第2話 地鎮の女神像

我家の歴史は大まかには以前から聞いていたが、御先祖の日記をちゃんと読むのは初めてだ。

それによると新之助はこの時点で二十八歳、21世紀での晃介が二十九歳と同年代だったのは転生後の生活には好都合だ。

新之助の父圭介は我が家系では珍しく商才に恵まれた人物で、明治維新で没落した旗本の家に生まれながらいち早く語学を修め、第一次大戦前後の貿易商として財を成した。

しかしこの震災前の大正九年に英国出張中の鉄道事故で夫婦共に亡くなっている。

従って一人息子の新之助は天涯孤独の独身で、大学を出た後も父の事業を継がず翻訳や文筆業で細々と暮らし、この大震災も何とか無事に生き延びた。

そしてその後………昭和恐慌で投機に失敗しほとんどの資産を失う事になる。


21世紀の晃介の両親も交通事故で亡くなっていたが大正時代の新之助も似た境遇で、一人暮しなのも転生した私に取ってはやり易いだろう。

しかし後世の我家歴代の清貧生活はこの後の新之助の投機失敗のせいだった。

横浜にあった圭介の立派な商館もここ鎌倉の土地と資産のほとんどを失い、残ったのがあの古びた母屋ひとつとは………。

ただ投機失敗がわかっていれば、未来の晃介の知識を得た今の新之助には対処のしようもある。

やるべき事が一つでも見えて来て、私の気持ちは少し明るくなった。


さて、この時点ではここの家屋敷も揃っているし、調べれば現金資産もそこそこあるだろうから、そうなるとこの被災状況下で今日明日の食糧や生活必需品の確保が先決だ。

念のためもう一度二階の窓から火災の状況を確かめると、いまの所この付近には延焼も広がってはいない。

未来の晃介にも過去にこの家が焼けた記憶は無いので、そこは安心して良いだろう。

二階には私の部屋の他にあと二部屋あり、一部屋は新之助の私室だったらしくもう一部屋は布団や座布団などの物置きになっていた。

食糧は自室に21世紀のカップ麺やレトルト食の買置きがそこそこある。

この時代に都市ガスはまだ無いので燃料になる物を探すと、母屋の厨の裏に薪はたっぷり貯蔵してあった。

ついでに米や塩砂糖、味噌醤油、缶詰乾物類も数ヶ月分はある。

残る懸念は水だ。

これだけの地所なら井戸もあるだろうと勝手口から外に出ると、手押しポンプの井戸はすぐに見つかったが、地震の影響か結構濁っている。

取り敢えずは濾過や煮沸をすれば飲めるだろうが、手間はかかりそうだ。


納屋も見に行こうと裏庭から山際に廻った際に、岩壁にある鎌倉特有のやぐらと呼ぶ岩窟の奥が崩れて穴が開き、更なる奥に小室があるのに気がついた。

そこから細い水が流れ出している。

これは放っておくと危なそうなので、確認しなければいけないだろう。

岩壁自体は頑丈そうでひび割れも無い。

私は這いつくばりながら恐る恐る穴を覗き込んだ。

奥の小室には石像の上半身らしき物が、崩れた土砂から突き出ている。

土砂を手で掻き出したところ、そこに出現したのは高さ二尺ほどの見事な石彫の女神像だった。

台座には『玉依毘売命たまよりひめのみこと』と文字が彫ってあった。

一般的には玉依姫たまよりひめとも呼ばれる姫神だ。

鎌倉には中世以来の石造物が沢山残っているが、これほど優美な像は見た事が無い。

十二単を纏ったたおやかな姿で微かに微笑みを浮かべたまま、幾百年を暗闇に閉ざされていたのだろうか。

水は像の奥の狭い岩間から流れ出ていて、長い年月涸れていた水脈がこの地震で繋がったのだろう。

その水口にも小さな字で『玉ノ井』とある。

玉は霊を意味して清浄な物によく付けられる名だ。

