第8話 忘れていたきっかけ

「春香ちゃん、立派な大人になるんだぞ」

 叔父の東夏仁あずまなつひとは私に会うたび、いつもそう語りかけた。海上保安官として麻薬・拳銃などの密輸の水際阻止、原発、東京国際空港、自衛隊と在日米軍基地の警備、SAR協定に基づく沖合水域の海難救助などの業務を平気な顔してこなしていた。

 そう。あの日までは……。

 妖獣第1号、鵺が出現したあの日。叔父は非番で奥さんと一緒に都内に買い物に出かけ、束の間の休日を楽しんでいた。

 そんな時だった。妖獣が出現したのは。

 逃げ惑う人々。あたり一面は血の海と化し、まさしく地獄絵図だった。

 当初、叔父夫婦は逃げ延びることが出来た。でも、根っからの正義感を押さえることは出来なかったんだろう。海上保安官として人を助ける。その気持ちだけで足が動き、妖獣から逃げ遅れた女子大生を叔父さんは助けた。助けたが、鵺に背中を切りつけられてしまい、それが致命傷となって帰らぬ人となってしまった。

 三等海上保安正だった叔父は死後、職務を全うした死として扱われ、二階級特進を果たしたが、残された奥さんの気持ちを考えれば考えるほどつらい。しかも、話を聞くところによると、妊娠2か月だったみたい。

 生まれてくる子供を楽しみにしていた状態でこの世を去ってしまった。

 叔父さんの死後、叔母さんは再婚することなく、東姓を名乗ることを継続。生まれてくる新しい命を育てることを決意。私も叔母さんの家には何回か行ったことがあり、赤子と戯れた。中学校に進学しても、暇だったら叔母さんの家に行こう。私が住んでいるところから、伯母さんの家までは40分ちょっとと地味に遠いけど、行けない距離じゃないしね。

 そう思っていた矢先だった。千葉を離れると言われたのは。

「春香、埼玉に引っ越しすることになったから」

 まぁ、異動するとしてもどうせ県内の事業所で終わりでしょ? そう高をくくっていただけに、埼玉に引っ越しすることとなったって言われた瞬間、頭が真っ白になってしまった。大好きだった千葉を離れる。本当にそれが嫌だった。叔母の家に行きたい。そう思った時も何度もあった。でも、現実は過酷だ。

 埼玉県若宮市という聞いたこともない土地に引っ越しすることとなり、家から歩いて5分のところにある中学校に通うこととなったが、正直どうしていいのか分からない。

 部活選択で迷っていると、いつも両親は剣道をやったほうが良いんじゃないって言うけど、腰は重い。確かに、2年間、剣道をやっていたけど、最後の最後は本当に嫌だった。

 最初は楽しかったはずなのに、いつの間にか嫌になってしまった。あとからやってきた人たちが強くなり、いつしか馬鹿にされる日々。自分でも上達したとは思えない。最後の最後は道場に通うのも嫌になった。

 そういう意味では以前の知り合いがいない土地にやってきたことで、嫌なイメージをリセットすることは出来るとは思う。でも、剣道に対していいイメージは持つことが出来ていないな。なんであの時の私は剣道をやろうと思ったんだろう。

 そのため、新しい部活を必死で探したが、これと言った部活は思いつかなかった。

 未だに友達が出来ていない。適当に日常会話をするレベルで周りに合わせているけど、本音で語れる人は居ない。周りにはグループがぽつぽつとできている。どうしよう。完全に乗り遅れちゃったな。

 そう思いながら教室を眺めると、いつも固まっているグループに目が止まった。

 由美子とななみ、優子、斎藤と黒崎の5人はいつも楽しそうなんだよな。優子以外の4人ともJリーグのサポーターみたいで、いつもサッカーの話をしているし、固定の野球チームを贔屓している野球ファンでもある。うーん、私も混ざりたい。絶対に私も話についていける自信がある。

