第53話【けじめ】

 夕方の時報が鳴り出すと、それまで公園で遊んでいた子供たちが親や友達たちと一斉に帰宅してゆく。

 この辺りは平日の遅い時間、暗くなってからしか来たことがなかったので、なんだか見知らぬ土地にやって来た感覚だ。

 西に沈む夕日を背景に、公園内の時計の柱に寄っかかりながら、待ち合わせ相手が住むマンションを眺める。

 予定よりも30分早く来てしまったのは、なんとなく家に一人でいづらかったにすぎない。

 閑静かんせいな場所にいるより、外の喧騒の中に身を置いていたほうが少しは緊張が紛れる気がして。


「――お待たせ。吉田君」


 彼女、後藤さんは待ち合わせ場所に時間ピッタリに現れた。

 

「すいません。休みの日に急に呼び出したりしてしまって。何か予定があったから東京に戻ってきてたんですよね」

「え? ええ、そうね......」


 後藤さんは俺の何気ない質問に、視線を横に逸らし呟いた。

 昨日から東京に一時的に戻ってきたという後藤さんは、連絡を取ってみると夕方からなら会えると了承が得られた。

 

「あ、あれね。随分と日が伸びたわよね」

暦上こよみじょうはもう初夏ですから」

「そ、そうよね」


 ......明らかに後藤さんの挙動がおかしい。

 さっきから俺とほとんど目を合わせよ

うとしてくれない。


「とりあえず移動しながら話しませんか。場所はもう予約してあるんで」

「う、うん。ありがと」


 そう言って一歩踏み出した俺の横を、後藤さんの手がかすめる。


「なにか言いました?」

「ううん。なんでないわ。さぁ、早く行きましょう」


 小さく「あっ」と聴こえた気がして振り返れば、一瞬曇った表情を見せ、すぐにぎこちない笑顔を作った。

 後藤さんもかなり緊張している。

 当たり前だ。

 これから自分が求めた”答え”を聞かされるのだから。

 そう思うと気が重く、その重さに比例した大きな鉛の付いた足枷あしかせを付けられた気分だ。

 一歩踏み出す度に鉛が地面を引きずり、感覚よりも大して前に進めていない。

 大人の足で10分もかからない距離を、俺と後藤さんは言葉少なに目的の場所までただひたすら歩いた。


「このお店、完全個室なんてあったのね」

「俺もネットで調べて始めて知りました。普段は結構人気があるみたいで。今日は偶然予約にキャンセルができて取れたんです」


 後藤さんからコートを預かり、用意されたビニール袋の中へ軽く畳んで入れ、備え付けのカゴの中へ。

 俺たちがやってきた場所は、以前二人で仕事帰りに何度か利用したことがある焼き肉店。

 日曜の夕方ともあって店内は家族連れや私服姿の中年男性たちの焼肉を楽しむ声で騒がしい。

 しかし店内の真ん中を通り抜け、突き当りを左に曲がった奥の部屋に入ってしまえば、驚くほど静かだった。


「本当は喫茶店とかのほうが良かったんでしょうけど、その......人目が気になりますし」

「へぇ~。吉田君なりに気を遣ってくれたんだ」

「からかわないでください」


 先に座っていた後藤さんは、店内のアットホームな雰囲気に多少はリラックスしてくれたのか、まだぎこちないもののいつもみたいにからかう余裕を見せてきた。


「私はこういうお店、結構好きよ。肩肘張らずに美味しい物が手軽なお値段でいただけるんですもの」

「知ってますよ。後藤さんは人の目を気にしすぎなんです。仙台支部でもお昼はサラダしか食べてないんでしょ」

「なに、その人を草食動物扱いみたいな言い方は」

「後藤さんは草食動物というよりロールキャベツ女子のほうが正しいかと」


 おしぼりで手を拭く後藤さんが小さく吹き出した。

 席に着いて早々いきなり本題に入るのも悪い気がして、とりあえず食べながら他愛のない会話で場を取り次ぐことに。

 正直、緊張で食欲などまるで湧かないのだが。

 それは後藤さんも同様らしく、あまり時間もないので適当にいろんな種類の肉とサラダなんかを頼んだ。

 店員がロースターのスイッチをオンにすると、カチッという音と共に網の下から青い炎が姿を現した。

 このロースターの炎が消えた時、俺の七年間の恋は終わり、後藤さんとは元の極一般的な上司と部下の関係に戻る......。

 

