第11話 猫の初陣
それから間もない日の夕方、誰か外から大声で呼んでいる。
あの声は大佛君だ。
先日の様子を見るに、きっと日を置かずにやって来るだろうと思っていた。
「朝比奈さん。さっきから白妙が騒ぐんで付いて行ったら、どうやら源氏山の方に瘴気が!」
白妙の首には先生がくれた小鈴が、大佛君とお揃いの水色の紐で結んである。
「わかった。すぐ支度する。」
私は狩衣に破邪の鉢金を着け剣を持って、門で待っていた大佛君と白妙に合流した。
「どっちだ?」
「源氏山の銭洗弁天の方です。」
「よし、行こう!」
我々はまだ明るさの残る黄昏の道を急いだ。
道中彼が言うには、
「頂いた鈴を白妙に付けてからは、何だかこの子の言う事がわかる気がするんです。」
「ほぉ、先生も神猫だと言っていたしね。」
「それを確かめようとしていたら急に騒ぎ出し、付いて来いって感じで振り向き振り向き源氏山の方へ行くと瘴気を感じたんです。」
銭洗弁天は源氏山に登る坂から岩の隧道を抜けた先にある。
この頃はまだ水田の広がる谷戸の奥だ。
我々がそこに着くと山へ登るまでも無く、銭洗弁天に続く坂下に薄く瘴気が溜まっていた。
瘴気の下には山の登り口の道祖神が倒れている。
「これだ!間違いない。」
「背筋がぞわぞわして嫌な感じですよ。」
「ああ、それが瘴気の特徴だよ。もっと濃くなる前に祓ってしまおう。」
「いよいよ僕と白妙の初陣ですね。わくわくします!」
今回は大佛君達に主役をやってもらおう。
彼と白妙を前に出し、私は後詰めの位置に立った。
漂っていた瘴気が我々の方に動いて来た。
幾分濃度を増しているようだ。
「大佛君、祝詞を!」
「よし。白妙、行くぞー!」
大佛君の水干の神気が強まる。
白妙もすでに薄い光を放ち、唸りながら低く構えている。
「
「八束穂の〜!」
大佛君の祝詞に続けて私も唱和する。
「
「豊の灯奉る谷戸口の〜!」
白妙の光が膨れ上がり、瘴気の中心に向かって跳び掛かった!
着地するや否や横に跳び、そしてまた一撃。
「
「塞る禍影妙照らしめせ〜!!」
結句の言霊にもしっかり神威が籠っていた。
延喜式の「妙照」を結句に使い、なかなか力のある祝詞だった。
瘴気はしばらく揺らめいて、やがて渦を巻きながら小さくなり消えて行った。
私もいざという時の為に身構えてはいたが、それほど心配はしていなかった。
白妙は勿論大佛君の神気も、以前より格段に強くなっている。
それに羨ましいほど息が合っていた。
この程度の瘴気に遅れを取る事は無いだろう。
「良くやった!」
「はぁ、案外呆気なかったですね。」
大佛君は白妙を撫でながら、余裕の言葉を吐く。
「まだ瘴気が強まる前に祓えたからね。早期に発見した白妙のお手柄だ。」
「さすがうちの子。白妙、偉いぞ!」
白妙も満足そうに手の毛繕いをしていた。
「祝詞も適宜な詞で、さすが文学者だね。」
「祝詞だけは少し不安だったんですが、上手く行きましたか?」
「おお、私の最初の時よりは断然上だったよ!」
「有難う御座います!」
倒れていた道祖神を起こして、大佛君と白妙の初陣は無事に終わった。
次の日の午後、店を開ける前に大佛夫妻が白妙を連れてやって来た。
どうやら買い物などで町に出る度に茶画詩庵に寄るのが恒例となったらしい。
鎌倉文士らの集う小さな楽園と言う私の夢も、少しづつ実現しつつあるのだ。
私も張り合いが出て来た。
二人に茶菓を白妙には煮干を出して、縁側に腰掛ける。
当然昨日の初陣の話になった。
「……で、白妙がね……」
「……そこでこの子が……」
もう猫可愛がりとはこの事だ。
「……まあ、息は良く合っていたよ。」
「鈴の首紐は僕の水干を繕った時に出た端切れで、家内が作ってくれたんです。」
「ああ、酉子さんも有難う。お揃いの布で神気の波長も通じ合ったのかも知れないね。」
