第4話 瘴気祓い

転生後数日経ち、どうやら毎日早朝に目覚めるのが習慣になりつつある。

21世紀の私は夜型人間で徹夜仕事も珍しく無かったが、この時代に転生してからは以前よりずっと健康な暮しを送れる気がする。

停電が続き就寝時間が早いせいもあるが、何より毎朝の玉依姫への礼拝が気分を良くしてくれるのだ。

この家で麗しき女神と共にある暮しは、まるで自分がミューズの園のアポロンにでもなったようだ。


今日はもう少し落ち着いて、新之助の過去の事やこの先の生き方なども考えたい。

昨晩の残りで朝食を済ませ、庭の桔梗を活けた書斎で新之助の日記を読み出した。

貿易商の両親が留守がちだった家を守る為もあったのか、新之助は家に引き籠り読書と句歌に耽る日々だった。

よって学生時代からの友人知人は少なかったようだ。

異国の事故で両親を亡くした後一人息子の新之助が全財産と横浜の商館を相続するが、己れの商才の無さを自覚していた彼は商館を売り払い文筆業を志した。

書斎の文箱には彼が書いた沢山の詩や俳句短歌などの草稿が残っている。

そんな息子の為に生前の両親が東洋西洋を問わず詩歌の本を山ほど買い集めたのが、納屋の書庫にある膨大な蔵書だ。

新之助の記憶を探ると彼自身も大変な勉強家だったようで、21世紀で同じく本好きだった私も驚く程の読書量だ。

生活には当面困らない程の資産もあり、これからは古の文人のような隠遁生活を送ろうと思っていたようだ。

この辺で日記を閉じた。

「う〜ん、これなら私と似たような物だ。」

これはきっと血筋なのだろうか。

晃介は新之助の志を継ぐと言うより、素のままででも新之助になりきれる気がする。

「よし、これからは私は新之助だ!晃介はさっぱりと忘れよう。」

私は立ち上がって自らに宣言した。

これからは晃介だった分も含めて、この時代の新之助としての人生を楽しんで行こう。

私の転生以前の新之助が後に投機の失敗で家財の全てを失う事だけは許せなが、まあそこは私が何とか出来るだろう。


この大正の家に来てから強く感じるのは、私も含め未来の日本人が如何に俗化した暮らしに順応してしまったかだ。

ここの暮らしの清浄さ美しさに比べれば、未来の日本は隅から隅まで俗っぽく思えて来る。

特に第二次大戦に負けた後は、自然と調和した生活も気高き精神も神聖な物も徐々に失われて行く。

その風潮を少しでも変えて行く事は、未来から転生した私に与えられた天命だとも思えて来た。

少なくとも鎌倉のこの一帯だけは今の清浄なる神気を保ち、自然や神々と共にある古き良き精神生活を子孫達に伝えたいものだ。


午後になると門の外に騒がしい声がした。

出て見ると潰れた農具小屋の撤去に人が来ている。

確か田端と言う農家だったのを思い出し、話しかけてみた。

「ご苦労様。災難でしたね。」

「いやあ、朝比奈さん。うちも家族に怪我人が出なかっただけで運が良いほうだろうね。」

「それは何より。うちの方もお陰様で被害は軽かった。」

「この瓦礫も、良かったら薪木にでも使うかい?」

「ああ、有難う。じゃあ細かいのは頂こう。」

彼はさっさと再利用出来そうな木材だけをリアカーに積んで帰って行った。

私も縄を持って来て薪木になりそうな瓦礫を束ねる。

薪木が五束ほどになった時、誰かに呼ばれた。

「おお、朝比奈君。息災じゃったか!」


そこに来ていたのは父圭介とは親しい友人であり、新之助も何度も会った事のある詩人の蒲原有明だった。

21世紀では忘れ去られていたが私に取っては世紀の大詩人で、彼の詩集は全て持っていたほどだ。

「蒲原先生!お家に被害があったそうで?」

「ああ家は半壊、いやあれでは全部建て直す方が早いじゃろう。」

思わず言ってしまったが蒲原家の被害を知っていたのは未来の知識からで、実際に見たり聞いたりした訳ではない。

危ない危ない。

「私でお役に立つ事なら、どうぞご遠慮なく。」

「有難いが心配は要らんよ。それより君に聞きたいのはあれだ。」

と言ってやぐらのある方を指差した。

「あれと申しますと?」

「あの神気じゃ」

