第15話【蠢く衝動】

「おかえり☆」


 家に帰ってきた俺を、夕飯の準備中の沙優が出迎えてくれた。

 揚げ物を揚げるパチパチという気持ちのいい音と、食欲をそそるいい匂いが空腹状態の胃袋を刺激する。


「ただいま。お、今日はトンカツか」

「惜しい、カツ丼でした」


 靴を脱ぎ、揚げ物鍋の隣のコンロを見てみると、確かに沸騰しただし汁が入った鍋が用意されていた。


「吉田さんの出世のお祝いに急遽カツ丼にしてみました。お肉もいつもよりちょっとお高いのを奮発してね」

「なんで知ってんだよ。ひょっとして三島か?」

「正解」

「あいつ情報漏らすの早過ぎだろ」


 連絡先の交換をしている二人は時折、俺の知らないところでいろいろと情報のやり取りをしているのは知っていた。が、にしたって恋人の俺より先に伝えるのは反則だと思う。

 せっかく絶好のタイミングで沙優に伝えようと考えていた計画は、早くも崩れ去った。


「それにまだ仮の話だ。今度の大きなプロジェクトが無事に終わってくれればな」

「じゃあ今回はそのためのゲン担ぎってことで」

「そうだな」


 上着をハンガーにかけながら俺の気はちょっといい肉を使ったカツ――ではなく、鼻歌を口ずさみながらカツの油切りをする沙優の髪型に興味が向いていた。


 二年振りに再会した沙優は同棲を始める前から、俺と外で会う際は必ず髪をハーフアップに結ぶ。

 それは沙優にとって一番のおしゃれらしく、一種の気合の表れなのだと以前ピロートークで恥ずかしそうに語っていた。

 そしてそのハーフアップには同棲を始めてから、俺と沙優しか知らない、恋人だけが共有する合図が追加された。


 ハーフアップ=生理が終わった――だから、今晩――しよう?


 口に出さずともお互いの性行為に関するイエス・ノーが分かりあえるよう、二人で考案した意思表示の合図の一つ。

 ちなみに髪をシュシュで後ろにまとめている時の合図は『生理が始まりました』。

 一時期盛りのついた猿みたいにやりまくっていた経験が、このような安全装置を生んだのは過言ではない。

 人の体とは難儀なものだ。


「リーダーって役職的にはどの辺りの位置に当たるの? 私、その辺がいまいちよくわからくてさ」


 食卓を囲みながらふわとろのカツ丼を味わっていると、沙優が率直な疑問を口にした。

 JD一年目の沙優がわからないのも無理はない。俺だってそうだった。


「難しい質問だな」

「そうなの?」

「会社によって組織体系も違ったりするから、一概にどの辺とは言いにくいんだよ。それこそうちは他所よそと比べてかなり特殊らしいし。でもまぁ、一般の会社で言うところの課長クラスだと思っていいんじゃないか」


 大手の企業ほど無駄に役職を細分化したがる傾向にあるが、その点同じ大手でもうちは比較的さっぱりとしていてわかりやすい。

 なので専務の後藤さんがリーダーを兼任していたのはかなり異例のこと。


「へー。吉田さん、大出世だね。彼女として鼻が高いよ」

「そいつは光栄で」

「吉田さんは出世とかに興味はないの?」

「うーん......どうだろ」


 箸を止め、ふと考えてみる。

 入社してからの5年間は、ただ目の前にある仕事をがむしゃらに、後藤さんに認めてもらいたい一心で頑張ってきた。

 休みの日だろうが頭の中は常に仕事のことか後藤さんの二択。

 出世はあくまで、後藤さんと並んでも恥ずかしくないようにするための資格程度にしか捉えていなかった。

 ――だが立場が変われば見方も変わる。

 周囲の目を納得させるためにのみ必要だった資格は、今の自分にとっては愛する人に少しでも幸せや楽をさせてあげられる、幸福へのパスへとその使い道が示された。


「俺は沙優が笑顔でいてくれればそれでいいかな」

「............もうっ! 何言ってんの吉田さん!」


 顔を耳まで真っ赤に染めた沙優が動揺し、あたふたと視線を泳がせる。「ちょっと部屋の中熱いね」と言ってテーブルの上のリモコンを手に取り、エアコンに向けて運転ボタンを押す。