つまりこの麗しき女神は清浄なる結界を護持する古き地鎮の神なのだろう。

また玉依も霊依りで、神々の依代である巫女達の守護神でもある。

やぐらからは清澄な冷気が漂っている。

いつしか私は何も考え無しに這い寄るようにして、湧水を掬い一口飲んでいた。

地震発生後4〜5時間経ち相当喉が渇いていたのか、浄水は腹に染み通るような甘露だった。


女神像と湧水はまだまだ謎が多く気になるが、先立ってしなければならない事はまだある。

まず納屋を開けて見ると雑多な家具道具類と棚には古い桐箱に入った食器茶道具類、さらに細長い箱の書画の掛軸類が山と積まれていた。

もう一つ奥に続く扉を開けると結構な広さの書庫があり、天井まである造り付けの本棚が幾重にも並んでいる。

三割くらいは立派な装丁の洋書だ。

貿易商だった圭介が買い集めた物らしく、当時の洋書は大変貴重な物だったろうから、本好きの私としては後でじっくり調べてみたい。


離れの茶室を調べるのは明日以降でも良いだろう。

一通り家屋敷の確認が終り、次に急ぐべきは隣近所の様子見だろう。

新之助の記憶も徐々に戻っていて、我が地所の西側は畑で路地を挟んだ南は農具小屋、斜向いはあまり付き合いも無くほとんど不在の家だった。

東隣には外交官を引退した山村と言う老夫妻が住んでいたはずだ。

新之助の父圭介とは親しく行き来していたはずで、その夫妻の様子を見に行こう。


「御免ください、山村さーん! 隣の朝比奈です。」

「ああ、朝比奈君。ちょっと待ってね。」

と悠然と玄関に出て来たのは、こんな時にも羽織袴を纏った白髭の小柄な老人だ。

「山村さん、ご無事でしたか。」

「うむ、お陰さんで家内も無事じゃった。」

「それは何より。拝見する所、建物の被害も軽そうで。」

「ああ、食器が少し割れたくらいで済んだわい。君も息災のようで重畳じゃ。」

「水や食糧燃料が入用ならうちに余っていますので、どうぞお声掛けください。」

「それは有難い。うちも当面の物はあるが先々不自由したらお願いしよう。」

「ではこれで。」

「ああ、有難う。」

ふぅー、何とか新之助に成りおおせているようだ。

和風の庭までも手入れが行き届いている隣家を後に、私は一息ついた。

付き合いの無い斜向いの家は一部が少し傾き板塀もやや歪んでいるものの、大した被害は無さそうだ

農具小屋はペシャンコだが、元々が簡易な造りなので仕方あるまい。

この一帯は他の地域に比べ遥かに軽微な被害で済んでいる。

路地は明日の朝にでも飛んで来たゴミを掃除すれば通行に支障は無い。

ご近所まで軽い被害で済んだのは、ここの地鎮の神であるあの麗しき女神像、玉依姫の加護が広く及んだのかも知れない。


そろそろ日が暮れる時間だ。

蝋燭とマッチを探して夜に備えよう。

蝋燭は母屋と納屋にも結構あったので、玉依姫に灯明と厨にあった日本酒をお供えして来た。

燭明で見る玉依姫はまた一段と神秘さが増し、昼間とは違った古様な美しさを見せていた。


先程汲んでおいた井戸水で汗と埃塗れの体を拭き、自室に戻り買置きのレトルト食で夕食を済ませた。

被災者の事や一晩中救護に走り回っている人の事を思うと申し訳ないが、食事を済ませた途端に疲れがどっと襲って来て座り込んでしまった。

せめて寝る前に今や貴重な21世紀版の鎌倉の歴史資料で震災後の事をもう少し調べ、もう一度この付近は被害も軽微だった事を確認し、この驚異の一日の眠りについた。

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