第6話 茶画詩庵
昨夜は蒲原先生の話を思い返してなかなか寝付けなかったが、朝一番で玉依姫の麗しい微笑みに接すればたちまち元気になれる。
玉ノ井の水を汲みながら先生に「茶屋でもやったら」と言われたのを思い出し、自分が未来の豊富なレシピを知っている事に改めて思い当たった。
このまま家の資産を食い潰す暮しは避けたいが、当面文筆業では食い扶持にもならない。
玉依姫の加護を受ける身としては瘴気祓い邪鬼祓いを続けて行く覚悟だが、これも金にはならないだろう。
とすれば日銭稼ぎの茶屋をやるべきなのではないか。
母屋の座敷は当分使わないし、離れの茶室もある。
天気の良い日は庭席も良いだろう。
大した儲けにはならなくとも、食い扶持くらいは稼げそうだ。
歴史では鎌倉の復興は速やかに進み、翌年には元からの人口以上の移住者がやって来るのだ。
その多くは震災後の東京の近代化を嫌った文化人達だ。
この場所の将来性も十分にある。
21世紀の晃介だった頃は鎌倉の観光案内や食べ歩き雑誌の原稿で食い継いでいた。
その時に覚えた名物や人気店のレシピは肝心なところは各店の企業秘密としても、基本的な技術や主な材料はみな気軽に教えてくれた。
それらを元に自分で作ってみた物も結構ある。
取り敢えずこの時代で作れる物を試してみよう。
厨と納屋を捜索した結果、今すぐ出来るのは蒲原先生に好評だった抹茶ラテ改め抹茶奥麗だ。
抹茶の備蓄は営業を続けて行くには心許ないが、各商店が営業再開すれば問題ない。
当時まだ貴重品だった砂糖と粉ミルクに加え珈琲豆の備蓄はたっぷりある。
過去の新之助もかなりの珈琲好きだったのだ。
何故か珈琲ミルは書斎に置いてあった。
珈琲豆は明治末から輸入されて今は世間にも広まっているし、抹茶碗で珈琲と言う私の嗜好も満たせそうだ。
更には少し前の時代から甲州で生産が始まった桃と葡萄の缶詰が買い溜めてあり、餅と合わせればフルーツ大福が作れそうだ。
周囲がこんな状況だからきちんとした店舗では無くとも大丈夫だろう。
皿碗と盆は結構良い物が沢山ある。
どうせなら江戸時代の茶店風にして、売茶翁にあやかって旗だけは立てて。
床飾りは………
などと夢は次々広がり、今日一日はそれで終わってしまった。
翌日は店で使う道具類の調達で家中を探し回った。
結果、調理用具、食器類は当面足りていた。
あとは座敷用の座卓が二つ、茶室用の小机、座布団十二枚、帳場代わりの小箪笥など。
足りない庭席用の長椅子と旗は手作りしよう。
座敷と茶室の床飾り用の古書画は調べきれない程あり、四季別に整理するだけでも丸一日かかりそうなので、表書を見てすぐに必要な秋の物だけ幾つか出しておいた。
花入の種類も揃っていて、庭の四季の花を活けるだけでかなり楽しめそうだ。
床の間の掛軸だけで無く、間が抜けて見える壁や柱には短冊掛けも飾ろう。
短冊なら先日蒲原先生に頂いた物を初めに、鎌倉文士物を集めれば地元の話題にもなるかも知れない。
飾れる書画がこれだけあるなら、店の名は「茶画詩庵」。
これに決まりだ。
姫神の浄域、古の文人の理想の園、古き良き大正鎌倉の文化を後世に伝え得る庵だ。
午後は納屋にあった作業台の足を切り詰め、庭席用の長椅子が二つ出来た。
緋毛氈を被せるので表面に多少傷があっても大丈夫だろう。
庭席を設える場所を考えると、青薄の茂っている辺りは少し整理が必要だ。
座敷の席へは庭から上がってもらうとして、その通路の飛石も少し動かそう。
いずれにしても開店前に、屋内と庭の大掃除はしなければならない。
と、あれやこれやであっという間に準備の一週間が過ぎ、今日はようやく茶画詩庵の試運転に漕ぎつけのだ。
引き篭もりだった新之助にしては良く頑張ったと思う。
客はお隣の山村夫妻をご招待した。
「やあ、お招き有難う。」
「夫婦して沈んでいた所に、楽しそうなお誘いで嬉しいわ。」
「ようこそ、いらっしゃいました。
さあこちらへどうぞ。」
庭の飛石伝いに秋草の咲く庭を、座敷の縁側の沓脱石へ。
今日は座敷の座卓は一つだけだ。
床の間の掛軸は田能村竹田の高士観瀑図、花は野紺菊に花入は滝の絵に因んだ古魚籠。
山村さんも絵は好きな様子でにじり寄って見てくれる。
