第8話 大佛次郎夫妻

茶画詩庵の開店二日目、ぼちぼち入っていた客がしばし途絶えた時。

「御免くださーい!」

「お邪魔しまーす。」

門の外から元気なご婦人の声がした。

「はーい、どうぞー!」

思わず私も大声になってしまった。

二人連れで入ってきたのは………

この人は未来で写真を見て知っている、大佛次郎夫人で人気女優の酉子さんだ。

郵便受けに宣伝のビラを入れておいたのだ。

「あら、良いお庭じゃない。」

もう一人はたぶん大佛宅の大家のデベッカさんだろう。


今日は床の間の花を吾亦紅と女郎花に替えてある。

花入は古越前のお歯黒壺だ。

もう一つ、実は柱掛けの短冊に私自身の俳句を飾ってあるのだが………

「私は噂の仙桃娘と………珈琲!」

「じゃあ私は仙桃娘と抹茶奥麗にするわ。」

「はい、しばしお待ちを。」

酉子さんが珈琲、デベッカさんが抹茶奥麗だ。

品を運ぶ間に二人は床の花を眺めている。

「秋の風情で良いわね、花入も小振りで可愛い。」

「お花の色と壺の土色が合ってて秋風が通って来るみたい。」

いやー、デベッカさんも良くお解りだ。


「お待たせしました。」

仙桃娘は変わらないが、皿は秋草模様の古染付けになっている。

「まあ、お皿の青でお菓子のピンクが引立って。」

「これ古いチャイナでしょ、綺麗ね。」

いろいろ褒めてくれて、良い人達だ。

珈琲と抹茶奥麗の茶碗は女性向けに色絵の仁清を選んだ。

「うーん、奥麗ってカフェオレのオレよね?でもカフェオレよりずっと奥深い味わいだわ。」

「こんなお座敷なら珈琲を抹茶碗でいただくのも良いわね。」

褒め上手と言うか、褒め過ぎだろう。

もう汲み出しで玉ノ井の霊水もサービスしておこう。

「ごゆっくりどうぞ。」

その後は二人でたっぷりお喋りを楽しんでいた。


「ご馳走様。また来る、と言うより通わせて頂くわ。」

「私の婦人会でも話題になっていて、是非来たかったの。」

地元婦人会が味方に付けば百人力だ。

「有難う御座いました。」

二人が立つのを見送っていると、

「あっ、この句素敵!」

とうとう柱掛けの句を見付けてくれた。

「……美しく秋風纏へ袖袂……うっとりするほど綺麗な句ね。」

「私も日本女性としてこんな着こなしが出来たらなー。」

「ジャパニーズ・ドレスの着こなしって、ここまで深いのね。このハイクで初めて知った………素敵だわ。」

我が句はともかく、ここに鎌倉文士達の詩書画を集めて、文芸好きが皆で語り合えればと思っているのだ。

江戸時代の京都鴨川畔、文人達の楽園、田能村竹田や篠崎小竹らが集った頼山陽の山紫水明処のように。


その夜は書斎で祝杯を上げたくなり、古唐津の徳利と盃を取り出した。

肴は秋茄子の漬物のお尻。

東の祇園山から下弦の月が出て、鎌倉中に爽やかな風の吹き渡る、静かで清らかな夜だ。

独酌独吟、幾つか句歌も出来て気分良く酔い、そのまま書斎で眠ってしまった。


同じ頃、大仏裏の大佛家では、

「今日はね、素敵だったの。」

「素敵って、何が?」

「八幡宮の脇に最近出来た茶画詩庵って言うお店がね、デベッカさんと行って素敵だったの。」

「ほう、店の名からすると文人風だな。」

「そう!だけれどそれだけじゃ無くて珈琲もあるの。それも抹茶のお茶碗で。」

「抹茶碗で珈琲か、面白いかも知れない。」

「菊の絵の京焼だか仁清だか、結構古そうな立派なお茶碗。」

「古そうなら多分仁清だろう。それで?」

「でね、お花も良くって。」

「ふんふん。」

「俳句も素敵で、確か………美しく秋風纏へ袖袂!」

「へえー、名句じゃないか。誰の句?」

「えーっと、誰だったかしら?……あれっ?」

「はっはっ、何だ肝心な事を。」

「えへへ、また行った時には聞いておくわ。」


新婚間もない大佛家でも震災後は明るい話題は少なく、久々の夫婦の心からの笑顔だった。

長谷の浜から鎌倉大仏周辺の瓦礫の撤去は遅々として進まず、無事だった大佛家もなかなか心から笑う事は憚かられていたのだ。

後の大小説家も今はまだ若く貧しかった。


翌日私はまた駅周辺と露店村へ食糧を買いに出た。

もう村と呼べるほど露店が増えているのだ。

また郵便局が仮設で営業していて、宅配は復活していないが局止めで受け取り出来るようだ。

ただし本人証明か証人二人が必要とのことで、家で証明書類を探してみよう。

私がやったように手書きのビラなどで不明者を探したり物や人手を募集したりで、我家の郵便受けにも何かしら入っていることはある。

郵便物の発送の方は到着までの時間はかかるが、出すには特段制限は無い。

まあ天涯孤独の新之助にはそうそう手紙類も来なさそうだが。

郵便局がこの調子だと銀行も仮営業ならもうすぐ再開出来るのではないだろうか。

茶画詩庵の売り上げでも小銭ばかり溜まって困るので、今は江戸時代の銭箱に入れてある。

鎌倉では今のところ泥棒騒ぎや不穏な噂は聞いていないので安心だが、家を空ける時はもう少し用心した方が良いかも知れない。

瘴気祓いは蒲原先生が言うように、鎌倉の平穏を守るのにも役立っていると思いたい。


帰りはいつもの若宮大路ではなく焼け跡の小町の路地を歩いて行くと、何軒かは掘立小屋の仮店舗でもう営業を再開していた。

食料品の店が多く、住民にとっては大変有難い。

炊き出しや配給の食品だけでは何時迄も持たない。

そこで肉魚類の缶詰を幾つかと抹茶と煎茶が手に入った。

珈琲豆と砂糖粉ミルクはまだ備蓄がたっぷりあったが、抹茶奥麗が好評で抹茶の在庫が不安だったので助かった。

嗜好品は配給に頼れないから、これで一安心だ。

あとは油類と餅米も欲しいのだが、この調子ならもうすぐ買えるようになるだろう。

和菓子の新作も考えていて、その為の調理器具が欲しい。

まあ贅沢を言い出せばきりがないが、未来の知識で復興が速やかだった事を知っているので、私に焦りは無かった。


その日の茶画詩庵も無事に終わり簡易ながらも帳簿を付け、この週の結果をまとめておいた。

一日四時間、週五日しか開店していない割には、悪くない売上だった。

四時間と言っても仕込み片付け掃除の時間は別なので、まあ一人で良くやっている方だと思う。

お客さん方もこんな時世にも関わらず良い人達ばかりで、取り立ててトラブルも無かったのが幸いだ。

いろいろな事が皆玉依姫の恩恵で進んでいるように思えて、夕べの御参りは一段と念入りにしておいた。

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