 でも、今更話の輪に加わるのは……。初動で話題に入れなかったのが痛すぎる。

 入学してもう少しで3週間。私は完全にクラスで浮いてしまったみたい。どうしよう。両親も私がクラスでうまく行っていないことを心配している。

 コミュ障じゃないとは思うんだけどな。

 そう思いながら3連休を迎えると、私たち家族3人は京都に出かけた。なぜならば、応援しているチームが京都で試合をやるから。

 観光と試合観戦はセット。これ、サポーターの常識ですから。金閣寺や銀閣寺と言ったメジャーどころはもちろん、嵐山にも行ったし、トロッコにも乗った。ひいきチームの試合の結果は引き分けという非常にしょっぱい試合だったが、いつの間にかそんなことも忘れ、観光を楽しんだ。

 そんな観光をしている時も、テレビのニュースはしっかりと鳳龍師の活躍が報じられている。どうやら、隣接する柏座市に妖獣が出現したみたい。しかも、その妖獣は人を操り、盾にして攻撃を防ぐという卑劣でなんでもありの戦法をとっていたため苦戦したとか。

 まるで妖獣が知恵をつけてきたみたい。そんな気がしてならないのは気のせいだろうか。

 楽しい3連休もあっという間に終わってしまった。明日からは日常が始まる。このクラスでは友達ができないかもしれない。そう思いながら眠りについた。


 ※


 休みってなんで早く終わるんだろう。楽しみだった3連休があっという間に終わると、日常が始まってしまう。今日で仮入部期間が終わり、明日から本格的に部活動が始まる。私は剣道部に入るつもりでいるけど、新入部員がめちゃくちゃ多いみたい。

 男女合わせて20人だったかな? それくらい入部するんじゃないかって言われており、新入生の1割に匹敵するみたい。バブルやん。えっ? 剣道ってこんなに人気のある部活だったっけ?

「由美子、朝ごはんだよ」

 リビングから母親の声が聞こえる。私は返事をすると、自室を出た。洗面所で歯磨きと洗顔を済ませてリビングに入ると、新聞を読んでいるお父さんが挨拶してきた。

「おっ、由美子おはよう」

「おはよう。今日はゆっくりなんだね」

「打ち合わせは午後からだからね」

 なるほどって返事をし、椅子に座ると手を合わせて唱和した。ピザパンにコンソメスープ、そしてサラダがテーブルに揃えられている。朝はしっかり食べないとね。

 政治、経済、芸能のニュースがテレビから流れるが、昨日は妖獣が出ていなかったこともあり、それに関するニュースはない。まぁ、毎日出るわけじゃないから。たまにはいいんじゃない?

「剣道部って朝練とかあるの?」

 お父さんがそう聞いてきたため、私は答えた。

「中学では朝練はないよ。基本は放課後の活動だけ」

「じゃあ、倫弘みたいに朝早く行くことはないんだな。俺の時とは変わったな」

「お父さんの時は中学校も朝練があったの? 朝早く来ても、正門とか閉まっているんじゃないの?」

「宿直の先生が6時になったら正門を開けるんだ。7時から朝練が始まって8時に終わる。野球部だったから毎日大変だったよ」

「お父さんの時代は上下関係がめんどくさそう。今は宿直という制度はないので6時に正門が開くってことはないかな」

「えっ? そうなの? 宿直ってないの?」

 お母さんもびっくりしているみたい。昔は普通だったのかな。

「先生の労働環境改善の一環で宿直という制度が廃止になったんだ。誰が好き好んで学校に泊まるんだよ。絶対嫌だよ」

「そうか。俺が高校生の時は、宿直の先生の部屋に行って一緒に酒とか飲んでいたぞ」

 平然とお父さんが言う。

「うん、聞かなかったことにするよ。お父さんの時代は喫煙、飲酒が当たり前だったからね」

「俺は少なくても高校卒業するまではタバコは吸わなかったぞ。酒は飲んでいたけど」

 自慢することか!

