第54話【感情】
言葉を
「......は? ご、後藤さん......一体何を」
「やっぱりたった一回のデートで決めるのは無理があると思うの。だから私と沙優ちゃんに吉田君と恋人同士になるお試し期間を設けて、どっちが吉田君の恋人としてふさわしいか選んでもらうの」
「ちょっと待ってください。恋人ってそんな不純な動機でなるものじゃないでしょ」
後藤さんの言うことが理解できない。
恋人? お試し? ふざけているのか?
開いた口が塞がらずにいると尚も後藤さんは畳みかけてきた。
「吉田君は私と一度セックスしてみたいのよね? この歳であまり自慢するようなことでもないけど、私、処女よ。技術面では沙優ちゃんには劣るかもしれないけど、でも沙優ちゃんより大きいこのおっぱいなら吉田君を――」
「いい加減にしてください!」
我慢できなかった。
叩いたテーブルはドンと大きな音を立て、コップの水はこぼれ表面はゆらゆらと波打つ。
そこで後藤さんは自分がいま何を言ったのかを気付いたらしく、ハッと俯き視線を外した。
「沙優は好きで男たちと関係を結んできたわけじゃない! 後藤さんも知ってますよね!?」
「......ごめんなさい。私としたことが、とんだ失言をしてしまったわ」
「謝るなら沙優に直接謝ってください!」
「......」
純粋な悪意から沙優を悪く言ったのではないことだってわかっている。
だが大切な人を侮辱されて誰が黙っていられようか。俺の心はそこまで
騒ぎを耳にし駆けつけた店員がふすまを開け何事かと訊ねてきたところで、俺は冷静さを取り戻した。咄嗟にテーブルを足を思いきり強打したと嘘をつき、お騒がせしましたと平謝り。店員を退場させる。
今度こそ気持ちを伝えるべく再度深呼吸し、後藤さんに視線を向け、ゆっくり語りはじめた。
「恥ずかしいことですが、昨日まで俺は恋愛対象の判断を、その相手とヤりたいかどうかで決めていました。ヤりたいと思ったら恋愛対象。ヤりたくないと思ったら恋愛対象外。笑っちゃいますよね。人間のいい歳した大の大人が野生動物みたいな短絡的な考えで」
本能に従っていると言ったら聴こえはいい。
事実、世の男たちの大多数は俺と同じ考えに乗っ取って相手を見つけているだろう。
「ガキの頃から自分が素直に感じた感情を大事にして、大事にするあまり、その抱いた感情の正体を深く追求してこなかったんです。だから沙優のことは家族みたいに大切な存在くらいにしか認識していませんでした。なにせ出会った当時あいつは未成年、おまけに
特殊な出会い方でしたから」
沙優が俺を好きになったのは単純接触効果によるもの。
未成年の女子にいかにもありそうな、優しくしてくれた大人の男への憧れを好きだと誤認識してしまう。
先月までそう結論づけていた。
でも沙優は俺との約束を果たすために東京に戻ってきてくれた。
二年前より、さらに大きな想いを心に宿して......。
ただの単純接触効果でそこまで彼女を突き動かすことができるだろうか。
「正直に言います。沙優を北海道の家まで送って帰ってきた日、俺、家ん中で大号泣したんですよ。正しいことをしたはずなのに、沙優のためになることをしたはずなのに、だったらなんでこんなに悲しいんだって。あんなに泣き叫んだのはガキの頃以来でしたよ」
後藤さんは苦しそうな表情を浮かべながらも、徐々に前へ身体を開き、正面から一言一言を黙って受け止め聞いてくれている。
「恋愛について知ったかぶって、惹かれてると好きは別物だとか、根拠のない理屈を並べまくって。要するに沙優に普通の恋をしてほしいと思っていたのは、ただ自分が聖人として見られたかったから。沙優を抱くことは沙優を利用してきた連中と一緒になると、心のどこかで無意識に抵抗してる自分がいたんです。ったく、法を犯してる時点で聖人も何もあったもんじゃねぇのに。とんでもない大バカ野郎ですよね」
自然な流れで、言った。
