神聖鎌倉文士伝

探神院

第1話 転生

「うわっ!地震だ!」

私は飲みかけの珈琲がこぼれないように机から取り上げ、そのまましばらく動けずにいた。

結構長い時間机や棚の物がガタガタ大きく揺れたが、小物が幾つか落下したくらいで収まった。

ただ照明やエアコンは消えて停電していた。

震源や被害状況を見ようとスマホを取り出したのだが、サーバか電源にも事故があったのかネットには繋がらない。

停電以外は室内の被害はなさそうなので、一応他の部屋も点検しよう。

自室を出ようとして何かおかしい事に気付いた。

部屋のドアが………洋風のドアの筈が襖の引戸になっている。

振り返って部屋の中を見直しても私の部屋に間違いな………

いや、違う!アルミサッシの窓が古そうな木枠の窓に変わっている。

私は慌てて襖を開け廊下に出た。

やはり何か違う、私の家では無い。

いや、でも廊下や階段の位置自体は変わり無い。

階段の手摺の装飾模様も同じだ。

一階に降りてみると二階と同様に私の家と構造は同じだが内装や家具が全く違う。

全てが映画のセットの様に時代がかっている。

何なんだ、これは!

我家は鎌倉にある明治大正以来の古い家を代々少しづつ改装し、代々改悪して来たような無様ぶざまな家だった。

だが太い天然木で斜交いまでしっかりした柱や梁には見覚えがあり、今の揺れにもびくともしていない。

外に出てみると外壁がわずかに剥落しているものの、建物自体はどうやら無事な様子だ。

最後に路地に出る裏木戸を確かめようとしてふと目を上げると………


目の前の建物が倒壊し路地の塀も歪んでいた。

近くはまだしも遠くの方は無事な家屋の方が少ないくらいだ。

呆然と立ち尽くしながらもやがて細部が見えて来る。

おかしい。

何だ、これは?