「沙優ちゃんとのデート、楽しかった?」


 俺がどう話を切り出そうかまごついていると、沈黙に耐えられなくなった後藤さんが口を開けた。


「......はい」

「ちなみに二人でどこに行ってきたの」

「美術館です」

「あら。沙優ちゃん美術館なんかに興味があるのね」


 後藤さんが驚くのも無理はない。

 俺の中のイメージでも沙優と美術館の組み合わせはかなり意外で、それなりに知識もある様子で、分からない俺に説明してくれたりもした。


「もしかしたら将来そっち方面に進みたいのかしら」

「どうでしょう。あいつは商学部なんで多分違うとは思いますが、将来の夢に全く関係なくもないとは言ってました」


 俺は首を傾げ網に乗ったカルビをひっくり返す。


「その口振りだと吉田君は沙優ちゃんの将来の夢を知らない感じね」

「別に興味がないわけじゃないんですけど、無理に教えてくれというのもアレですし」

「私が思うに、願いが叶うまでは吉田君には知られたくないんじゃないかしら。沙優ちゃんらしくて可愛いじゃない」

「そう、なんですかね」


 いまいちピンと来ない。

 嘆息していると後藤さんは、横髪を手で抑えながら焼きあがったばかりのタン塩を口に運ぶ。 


「吉田君は沙優ちゃんの恩人なんだから。そんな特別な人を驚かせてあげたいっていう乙女心、私も同じ立場だったらやってたと思うなぁ」

「後藤さんって意外とロマンチストな部分ありますよね」 

「あら、意外とは失礼しちゃうわね。私だってまだまだ心はピチピチの17歳のままよ」

「ピチピチの17歳はタン塩食べないと思いますが」 


 後藤さんとの他愛のない会話が気持ちいい。

 関係が元に戻ってからもできるだろうか。

 少なくとも仕事帰りに二人、こんな風にどこかに食べに行く行為はほぼ消滅すると考えていいだろう。

 男と女。

 仮にただの上司と部下の関係に戻っても、過去の歴史すべてがご破算になるわけではない。

 名残惜しくはあるが、そろそろ後藤さんへ俺の答えを伝えるべきだ。


 未来どころか、残酷な現実から逃げることで精一杯だった沙優。

 俺やあさみ、後藤さん達と出会い、彼女は立ち上がる勇気を得た。

 高校を無事に卒業できただけでも充分嬉しいのに、将来の目標を持ち、そして二年前の約束を果たしにまた俺の元へ戻ってきてくれた。

 沙優もきっと怖かったはずだ。

 俺には後藤さんという長年の片思いの相手がいて、沙優が北海道に帰ってからも、俺と後藤さんは同じ場所で歴史を重ねてゆく。

 もしかしたら自分が高校卒業する前に俺たちが結ばれてしまうことを想像し、辛くもどかしい思いに苦しんだことだってあるかもしれない。

 そんな沙優の葛藤に比べたら、たかが長年の想い人に別れを告げることなんて、ほんの一瞬の出来事だ。

 煙を吸い込まないよう椅子に背中をつけてから深呼吸し、小さく咳払い。

 覚悟を決めて向かい側の席で答えを待つ後藤さんに口を開く。


「あの、後藤さ――」

「そうだ吉田君。私と沙優ちゃん、両方と付き合ってみるというのはどうかしら?」





 

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