「野球部の先輩は学生服の後ろ側に小さいポケットを作って、そこに煙草を隠し持っていたな。あとは靴下の中に入れていたやつもいたぞ。今もそうだけど、俺や美幸が通っていた時も高校生の喫煙はだめだから、一応、建前上身体検査をやるんだよ。先生も点数稼ぎするためにね。それで、運悪く見つかったやつは職員室に連れていかれて説教。それで済めばいいけど、煙草を吸うやつなんか碌な奴はいなかったから当然反抗するわけだ。そしたら、グーパンチ。ボコボコだよ」

 凄い時代だな。今じゃ考えられない。

「昔、よく言われていたのは、煙草の停学は1週間なのに全治2週間。俺の同級生もやられたって言っていたな。こいつら阿保だなって思っていたよ」

 停学1週間なのに全治2週間とかパワーワードすぎる。

「そうはいっても俺が住んでいたところはまだましだぞ。美幸のところなんか凄いから」

「えっ? どこが凄いの?」

 そういうと、黙って話を聞いていたお母さんが話し出した。

「私の住んでいた町の近く、『東北のシカゴ』って言われていたから」

「……何それ?」

「ヤクザの抗争がひどくてね。昔、シカゴってギャングの抗争が多かった町として有名だったでしょ。だから、それにあやかって『東北のシカゴ』って言われるようになったんだよ」

安積あさかって昔、そんなにひどいところだったんだ」

「あれやこれやいろいろなことをやって、『東北のウィーン』だとか音楽の街だとかいろいろ呼ばれるようになったんだけどね」

 テレビに表示されている時間を確認すると、7時45分を過ぎていた。さてと楽しい会話も終わったことだし、学校に行くか。食器を流しに入れ、自室で制服に着替えるとカバンの中身を確認した。必要なものはそろっている。問題はない。

 自室を出て、玄関で靴に履き替えていると、お父さんとお母さんがやってきた。

「行ってらっしゃい」

「行ってきます」

 玄関の扉を開けると、私は学校に向かった。たまには違う道で学校に行ってみるもの一つの手だ。ということで、西口にある公園を歩いていると、聞き覚えのある声が響いてきた。