もっと建て込んでいた筈の家並みが遥かにまばらで、その間には田畑が広がっている。

更におかしいのは潰れたり傾いている家の屋根の多くが板葺いたぶ茅葺かやぶきなのだ。

「何処だここは!」


落ち着け、落ち着くんだ。

自宅から離れるのは何か危なそうだから、部屋に戻って二階の窓から周囲の状況を見てみよう。

その窓からは見慣れた鎌倉の山々の緩やかな形が確認出来たものの、通りや町並みには見憶えが無い。

見覚えが無いと言うより、まるで古い写真で見た明治大正の頃の町だ。


「ん、大正?」

卓上のカレンダーは9月1日防災の日。

丁度100年前、1923年9月1日、関東大震災………

もう一度窓から外を眺めながら、何をどうすべきなのか考えた。

鎌倉駅方面からは煙があがっていて、遠目では建物の倒壊時の埃か火災か判別出来ない。

「そうだ、本棚に鎌倉市の歴史資料もあったはず。」

目当ての本はすぐ見つかった。

それによると鎌倉市の被害は全半壊の家屋が六割近く、浜に近い所は津波による壊滅的被害、

駅周辺の繁華街は火災により全焼した。

鶴ヶ丘八幡の倒れた社殿の写真や若宮大路の様子が載っている。

それらの写真を目に焼き付けて、取り敢えず一度外の様子を確認しに行くべきだろう。

私は慌てて階段を降り、外へ駆け出した。


我家は八幡宮の西、車道から狭い路地を少し入った山際にある。

隣近所も気になるが先ずは鶴ヶ丘八幡宮を確かめに行こう。

路地を抜けて表通りへ出ると、あちこちに叫び声が飛び交い救援に応じる人々が走り回っている。

私も何か手助けしたいとは思うが、我が身に起こった異常事態の確認が先決だ。

そして八幡宮の前に着き、倒れた大鳥居と奥の社殿を見た。

それは………………

歴史資料にあった関東大震災の写真と全く同じ光景だった。


「ああ……やっぱり………大正十二年の鎌倉に移転したんだ。」


そこにどの位の時間をただ呆然と佇んでいただろうか。

「うっ…ううっ…」

瓦礫の何処からか微かに人声がする。

「うっ〜」

途切れ途切れの声を辿って瓦礫の奥の方へ踏み込むと、

「た すけ…」

と、女性の声が聞こえる。

もっと人を呼ぼうかと思ったが、ここから見える限り誰も居ない。

さっきまで大勢駆け回っていた気がするのに、今すぐは誰も呼べないだろう。

「わかった!今助ける!」

呻き声を頼りに埋まった場所の見当を付けどかせるものをどかすと、崩れ落ちた板壁の下から朱と白の巫女装束の端が見えた。

「どうだ、動けるか?」

「あ、足が折れたようで……」

「よし、少し待ってろ。」

瓦礫の中から梃子になりそうな木と机を探し、倒れた板壁いたかべを持ち上げ机を支えに少しづつ隙間を広げる。

もう一本支えの棒を入れて私も潜り込み、何とか両脇を抱えて引き摺り出した。

裾が何かに絡まっていたにも構わず無理矢理引っ張り出したので、巫女袴は半分破け白袖は埃に塗れていた。

彼女が埋まっていた場所は社務所の外れに付随した納戸だったようで、本殿の大屋根の下だったらとても助けられなかったろう。

「八幡宮は緊急避難所になっているから、多分救急隊もいるだろう。」

「はい。その筈です。」

「広場はすぐそこだ。肩を貸すから歩けるか?」

「はい。」


地震発生からはもう二三時間経つ。

遠く駅方面からは火災の黒煙が立ち昇っていた。

本殿前の広場にはすでに仮設テントの救護所が出来ていて、医療班も茣蓙ござに寝かされた負傷者の間を駆け回っている。

彼女を茣蓙の空いた所に座らせた。

後は医療班が何とかしてくれるだろう。

助けた巫女も顔はまだ子供っぽさを残すものの気は確かに保っているようなので、そのまま去ろうとすると。

「あっ 有難うございました!」

と、思いの他元気な声で礼を言われた。

「いや、礼は要らない。こう言う時はお互い様だ。」

「いいえ、あなた様は命の恩人です。ご恩は決して忘れません。」

「まあ、八幡宮もいつかは再建出来るだろうから、しっかり養生してくれ。」

「はい。どうぞお気をつけて。」

こんな状況の中でも気丈な娘さんだと思った。


今は急いで我家の周りやこの時代の鎌倉にいた筈のご先祖の事も確認しなければならない。

去り際に見える潰れた社殿や社務所の下にはまだ誰か生き残っているかも知れないが、これ以上は重機でも使わないと私にはどうしようも無い。

本殿の建っていた武神の山からは、法師蝉の声が天を覆い尽くすように響き渡っていた。

後は救護隊や消防団に任せよう。


我が家が代々先祖書きを残して来たのは亡父から大まかに聞いていた。

押入れの奥から父の遺した書類箱を引っ張り出して見ると先祖書と共に数冊の先祖達の日記もある。

それによると大正十二年のここには私の曽祖父にあたる朝比奈新之助が住んでいたようだ。

その新之助が今何処に居るのかも確認すべきだろう。

また大正時代のこの地所には母屋だけで無く広い庭に納屋と離れの茶室もあったのだが、昭和恐慌や敗戦時に没落して今の母屋以外の土地を手放した事もわかった。

その納屋や離れを探せば新之助が居るかも知れない。

玄関に戻り確認すると、そこにはちゃんと「朝比奈」の表札が掛かっている。

外には立派な冠木門が立ち、鬱蒼と茂る小山を背負った大正の母屋は豪壮な茅葺きの農家で、脇の納屋だけでも一家族住めそうな立派な和風建築だ。

この母屋以外の土地は私の居た21世紀には分譲されて4〜5軒の洋風住宅が建っていた。

ざっと見た所では納屋も母屋と同じ古く頑丈な造りで目立った被害は無いようだ。


さて、そうなるともう一度落ち着いて母屋の各部屋から確認して行こう。

「誰かいませんかー!」

一応玄関で声を掛けてみたが反応は無い。

もう一度

「朝比奈さーん!」

と声を掛けながら入って行く。

格調高い式台を上がった玄関正面には五言絶句の古書軸が掛かり、奥へ続く廊下の板も黒光りして古格がある。

居間らしき部屋の大きな座卓には、直前まで誰かが居たように飲み残された湯呑みと急須があった。

畳には新聞が広げてあり、大正十二年九月一日の日付がはっきりと見える。

他の部屋を開けても誰も居ない。

廊下を奥に行くと当時にしては相当ハイカラだったろうヨーロッパ風の鏡台があり、その鏡の中には………私のシャツを着た見知らぬ誰かが居た。


日記と一緒にあった白黒の不鮮明な写真をよく見れば、今の鏡に写っている人物は御先祖の朝比奈新之助に間違いない。

………………

「はあ〜、もしやとは思っていたが転生のタイムスリップとはねえ………」

新之助の顔立ちは………まあ悪くは無い。

精悍とまでは言えないが、知性と意思の強さが伺える眼差しだ。

そう認識すると新之助自身の過去の記憶がうっすらと頭の中に浮かんで来た。

21世紀に生きていた私の名は晃介で、必ず「すけ」を付けるのが我家のしきたりなのだ。

脳内をいろいろ探ってみると思考や感情面はどうやら晃介のままで、新之助の方は記憶面だけしか出て来ないようだ。



「………どうするんだ、これ。」

取り敢えずは残された日記などをもっと調べるしかないだろう。


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