「ああ、さすが先生もお気付きでしたか。実は………」

と、私は女神像の発見を打ち明け、やぐらまで案内した。

「おお、これは鎌倉時代か平安末期の本物じゃ!しかも神気が尋常ではない!!」

「お陰で毎朝気分良く目覚めます。」

「そうじゃろう。鎌倉も震災のあと日に日に瘴気が溜まって来る中で、ここだけは清浄な神気に護られておる。」

「街の方のあの嫌な気配は瘴気でしたか………」

先生にはまだ何か話がありそうだったので、茶室に座ってもらい玉ノ井の水で冷茶を淹れてきた。


「これも浄水じゃな、ここで茶屋でもやればきっと流行る。」

「茶ならいつでもお寄りください。」

大詩人は八幡宮の方角を眺めながら、しばらく何か熟考されていた。

「そうじゃの………玉依姫の加護とは都合が良い。確か君は俳句や和歌が詠めたな?」

「詠むには詠めますが未熟なもので。」

「ある程度の文語古語がわかればそれで良い。肝心なのは神気と瘴気の見極めじゃよ。」

「はあ、それで私に何を?」

「瘴気祓いじゃ。」

言われた言葉の意味は朧げにわかるが、

「………無理です。」

「最初はわしに付いて祝詞を誦えるだけで良い。今日の真夜に八幡宮に来い。」

「いや、無謀で……」

「真夜中に八幡宮だ!」

「………はい。」

こうして私はなし崩しに得体の知れない瘴気祓いとやらに加わる羽目となった。


真夜中の仕事に備え夕方から少し仮眠を取り、夜十時頃に起きた。

握り飯で遅い夕食を取り、家を出る前に玉依姫に灯明と御神酒を供えておく。

納屋にあったカンテラを帯に提げ、少し早いが出陣だ。

いざ外に出てみれば思っていたほどの不安感は無く、むしろ勇壮な気分だった。

ファンタジーゲームのスタートだと思えば良い。


蒲原先生は八幡宮本殿よりやや手前の参道で待って居た。

その出立ちは陣羽織に野袴で額に鉢金、左手に巫女が持つような神楽鈴、右手に刃先が菱形で短身の護法剣を持っている。

一枚の札に書かれた和歌を渡され、

「この祝詞をわしに続いて唱えるのじゃ。言霊に神威を乗せての。」

続いて鈴を持たされ、

「これで拍子を取りわしの祝詞に唱和せい。神鈴の音が瘴気を祓う。」

「その剣は?」

「瘴気が実体化して邪鬼が出たら、これで斬る!」

邪鬼?

斬る?

何だ、それ??

普段の温厚な姿からは激変したこの大詩人は今、沸き立つような闘気を纏っていた。

「まだ今晩程度の瘴気なら邪鬼の実体化は起こらんから、さっさと始めるか。」

もうここまで来たら覚悟を決めて、やるしかない。

私も参道の中央に立った。


先生の合図で鈴を振り拍子を打ち始める。

シャンシャンシャン

シャンシャンシャン

三拍一休のリズムに乗せてゆるゆると先生の剣が天へ向いて行く。

その剣が天心に達した時、祝詞の詠唱が始まった。

和魂にきたまの〜!」

「和魂の〜!」

私も四拍遅れで昌和して行く。

國平くにたいらけく天紘あまひろく〜!」

「國平けく天紘く〜!」

禍足渡まがたりわたる磐根いわね断たむや〜!!」

「禍足渡る磐根絶たむや〜!」

先生が言霊に合わせてゆったりと舞うように振る剣は、時折り仄かに発光するようだ。

最後は二人声を合わせて唱え、先生の剣が大きく二度振り払われ、

「“滅却”!」

で終わった。

一陣の涼風が吹き渡り叢雲は切れ、今は満天の星が見える。

地上を見渡せば我家の辺りや山々の所々が仄かに明るんでいる。

今の私にはそれが神気だとわかる。


「上出来上出来。君はわしより遥かに神気に馴染んでいるようじゃ。」

「お役に立ちましたか。」

「応よ!この様子なら仕込み甲斐がある。」

………まだまだ先があるようだ。

「明日は君の武具装束を揃えよう。君のお父上が使っていた物がどこかに仕舞ってあるはずじゃ。」

「………はい、お願いします。」

もうすっかり巻き込まれてしまったが、これは神官かお祓い師の仕事じゃないのか?

まあ、また今度聞いて見よう。

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