「吉田さんって、本当に自分のことに興味がないというか、好きな人のことしか考えないというか......嬉しいよ」

「沙優......」


 今すぐ沙優を抱きたい――身体が吸い寄せられるように沙優の隣へといざなわれると、


「待って! ......今日は外でいっぱい汗かいちゃったから......その......お風呂入ってから、ね?」


 どんぶりを持っていない方の手で性欲の獣へと変貌しかかった俺を制し、羞恥の表情で頷く。


「汗の匂いのする沙優も俺は好きだぞ」

「私が気にするの! まったく吉田さんは......最近ちょっと吉田さんから変態さんになってきてない?」

「だとすると、それは全部魅力的な沙優のせいだな」

「私を言い訳に使わない」


 沙優の機嫌を損ねてしまっては約一週間ぶりのお楽しみがお預けになってしまう。

 俺はしぶしぶ元の座っていた席に戻りノンアルコールビールで口を潤す。

 不貞腐れた表情もそれはそれで可愛い。要やりすぎ注意だが。

 

「あ、そうだ。変態さんと言えば......今晩アレ使ってみる?」

「......いいのか?」


 付け合わせの味噌汁を啜っていた沙優が、思い出しかのように言ったアレ。

 大人しくなったばかり性欲の獣の瞳に再び光がともった。


「そのために通販で買ったんでしょ。たまにはそういうシチュエーションでしてみたいって言うから」


 鼻をスンと鳴らして微笑んだ先はクローゼット。

 どうやら俺の感は正しいようだ。

 前回届いたタイミングでは沙優の生理も重なって試せなかった代物が、今日遂に試せる――そう思ったら俄然性をつけなければと、本能的に身体が肉をむさぼり欲した。





「......どうかな?」


 夕食後。お互い入浴も済ませ、待ちに待った恋人同士が送る夜の楽しい時間。

 ベッドの上ではバスタオル一枚を身にまとった沙優が、腕を拘束具で拘束されながらそわそわと不安気な表情で俺に訊ねる。 


「............」


 そのあまりに異質な妖艶さは、俺から語彙力どころか言葉さえ忘れさせるには充分の破壊力。

 革と鎖で腕の自由のみを奪っているのにすぎないのに、不思議と全てを支配したような感情が征服欲となって全身にみなぎる。


「あのぅ......黙られると怖いんですけど?」

「......ヤバイなコレ。つい見惚れてた」

「捕らわれのお姫様って感じする?」

「ああ。バッチリだ」


 「えへへ」と照れをこぼす沙優に我慢できず、通販で拘束具と一緒に買った丸い小型振動機を前戯なく、いきなり下半身へと挿入。


「な、やっ、やめ」


 油断していた沙優は腰をくねらせ抵抗を試みるがむなしく。飼い主に頭を撫でられ腹を見せるような犬みたいに、だらしなく脚を開脚させた。


「スイッチ入れるぞ」


 言うよりも早く俺は起動させた。


「あひっ、やっ、やぁッ!」


 腹の底から伝わる振動に沙優は悲鳴にも似た嬌声きょうせいを上げ、腰をよじり敏感に反応する。

 拘束された腕は止めようと何度も必死に下半身へと運ぶが、そんなものは無意味。むしろ俺を挑発させる舞いとなってたかまらせる。


「あ、あぅっ、ああぁぁッ」


 強弱を変える度に沙優は身も心も震わせた。何度も。何度も。


「沙優が一番気持ちいいところは......ここか?」


「はうっっっ!!!」


 濁流のような淫波いんはがピンポイントに沙優のもっとも敏感な部分を撃ち、体を大きくのけ反らせた。

 沙優はショートしたように全身をピクピクと痙攣させ、無防備に安産型の尻と大事な部分を向けた......その時だった。



「――――――ッ!?」


 自分の中に時折現れていた負の感情が激しく牙を向き、『沙優を犯せ』とあおってきた。

 全身の毛穴が開いたような感覚に呑み込まれそうになり、心臓の強く脈打つ鼓動が耳元ではっきりと聴こえる。


「はぁ、はぁっ............吉田、さん?」


 息も絶え絶えで放心状態だった沙優が、俺の異変に気付き声をかけた。

 なんとか我に返り、大きなため息を吐きながら頭を押さえた。


「......悪い。ちょっと飲み過ぎたみたいだ」

「......大丈夫?」

「少し休めば平気だ。沙優だってここで終わったら嫌だろ?」

「......うん。でも、あんまり無理はしないでね」


 心配する沙優に返事の代わりにそっと口づけを交わし、そしてバカになったように唇を味わい続ける。

 その夜は沙優と何度も身体を重ねていても、この突如大きく膨れ上がった歪んだ感情を制御するのに必死で、とても行為には集中などできなかった――。



          ◇

 次回第16話は11月17日(金)の午前6時01分に投稿予定です。

 ブクマ・応援コメントにレビュー、お待ちしておりますm(_ _)m




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る