「あっ、由美っちおはよう」

「由美子ちゃんおはよう」

 優子とななみが挨拶してくると、私も返事した。

「おはよう。今日も4人一緒だね」

「なんとなく一緒に行くよな」

 斎藤がそういうと、ななみが語りだした。

「引き分けとか一番しょっぱい試合だよ。絶対勝てる試合だったんだけどな」

 その時間帯は、ちょうど乗馬を楽しんでいた時間帯だ。1-1とかありえねぇし。

「東スタでは負け、ホームでは引き分け。泥沼にはまらなければいいけどな」

「由美子は3日現地?」

「そうだよ。そこを逃したら、現地でしばらくは見られないかもしれないしね」

「部活が始まるしね。サッカー好きにとってみれば土曜日の部活とか考えられないよ」

「俺のサッカー観戦は、来月の大阪で最後になりそうだな」

「智樹はプロを目指すんだろ。大阪でめいっぱい応援すればいいじゃない」

 ななみがそういうと、黒崎は親指を立てた。団地を過ぎ、正門の手前にある横断歩道を渡っていると、クラスメイトと視線が合った。

「あ、おはよう」

「春香おはよう」

「……いつも一緒に居るよね。5人とも」

 春香がそういうと、優子が話し出した。

「由美っち以外は一緒の小学校だからね。将くんの家に泊まったこともあるよ」

「へぇ、お泊り会か。なんだか楽しそうだね」

「春香ちゃんって千葉からやってきたんだよね。どこに住んでいたの?」

高洲市たかすしってところだけど、知っている?」

「知っているよ! 有名なテーマパークがあるところだよね」

「千葉の人って成人式、そこでやるんだよね」

「全員が全員そうじゃないよ。高洲だけ。そのまま残っていたら、私もそうなっていたかもしれないけど、残念ながらここに引っ越してきたからね」

「東って部活どこにしているの?」

「うーん、まだ、思いつかないんだよね」

「じゃあ、一緒にバドミントン部に入らない?」

 ななみがそう言って勧誘すると、春香が答えた。

「バドミントンか。ちょっと考えてみるよ」

 6人で話しながら昇降口に入り、上履きに履き替えると、教室に向かった。


 ※


「おっ、野口。ちょっといいか」

 美術室に向かっていると、立花先生が呼び止めてきた。

「おっ、立花っちだ」

「そのあだ名はやめろ」

「立花先生、由美子ちゃんに用事ですか?」

「ああ、野口に話しておきたいことがあるんだ」

「私に話? それって急ぎですか?」

「今すぐ伝えておきたいなって思ったんだ」

「……先生と話すから先に行って。すぐに行くよ」

 そういうと、ななみと優子は美術室に向かい、私は立花先生と一緒に近くにある小会議室に入った。ここって説教部屋と言われているところやん。

「すまないな。授業の前に呼び止めて」

「別に大丈夫ですけど」

 椅子に座って返答すると、立花先生が話し出した。

「野口、東についてどう思っている?」

「……春香ですか? どうといわれても……」

「まぁ、普通はそういう回答になるよな。いやな、東いつも一人でいるから友達がいないんじゃないかって思っているんだよ」

「今日、登校する時一緒だったので話しましたけど、あんまり印象がないんですよね」

「そうか……。いや、なんでこの話をしたのかって言うとは、他の先生から言われたんだよ。1年1組は男女が隔てなくまとまっていて、コミュニケーションがしっかりしていますねって。入学してまだ1か月もたっていないのに、ここまで関係が構築できているのは珍しいですよと。今年26歳の若僧が担任を持ったクラスとは思えないって評価されたのが俺はうれしいんだけどね」

「うちのクラスってそんな風に評価されていたんですね」

「最初にそう言われた時、俺はうれしかった。でも、いったん冷静になって見渡した時、果たして本当にそうなのかって思ったんだよ」

「それが春香なんですか?」

「呑み込みが早くて助かるよ。確かに東は周りとは上手に付き合っている気がする。でも、それって上手に遊泳しているにすぎないと思うんだよな。引っ越ししてきたばかりだ。だから、どうしても、周りに合わせようと必死になっている。自分が何者か。それを引き出していない気がするんだよな。野口、東の趣味とか知らないよな」

「……まぁ、言われてみれば確かにそうですね」

「だから、東のこと引き出してくれないか? きっと、野口と話が合うと思うよ」

 要するに春香と友達になってくれってことかな。

「分かりました。ちょっと、春香と話してみたいなって思います」

「用事は以上だ。頼むぜ」

「じゃあ、美術の授業に行きますね」

 私は小会議室を出ると、美術の教室に向かう春香と遭遇した。

「あれ? 由美子先に行かなかったっけ?」

「立花先生に呼び止められてね。ちょっと話をしていたんだ」

 さて、話をするって言ったところで話題が思いつかない。どうしよう。そう思いながら、なんとなく春香が持っている筆箱を眺めた。うん? どこかで見たことのあるカラーリングだな。それにチャックもどこかで見たことのあるエンブレムが付いている。そう思っていると、春香が私の顔を眺めてきた。

