。

やがて女性陣の話の流れで、私の装束は白で統一すべきだと決められてしまった。

透音さんも鉢巻と足袋は白を使うと決めたようだ。

「これでそれぞれの個性を生かしながらも統一感のある、晴れの舞台衣装ね!」

さすが女優さんだ。

舞台では無いのだが……。


「おお、わしの知らんうちに皆随分と仲良くなったのう!」

蒲原先生だ。

「先生、白妙の鈴良く似合ってるでしょう!」

白妙は煮干を食べ終えて、今は大佛君の膝の上だ。

「もう付けたか。組紐も上等じゃ。」

先生にも煎茶を出して、私は一連の源氏山の事を話した。

「うーむ、肝心の八幡宮の神気が弱まっとるから物の怪も出て来よる。」

「そうでしたか。暫くは山の方も目が離せませんね。」

「鎌倉を守っておるのは三方を囲む山と南の海じゃよ。

そのあちこちにそれぞれ小さな守り神がおる。」

「ああ、塞の神や石仏ですね。」

「そうじゃ。以前からも土地開発などで退かされたり壊されたりしたが、山では今度の地震で倒れたままの物も多かろう。」

「地元の古老達が見に行っているとは聞きましたが、なかなか手が回らないのでしょう。」

「その上に邪鬼や物の怪ではのう。」

「このままだと鎌倉はどうなりますか?」

「瘴気邪鬼が増えれば町は滅びずとも人心は乱れ邪念が蔓延り、やがてはただ稼ぎ喰らい寝るだけの凡俗が巷に溢れるじゃろうて。」

「………………」


「いやあ、腕が鳴るなあ!昨日の邪鬼くらい、白妙が蹴散らしてくれますよ。」

「私ももっと華麗な技をお稽古したいです!」

「………」

大正時代の若人は元気が有り余っていた。

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