第2章【吉田の黒い欲望編】

第14話【昇進】

 俺は自分を善人だと思ったことはただの一度もない。

 善人だったら失恋の痛手からの酔った勢いだとしても、帰り道に電柱の下で座り込んでいた家出JKを『綺麗だったから』という理由で拾ったりはしない。

 それなりにクソ野郎な自覚は持っている。

 そんなクソ野郎でも、例え神様に見られても恥ずかしくない人生は歩んできたつもりだ。

 自分の中の正義に従い、社会の仕組みに準じんてきた28年間――真に愛する人と結ばれ、もうすぐ30歳の大台が見えてきた今、ある正体不明の不穏な感情が、俺を静かにかつ確実にむしばみ始めていた――。





 夏も終わり、残暑から秋へと徐々に向かって行くのを肌で感じられる機会が増えてきた、9月末。

 そんな季節の変わり目の時期と連動するように、仕事にも大きな変化が起きはじめていた。

 

「――えっ!? 俺がリーダーですか!?」


 定時を知らせるチャイムが鳴り、帰宅の準備に軽くデスク周りを整理していた俺が高松たかまつリーダーの座る席まで呼び出され告げられたのは、思いもよらない言葉だった。

 後藤さんがいなくなった班で初めて迎える、大きなプロジェクト。

 その統括責任者として、リーダーでもないただの平社員の俺がなんと抜擢されたのだ。


「そうだ。後藤女史が仙台支部に固定になってからもう三ヶ月近くも経つだろ。いい加減この班の正式なリーダーを決めようって、ようやく上が本腰上げてくれてな。要するに採用試験だ」

「いや、何もだからってこのタイミングで。適任者だったら俺以外にも沢山いるじゃないですか」


 全体的に若い人材が多い社内において、現在の班の中では俺と同期の橋本がもっとも社歴が長い。

 わざわざ班の中で選ばなくとも、他の班から年相応の有能な人間を引っ張ってくればいいという疑問を持たざるを得なかった。

 反対されるのを読んでいたかのように、高松リーダーは顔色一つ変えず淡々と事情を説明する。


「上は以前からお前のことをかっててな。後藤女史がいなくなってから実質この班を引っ張ってきたのは吉田、お前だろ」

「買い被り過ぎです。高松さんや他のリーダーの方々のサポートがあってどうにかやって来れただけで」

「それにこいつは後藤女史の強い推薦でもあるんだ」

「――後藤さんの?」

 

 反論の意思がそこでプツっと切れてしまった。


「移動先でも元部下を想ってくれてるなんて愛されてるじゃねぇか」

「からかわないでください」


 高松リーダーは俺と後藤さんがどんな関係だったか知らないはずだが、何気なく言った言葉に動揺が落ち着きをみせはじめる。


 そうか、後藤さんが............。


 俺の沙優への秘めた想いを気付かせるきっかけになった、元上司にして――長年の片思いが実りかけた相手。

 この人がいなければ、俺は本当に大事な人が誰なのかを一生誤魔化したまま、生涯を終えていただろう。

 仕事でも恋でもお世話になった大切だった人の恩義に報いらなければ――そう覚悟を決め、動揺していた自分を心の中でぶん殴って黙らせた。


「......後藤さんの推薦でしたら。喜んで」

「そう言ってくれると思ってたよ。 ......別れてからも良い関係でいられるお前らが羨ましいぜ」

「!!!???」


 耳を貸せと高松リーダーに手招きされ囁かれた言葉は、近しい人間しか知らないはずの情報。驚いてデスクに膝をぶつけた鈍い音が室内に響く。


「聞いてるぞ、吉田。お前同棲中の彼女いるんだってな」

「その情報もどこから仕入れたんですか?」

「さぁな。ウチの班には気まぐれな散歩好きの猫様がいる......とだけ言っておくか」


 後ろを振り返り周囲を見回すと、デスクで橋本・三島の二人と雑談に興じる神田先輩と目が合い、悪戯っぽい表情でニヤリと笑った。なるほど、あんたの仕業か。

 他班の人間のプライベートな情報を自分の直属の上司に横流しとは。元カノながら油断も隙もあったもんじゃない。


「同棲中の彼女がいるなら当然結婚も視野にいれてるんだろ? だったら尚更出世はある程度意識しておかないと。悲しいかな、金が無けりゃ女はついてきてくれんのだよ。処理屋の吉田クン」 

