第28話【20歳】

 12月20日。土曜日。沙優の誕生日当日。

 いよいよこの日がやってきた。


 脱衣所で着替えと化粧をしている沙優を待ちながら、今日一日のデートの流れを今一度確認する。

 昨晩の寝る直前まで何度も脳内も行っていたことだが、かと言ってスマホを弄って暇を潰す気分でもない。

 緊張を和らげるためになめた飴が口内で転がり、歯にぶつかる度にコンと小さな音を響かす。


「お待たせ吉田さん」


 振り返ると、そこには準備を済ませ沙優が。


「どうかな?」


 上はクリーム色に近いホワイトのニットに、下はグレーのジャンパースカート。

 貴族の令嬢の挨拶みたいにスカートの裾を摘まみ、小さくお辞儀をする表情ははにかみ気味だ。


「いいんじゃないか」

「それだけ? もうちょっと何か言ってもよくない?」

「俺がこういうの苦手なの知ってて訊いてるだろ」


 テレビのファッションチェックでもあるまいし、細かくコメントする方が返って陳腐に聴こえるもの。

 舌をちょこんと出し沙優はおどけた。


「バレたか。で、今日は一体何処に連れて行ってくれるのでしょうか」

「着いてからのお楽しみだ」

「焦らすね。吉田さんが私のために考えてくれた誕生日デート、期待してるね☆」


 ハンガーから見たことのない新品と思われるコートを羽織り、腕に抱き着く。

 普段のデートは基本沙優が行きたい場所優先で行くことが多いが、今回は違った。

 プランは全て俺が計画し、沙優は今日のスケジュールの一切を知らされていない。

 俺がいろいろ考えているのを事前に察したのか、提案した時は何も聞かずに了承してくれた。

 それだけにプレッシャーがかかる。 


 家を出て、師走の土曜の午前らしい混雑をした電車を乗り継ぎ、降り立った場所は『東京の北の玄関口』と呼ばれる上野駅。

 その目の前に広がる広大な上野公園内に足を踏み入れ、目的の施設がある方向へと、沙優の手をとりながら進んでいく。

 

「......もしかして」

「ようやく気付いてくれたか。俺からの誕生日プレゼントは、そのもしかしてだ」

「え、嘘、え、あのチケット取れたの!?」

「ちょっと大変だったけど、なんとかな」


 俺たちが向かう先は、日本でもっとも有名と言っても過言ではない美術館の一つ。

 そこへは沙優と付き合ってから何度か訪れている。

 沙優個人も新しい展示が始まる度に顔を出しているとか。


 しかし今月から年内限定で公開される展示物のコーナーは、そこのみが別のチケットが無いと入れず、そのチケットというのが混雑を避けるために日時指定が設けられ、おまけにとんでもなく大人気。

 

「職場にこの手のチケットを取るのが上手い奴がいてな。コツを聞いて試したら取れた」

「吉田さん大好き! 私が何度試しても予約ページにだって辿り着けなかったのに!」


 ふところからチケットを見せた瞬間、人目もはばからず抱き着いてまで喜びを表現する。本当に見たくて堪らなかったのだろう。

 空いている方の手で小さく『ヨシっ』とガッツポーズを取る。


「時間までまだ余裕があるから、入ったら他の展示物でも見て時間潰すか」

「そうだね。あー楽しみだなー♪」

「ここまで興奮する沙優も珍しいよな」


「何言ってるの。だってこれまで日本で一度も展示されたことないんだよ。このチャンスを逃したら次はいつになることやら。早く行こう☆」


 時間になればゆっくり見られるというのに。

 今日で20歳と正式に大人の仲間入りをした彼女は、子供みたいにはしゃぎ繋いだ手を引っ張った。


 * 


「「......」」


 目的の展示コーナーを一通り見終え、すぐ横の休憩スペースのベンチに揃って腰を下ろした。

 余韻冷めやらぬという雰囲気で、お互いどう声をかけていいかわからない。


「なんていうか......凄かったね」

「ああ......凄かったな」


 人は想像を超えるものに出くわすと語彙力ごいりょくを失う。

 絵が上手いとかそういう次元ではない、実物から通して伝わる『念』や『情』というべきか。

 生き物ではない”それ”自体がが放つ見えない力強さに、ただ圧倒されてしまった。


「私も美術館を回るようになってまだまだ歴は浅いけど、あそこまで見ていて鳥肌が立った作品をお目にかかったことはないかも」


「だな。芸術作品に疎い俺でもひしひしと感じたよ」

「吉田さんも感じるなら相当だね」

「どういう意味だよ」

 