「――俺は沙優のことが好きです。一人の大人の女性として、恋人として――」
まだ大学生の身の、自立していない女性は、世間からして見れば大人であって大人ではない。酷く中途半端な存在。
だから何だ? 俺からしてみれば苦難を乗り越え、一人で立てるようになった沙優は充分立派な大人に値する。
「昨日の夜、うちの目の前まで来ましたよね?」
「......どうして私だって分かったの?」
「男の感です。なんとなく後藤さんな気がして」
後藤さんが目を丸くしてこちらを見つめた。
さしづめ、俺と沙優のデートの行く末が気になり、居ても立っても居られずわざわざ仙台からやってきたというところだろう。自分で関係をはっきりさせてほしいと言っておきながらら。
人のことは到底言えないが、この人も相当矛盾しているのは今に始まったことではない。
「......俺、後藤さんには感謝してるんです。後藤さんがあの時フってくれなければ沙優とも出会えなかったし、自分という人間がよく分かっていないまま、今頃もなんとなくで時間を過ごしていたかと。仕事でもプライベートでも、俺にとって後藤さんは恩人以外の何者でもありません」
後藤さんの震える瞳に胸の奥が痛むが、想いを紡ぐ。
「だからそんな人の醜態はこれ以上見たくない! いろいろあった大事な恋の終わりはせめて、お互い気持ちよく綺麗に締めましょう」
「......」
明確な恋愛対象としての決別の言葉。
言いたいことは全て伝えた。
あとは後藤さんの出方次第。
「......そう。吉田君が選んだんだもの。受け入れるわ」
震える声音で、小さく頭を縦に振った。
「同族嫌悪、か」
「え?」
「いえ、こっちの話。吉田君の沙優ちゃんへの熱い想い......確かに聞かせてもらったわ」
「恐縮です」
ふと現れた後藤さんの笑顔につられて、こちらも笑顔で頭を下げた。
「吉田君に限って要らぬお節介かもしれないけど、沙優ちゃんに愛想尽かされないよう頑張りなさいね。ただでさえあの子、益々美人になってモテるだろうから。油断してたらきっと誰かに取られちゃうわよ」
「ですね。そうならないよう、俺もいい歳なんで久しぶりに身体でも鍛えてみようかと思ってます」
「あら、それは私に対する皮肉?」
「まさか」
良かった。
いつもの人を虜にする小悪魔的な笑顔を見せてくれた。
頼れる会社の専務にして上司。と、その部下。
友達以上恋人未満? 逆に言えばこれまでが少々複雑な関係だったのだ。
恋愛感情を取っ払っても、少なくとも俺は、後藤さんとの仲までは変わらないとそう信じている。
就活中の俺を拾い上げ、七年も仕事の苦楽を共にしてきた相手への感謝の気持ちは、これからも一生忘れない。
「ハァ~。真面目な話も終わったところで、今日はこれでもかっていうくらい飲むわよ。吉田君も生でいいわよね?」
「俺はいいですけど。後藤さん、あんまり飲み過ぎたら帰りの新幹線間に合わなくなるんじゃ」
大きく息を吐き出した後藤さんはテーブル横のメニュー表を手に取るなり、迷わずアルコールのページを開く。
「最悪明日の朝一で帰れば大丈夫よ。なんだったら有給という手もあるわね」
「いいんですか。仮にも幹部ともあろう御方がそんな適当で」
「その原因を作った人間がどの口で言えるのかしら?」
「......すいません。俺も後藤さんの気が済むまでとことん付き合います」
一時はどうなることやらとめちゃめちゃ焦ったが、後藤さんも俺の沙優に対する想いを受け入れてくれたようでほっとした。
ただまぁ、明日はおそらく久しぶりの二日酔いに苦しめられそうだが......。
こうして長年に渡る後藤さんとの恋に決着をつけた俺は、晴れて正式に沙優の恋人となった。
◇
次回、第55話は9月27日(金)の午前6時01分に投稿予定です。
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