「はぁ......」

「詳しい話はまた明日ってことで。俺、このあとデートだからもう行くわ。じゃあみんな、お疲れ!」


 用件を手短に伝えた高松リーダーはスタイリッシュに立ち上がり、学生みたいに手に持った鞄を肩に乗せ、有無を言わさず颯爽と背を向けその場から退勤した。

 戻ってきた俺をデスクで待っていた三人は、


「......まぁ、吉田がリーダーたちのサポート役になった時点で、いつかはこうなる日がやってくるとは思っていたよ」

「でもいきなりデビュー戦がタイトルマッチなのは凄いじゃないですか」

「ぷっ......吉田、机に膝ぶつけてやんの......カッコ悪っ」

「お前ら......人のことだと思って言いたい放題言いやがって......」


 と、こちらの気持ちも知らず、三者三葉の感想を他人事のように述べる始末。イスを引いて座ると同時に大きなため息が遠慮なく溢れる。


「神田先輩も何してんですか。人の色恋事情を社内に言いふらさないでください」

「安心しな。沙優ちゃんとの馴れ初めまでは話してないから」

「当たり前です!」


 JDとなり法律的にも大人となった今なら問題ないとはいえ、決して人にはおいそれと口外できるような馴れ初めでは、俺と沙優はない。 

 神田先輩を信頼こそしているが、ネコ科を彷彿ほうふつとさせる気まぐれさに今みたいに翻弄されてしまうこともしばしば。


「将来の事を優先するなら、それこそ結婚してマイホームまで購入した橋本の方が適任だろ」

「どうぞお先に。僕はもう少し今の気楽な生活をエンジョイしたいからいいよ」

「ローン背負ってる人間が随分気楽だな」


 先が長過ぎて何か開き直った、というやつか。 


「ついに吉田先輩もリーダー昇進......立派に成長しましたね」

「その言葉、そっくりのし付けて返してやる。つうかまだ気がはえーよ」

「もう決まったようなもんでしょ。余程のヘマでもしない限り」

「さらっと不吉なこと言うのやめてもらえません?」


 一応女性陣なりに応援してくれているつもりだろうが、からかい混じりのニヤついた表情が素直に受け取ることを一旦保留させる。


「これまでみたいにリーダーたちがサポートしてくれるなら、何も心配することはないじゃないか。吉田はいつも通り、どっしり構えてみんなに適格な指示を出してくれれば問題ないよ。ねぇ三島ちゃん」 

「任せてください。吉田先輩には散々鍛えられたのは、この時のためだったのかもしれませんね」

「お前ら......」


 まるで少年マンガみたいな胸熱展開に、タイミング良く窓から射す夕陽が演出効果として加わる。


「仕方がない。私も高松さんの手が空きやすくなるよう立ち回ってあげる。その代わり、プロジェクトが成功して昇進が決まったら、沙優ちゃん同伴で祝賀会開くわよ」

「いいですね! それ!」

「お手柔らかに頼みます」

「あー。なにその渋い顔。こんな若々しい20代のレディをしゅうとめ扱いとは酷くない?」


 あながち間違ってはいないんだよな。沙優のやつ、神田先輩に多少は苦手意識を持ってるっぽいし......。

 眉を吊り上げ猫目がちな瞳で抗議する神田先輩を中心に、同僚たちとの和やかなトークタイムはそれから10分ほど続いた。



          ◇

 次回は11月10日(金)の午前6時01分に投稿予定です。★にレビュー、ちょっとした感想、何でもお待ちしておりますm(_ _)m

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