第46話【お泊り会・後編】

「こらあさみ。人のうちのお布団の匂い嗅がないの」

「だってこの布団、めちゃめちゃいい匂いがするんだもん」


 いま敷き終わったばかりの布団にゴロンと寝転がった私に、沙優ちゃんは苦笑を浮かべながら言った。

 夕飯もご馳走になり誕生日プレゼントも貰いそのうえ二人で一緒にお風呂まで入り、至れり尽くせりな誕生日会も、あとは寝るのみ。だというのに、私のテンションは衰えることを知らなかった。


「そりゃあ慌てて毛布とかいろいろ洗濯しましたから」

「ありがとうございます。さすがに二人が毎晩イチャイチャしてるベッドで一緒に寝るわけにもいかないしね」

「私は別にかまわないけど。その方がお泊り会っぽくない?」

「恋人同士じゃないんだから。朝起きた時に吉田さんに勘違いでもされた日にゃ、あとが怖いわ」


 沙優ちゃんは当初私に気を遣ってベッドを譲り、このお客さん用の布団で寝ようとした。

 しかしそれはさすがに気が引くので遠慮させてもらった。いくら親友からの誘いでも、踏み込んではいけない領域もあるわけで。


「そろそろ電気消すよ~」

「はいよ~」


 合図とほぼ同時に部屋の照明が消え真っ暗になり、沙優ちゃんがベッドに潜る音が聴こえてくる。

 ウチも寝る態勢に入ろうと布団を被った。

 暖房がついているので少々暑いが、タイマーが切れたときのことを考えて一応肩までかけておく。


「ねぇ沙優ちゃん」

「5秒も保たなかった」

「当然っしょ。友達の家にお泊りと言ったら、布団被って寝るまで友達と喋るのが定番だし」

「修学旅行の間違いじゃない」


 暗くなったこともあって自然と声のボリュームは幾分小さめ。表情は見えないが声音から察するに、沙優ちゃんはきっと呆れた顔をしてるんだろうな。お前は散々喋ったのにまだ喋り足りないのかって。自分でも驚きだわ。


「......これが昔、毎晩沙優ちゃんが寝る前に眺めてた光景なんだね」

「どうしたの急に」

「別に。ちょっと思っただけ」


 回数に限って言えば私もこの部屋には結構な頻度出入りしてきた。

 でも照明を消し、夜の闇と静寂に包まれた室内は、私の知らない顔を見せていた。


「うん。今は吉田さんと一緒にベッドで寝てるけど、昔はそこが私の寝る時の定位置だったよ」

「こんな風に寝る前に吉田さんと話してた?」

「あんまりかな。吉田さん、基本ベッドに入ったらすぐ寝ちゃう人だったから。見かけによらず寝息も凄く静かなんだよ」

「そういえばいつだったか、結構遅い時間に来たら、吉田さんがコタツに入りながら寝落ちしてたことがあったわ。確かにあの時も心配になるくらい静かに寝てたし」


 言い終わってから沙優ちゃんの無言の圧により温かいはずの布団の中で寒気を感じ、すかさずフォローを入れた。


「やましいことは何もなかったからね!」

「そう強調されると余計怪しいなぁ」

「勘弁してくださいよ沙優様~」

「ふふ。冗談。第一何かあったとしても、その時の私には何の権限もなかったし」


 いや権限あるなしの問題でなくて。

 この部屋で三人が久しぶりに揃った時もそうだったが、沙優ちゃんの嫉妬色の覇気は心臓に悪い。無自覚なら尚のことだ。


「......ホント、沙優ちゃんが幸せそうで良かったよ」

「あさみもしかして、今頃酔ってる?」

「酔ってないし。いつもの私、文学部2年の結城あさみで〜す」


 北海道から家出してきた沙優ちゃんは紆余曲折あって吉田さんに拾われ、一緒に住むようになって。

 次第に吉田さんのことが好きになっていって。

 でも吉田さんには長年片思いの会社の上司がいて。

 だから沙優ちゃんから吉田さんと恋人同士になったと報告を受けた時は、自分のことのように嬉しかった。

 現実でも空想の世界みたいに都合のいいことは起こりるんだ!

 だとしたら、それはいつか絶対私の元にだって......。

 視界に映る見知ったようで見知らぬ天井がゆらゆらぼやけはじめ、気付いたらウチは、話しながらいつの間にか眠りに落ちた。


 ***


「あ」

「ようやく起きたか」

 

 トイレから出てきた私の目の前にいたのは、お風呂上がりで頭にタオルを乗せた吉田さん。

 徹夜明けの仕事から帰ってきた彼の頬には少し濃いめのひげが伸びていて、目下めもとのクマも相まって疲労感を漂わせていた。


「吉田さんお帰り。帰ってたんだ」

「お前がなかなか起きないもんだから、沙優に先に風呂を勧められてな」

「ごめんね。徹夜で疲れてるのに」

「いいってことよ。こっちこそ悪かったな。一緒に誕生日祝ってやるって約束してたのに」


 吉田さんは律儀な人で、一度した約束は余程なことがない限り必ず守ってくれる。その辺が、私が今まで出会ってきた大人と決定的に違う部分だ。

 

「......」

「な、なに」


 急に目を細め、私の顔を凝視してくる。

 男性もののシャンプーのいい香りが鼻腔に届き、緊張で身体が強張ってしまう。


「やっぱりお前、すっぴんの方が綺麗だな」

「なっ......!? からかわないでよ吉田っち!!」

「からかってねえよ。本気も本気だ。あさみは元がいいから、下手に化粧でいじるより、素の良さを活かせる化粧の仕方をした方が絶対モテると思うぞ」


 寝起きの顔を見られるだけでも恥ずかしいのに、この人ときたら......。 

 私がギャルメイクを辞めた理由に吉田さんも絡んでいることを知らないクセに。


「お言葉はありがたく受け取っておきます。でも、あんまりそういうことは女の子に言わないほうがいいよ。化粧してる姿よりすっぴんのほうが綺麗って、それ誉め言葉じゃないからね。まさか、沙優ちゃんにも同じようなこと言ってたりしてない?」

「沙優はどっちも綺麗だぞ」

「ノロケ話はいいから!」


 真顔で答えるのがなんか腹立つ。


「どうしたの二人とも。ていうかあさみ、顔真っ赤だけど」

「聞いてよ沙優ちゃ~ん。吉田さんがトイレから出てばかりのウチをナンパするの~」

「......吉田さん」


 沙優ちゃんの手に持っていたおたまが一変して武器へと変わり、パシパシと片方の手のひらに打ちつける。


「待て誤解だ! 俺はただこいつの生まれたままの姿を褒めただけで......ん?」

「ん? じゃないでしょーが! 吉田さんはただでさえ天然で女の子をたらすんだから、もうちょっと自覚を持って発言しなさいって何度も――」


 早朝から狭い廊下で繰り広げられる夫婦喧嘩。

 多分、徹夜明けで疲れてるんだろうな。

 運悪く語弊を招く言い方をしてしまった吉田さんと嫉妬モードの沙優ちゃんは放っておいて。

 リビングから漂う焼き魚の香ばしくて食欲がそそられる匂いに釣られるフリをして、私はその場をあとにした。



 

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