 内心は同意しながらも条件反射で沙優にツッコんでしまう。


「100年経っても誰かが自分の作品を残しておいてくれて、しかもこうして世界中に展覧会まで開いてくれた。本人は全くそんなこと思ってもいなかっただろうね」


「そりゃそうだろ。当時は絵一枚で一ヶ月ギリギリ生活できる程度の価値しかなかったものが、今やとんでもなく高騰して値がつけられずにいるときた。物の価値なんてわかんねえもんだな」


「物の価値もそうだけど、亡くなってから評価されるのって、いったいどんな気持ちなんだろう」


 多くの芸術家は存命の時から少なからず評価は受けている。

 でも今回俺たちが作品を見に来た芸術家は異質。

 とある世界的に有名なクリエイターがこの芸術家の作品が好きだと発言したことから注目され、徐々に人気に火が点いた。

 それまでは売れない全くの無名芸術家が生活のために描いた作品として、海外の田舎町にある小さな美術館の倉庫でひっそり眠っていたという。


「さぁな。富と名声まではあの世に持って行けないから、多分空の上で今頃悔しがってるかもな」

「今だったら美味しい物食べ放題なのにね」


 会ったこともない、100年も昔を生きた芸術家を相手に、俺たちは勝手に想いをはせ語った。


「――吉田さんは、私が亡くなってもずっと覚えててくれるよね?」

「なに20歳の誕生日に不吉なこと言ってんだ」


「ごめんね。亡くなっても作品は後世に残ってその人を感じられる。じゃあそうじゃない私や吉田さんみたいな人たちは、亡くなったらそのうちみんなから忘れられちゃうのかなーって思ってさ」


「前にも言ったろ。俺は絶対に沙優のことを忘れたりなんかしない。例えよぼよぼの爺さんになって頭がボケてもだ」


 沙優は家出をし、俺と出会う前、初めてできた親友を最悪な形で目の前で失っている。

 そんな彼女が口にする『死』は重く、瞳の奥は薄っすらと影をおとしている。迂闊に適当な言葉で誤魔化すことはしたくなかった。


 死ぬということは、もう会えない。


 成長が、思い出が、そこで止まってしまう。


 本来なら平等に時を重ねて行くはずなのに。


 俺自身、ありがたいことに両親も健康そのもので、おふくろは『たまには実家に顔を出せ』と電話をかけてくる。

 学生時代の友人だって、今頃元気でやってるはずだ。

 その内の誰かと突然もう二度と会えなくなる......胸の奥を鈍い痛みと苦しさが襲う。

 できればこんな感情は一生味わいたくない。

 どんなに拒絶しても、『終わり』は誰にでも必ず訪れる。逃れられない生物としての絶対的宿命。

 大事なのはそれをどう受け入れるか......。


「誰かが覚えててさえくれれば、極論その人が完全に死ぬってことはないんじゃないか。あの芸術家だって、友人が大切に作品を保管してくれていたおかげで、自分が生きていた証を100年後の今でも証明できた。そんな奇跡に近い出来事が実際あったんだ。俺たちの子供も、そのまた子供も、忘れたりなんかしねぇよ」


「......そうだよね。未来は繋がっていくんだよね」

「近い将来、俺も北海道に着いて行くよ。今度はお墓にもお参りしないとな」

「......うん......私も結子に「この人が私の自慢の未来の旦那様です」ってちゃんと紹介しなきゃ......」


 沙優の頭が俺の肩へコテンと倒れる。


 共に20歳を迎えるはずだった同郷の親友は、もうこの世にはいない。


 でも思い出だけは、沙優の中で一生生き続ける――瞳が涙で滲む彼女の頭をそっと撫で、顔を隠すようにそのまま肩に抱き入れた。


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