掛けた甲斐があったと言うものだ。
「今日は当庵自慢の、と言いますか今はこれしか作れない抹茶奥麗と仙桃娘で御座います。
しばしお待ちを。」
「まあ楽しみだわ。初めて聞くお茶ね。」
私はまず厨に用意しておいた菓子の盆を運んだ。
古伊万里の金襴手の皿に片側がナイフのように使える小振りの英国製デザートフォークを添え、ほんのりと薄紅色の差す仙桃娘を乗せた。
「先ずはこちらを召し上がれ。」
「うわー、綺麗な大福ね。」
「では遠慮なく。」
タイミングを見計らい抹茶奥麗を仕上げて運ぶ。
皿は既に空で、夫妻は無言でもぐもぐしている。
「こちらがそこの玉ノ井の水を使った抹茶奥麗です。」
ご主人には絵唐津の、夫人には絵志野の茶碗を薦める。
一口飲んだ夫人が、
「まあ、これは…」
と、呟きすぐ二口目三口目へ。
ご主人も作法通り飲み終えて、
「私も外交官だったから色々な国のティー&ケイクを知っているが、これほど日本人に合う茶菓は初めてだよ。」
「本当にそう。毎日でも頂きたいわ。」
「床の間の設えも茶器も茶菓も極上じゃないか。」
「きっと大繁昌するわね。」
お世辞半分としても嬉しい。
試食会は成功と言えるだろう。
「お褒めに与り恐縮です。安心して開店出来ます!」
もう一度床飾りを眺め、夫妻は楽しそうに語らいながら帰って行った。
これでいつでも開店出来るだろう。
あとは少し宣伝も必要か。
今回は手書きで良いから地図入りのビラでも配って、路地の入口あたりに張り紙を出させてもらおう。
明日にでもビラと張り紙を作り、明後日からはそれを市中に配るついでに、また世情調査もしたい。
すると開店は四五日後になる。
どうせ趣味でやる茶屋だから、慣れないうちは客も少な目で良い。
楽しみながらぼちぼち始めて、鎌倉の復興と共に軌道に乗せるのが理想だろう。
一昨日あたりから井戸水の濁りも取れて来て、今夜は転生後初めての風呂を沸かした。
「いやー、生き返る生き返る!」
湯殿の外では珍しいスイッチョが綺麗な声を聴かせてくれる。
風呂の中で良さそうな句歌が二三出来たのだが、ゆっくりし過ぎて湯を出るまでに忘れてしまい書き留めたのは一句だけだった。
ビラが百枚ほど出来たので未来の知識にあった鎌倉文士の家を中心に、被害が軽そうな家の郵便受けに入れて回る。
元々鎌倉は狭い町なので、日暮れまでかかったが一日で回り終えた。
震災から二週間で潰れたままの家屋もまだ多いが、道路や路地だけはそこそこ片付いていた。
町の巷巷で見聞きした情報によると横須賀海軍の動きは迅速で、主な道路の瓦礫の撤去はほぼ終り今は工兵隊が総力を上げてインフラの整備に取り掛かっているそうだ。
民間も立ち直りは早く、一部ではすでに家屋の修理や新築の槌音が瓦礫の町に響いている。
駅前広場の炊き出しは今日もやっていた。
八幡宮や主要な社寺も国や市が協力して再建する事が決まった。
その反面亡くなられた方々も多く、合同葬儀を市の主催で行うようだ。
軽傷者はもう仕事に復帰しているが、重症者もやっと被害の軽かった建物に収容された。
家を失った人々のうち親類知人などの避難先の当てが無い人はまだまだ避難所暮しだが、食糧は全国からの支援が届き十分足りている。
鎌倉の人々は皆落ち着いてそれぞれ出来る事を成し、着実に明日への希望に向けて進んでいる。
そのような人々の力が震災後数年にして人口が以前の三倍に達する繁栄を導いたのだろう。
私が特に感心したのは地元農家や漁師の人々で、例の市場跡の露店は十店以上に増えリヤカーに食物を満載して賑っている。
顔見知りになった老人は
「毎朝忙しくて困るが客が喜んで買って行くのを見ると、この老骨にも鞭を入れて努めるしかあるまい。」
と、賢者のような口調で語る。
野菜と卵を数日分に農家手作りの漬物を買い、やはり地元の漁師の露店で干物を買った。
帰りに駅前で立ち売りの新聞が出ていたのでこれも買って帰る。
開店準備とビラ配りで歩き回った疲れを取るため、明日は完全休養日の予定だ。
夕食後すぐ風呂に入ってくつろぎ、日が暮れてすぐに眠ってしまった。
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