「うふふ、白い毛並みに水色が映えて可愛いでしょ!」
今日の白妙は酉子さんの膝に乗っている。
二人と一匹がこんなに喜んでいるなら、あの日一緒に神器を探し回った甲斐もあった。
町がもう少し落ち着いたら、またあちこち覗いて神器探しも面白そうだ。
新しい仲間がこんなに張り切っている。
置いて行かれないように、私も己れの心技体にもう少し磨きを掛けておきたい。
祝詞の研究は進めているが、我ながら剣技が覚束ないのだ。
前回の邪鬼は何とかなったが、あのままでは子供のチャンバラ並みだろう。
八幡宮の瘴気祓いの時の蒲原先生は短身の護法剣をもっとゆったり振っていた。
通常の剣道とは全く違う、昔の剣舞のような………。
そうか!神前に奉納する雅楽の舞いだ。
雅楽は八幡宮で例年奉納されているから、先生にも聞いて今度見に行ってみよう。
それまでは一人稽古だが、まあ剣の扱いに慣れるだけでも今よりはましだ。
あとは今の装備も見直したい。
先生は陣羽織と野袴に手甲脚絆の出立ちだった。
新之助の父が遺してくれた狩衣装束は良いが、慣れないせいかまだ立ち居振舞いがぎこちない。
これも稽古するしか無いだろう。
先日買って来たお古の狩衣を普段から着るようにして、まずは慣れるのが第一だ。
目下最大の問題は八片焔剣の帯剣だ。
剣は今大層な箱に入っているが、鞘が無いのでこの前は箱ごと抱えて走った。
鞘を自作するのは無理そうだからいずれは本職に頼むとして、今はせめて丈夫な麻袋でも探し腰帯に吊すようにしておこう。
そして、出来れば………もっと強力な技を覚えたい!
八片焔剣を握ると、剣ががそう言っている気がする。
翌朝からは玉依姫のやぐらの前が私の鍛練の場となった。
麗しき姫神の御前なら、一層気合も入るだろう。
そして何よりここは心を鎮めるには最適の場所だ。
稽古用の木刀が納屋にあったので、さっそくそれを使って素振りだ。
見た目よりかなり重いので鉄芯入りだろうか。
まず気を鎮め、一歩踏み込み袈裟懸け。
もう一歩横に躱して逆袈裟。
そして一歩引いて薙ぎ払い、さいごは上段から斬り下ろす。
直参旗本の家伝か新之助の記憶の奥にあった何かの剣の形を、ゆっくり何度も繰り返す。
それだけで腰の落とし方や摺り足の運びなどの動作が自然にこなれて来る。
極端な運動不足だった私は、ただ体を動かすだけでちょっと上達した気になれた。
この古式の稽古は心身も引き締まって気分が良い。
21世紀式のストレッチも加えて毎朝の習慣にしよう。
丁度その日の宵に玉依姫にお参りに来た先生にいろいろ聞いてみた。
「わしをこの道に導いてくれたのは、ごく普通の土地の古老じゃった。やはり祝詞が読めると言うだけで見込まれてのう。」
「その人の技は何だったのですか?」
「技も何も、僧でもないのに寺の払子を振っとったわ。わしもいろいろ聞いたんじゃが、自分で探せ、不教不伝、と言うのみでの。」
「では先生はご自分であの形を?」
「そうじゃよ。たまたまあの儀式用の護法剣を見つけて今の形になった。神器は何を持とうが身に付けようが、それぞれの好みで良いようじゃ。肝心なのは言霊と神威じゃよ。」
「本職の禰宜達は駄目なんですか?」
「彼らは彼らで日々神前に祈りを捧げておるが、なかなか神威の強い者は少ない。それに最近の神官は国の中央に出て出世する事ばかり考えおって、地元の事は二の次じゃ。」
「……そうでしたか。」
「我が師は亡くなる前に、己が故郷己が楽土は自分で護るのが当たり前、と言っておったよ。」
……………己が楽土、か。
その後も簡単な酒と肴を出して詩や文芸の話で盛り上がり、先生が帰ったのはだいぶ夜も更けた頃だった。
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