「えっ? どうしたの?」

「いや、春香が持っている筆箱のカラーリング、どこかで見たことあるなって」

 そう言うと、春香から予想もしない言葉が飛び出してきたため、思わず声が出てしまった。

「千葉生まれだからね。野球もサッカーも応援するチームは千葉だよ。県境にあるチームは敵ですから」

「敵って……骨の髄まで染みこんでいるサポーターじゃん」

「この間の3連休、京都に行ってきたから」

「試合見に行ったの?」

「ほぼ京都観光がメインになったね。試合はしょっぱかったよ。ほんと、早く上に上がりたいな」

 クラスにJリーグのサポが4人いることが奇跡だと思ったが、まさか5人目がいるとは思いもしなかった。

「いつも私とななみがJリーグの話しているの聞いていたんでしょ。普通に入ってきても良かったんだよ」

「いや……何というか、入りづらいなって」

 いつも5人一緒に居るね。朝、登校するときに春香が言った言葉が頭によぎった。

「そうか。そんなつもりはなかったんだけど、春香から見たらそう見えていたんだね」

「私が勇気を出せばよかっただけなんだけど……何というか、うまく言い出せなくて」

 一歩踏み出すって、簡単そうに見えて簡単じゃないんだよな。

「ねぇ、春香。今日、遊びに行ってもいい?」

「えっ? 仮入部はどうするの?」

「そんなもん、行かなくても平気だよ。斎藤みたいに仮入部期間も通って、忠誠心をアピールしなければならない部活に入るわけでもなければ、黒崎みたいに四六時中サッカーに取り込まなければならないってこともない。ななみや優子も誘うよ。春香の趣味を知ったら、二人とも絶対に食いつくと思うから」

 そういうと、春香が嬉しそうな表情をした。

「じゃあ、私も仮入部、サボろうかな。良いよ」

 春香がそういうと、授業開始を知らせるチャイムが鳴り響いた。

「やばい! 急がないと」

 私と春香は急いで美術室に向かった。


 ※


 放課後、遊びにやってきた由美子、ななみ、優子が私の家にやってくると、部屋に置かれているグッズを見ながらいろいろと呟いた。お母さんは出かけているのかな。リビングにある椅子に由美子たちが腰を掛けると、私はお茶菓子を準備した。

「京都の土産食べる?」

「いただきます!」

「あっ、私、名古屋のお土産持ってきたんだ。一緒に食べよ」

 ななみがそういうと、紙袋から名古屋土産を取り出してきた。

「おっ、あんまき! ななみ、分かっていますな」

「私たちが買った時が最後だったよ。ほんと、激戦だったから」

「あそこの店はいつも人気だからね」

 京都土産と名古屋土産を食べながらサッカーと野球の話していると、由美子話しかけてきた。

「春香って、もしかして剣道やっていた?」

「えっ? なんでわかったの?」

「机に置かれている写真を見たらわかるよ。防具着ているしね」

「あの写真ね。確かに、引っ越しする前までは2年間道場に通っていたけど、正直、なんで剣道をやろうと思ったのか覚えていないんだよね」

「親に言われてとかじゃないの?」

「少なくとも、両親は何にも言わなかったと思う。私から剣道をやりたいって言ったのは覚えているけど、そのきっかけが覚えてないんだ。全然上達しなかったし、道場に通っていた友達との関係もあんまりよくなかったからね」

「そうだったんだ……」

 ななみと優子がつぶやくと由美子が話しかけてきた。

「じゃあ、その記憶を塗り替えない?」

「塗り替える?」

「そう。嫌な記憶を楽しい記憶に塗り替える。2年とはいえ、剣道を経験したんでしょ。一緒に剣道部に入らない?」

「剣道部か……。確かに、仮入部で剣道部に行ったけど……」

 そういうと、由美子は唇をかみしめた。多分、私の気持ちが伝わったのかな。

「いやならば別にいいんだ。立花先生に聞いたところ、新入部員で経験者は私と5組にいる窪田だけだって言われたから、経験者が一人でも多くいたほうがいいかなって思ったところなんだ」

「……そうか。ごめんね。私と剣道の関係は引っ越しと同時に消えたんだ。バトミントン部に入部するよ」

 なんか空気が変わっちゃったな。どうしよう。そう思ったが、由美子は気にすることなく話し出した。

「それじゃ仕方がないか。バトミントン部に行っても同じクラスメイトであることには変わりはないしね」

 凄い。重くなりそうだった空気を一瞬で切り替えた。

「ねぇ、剣道部って新入部員が過去最高になるって話を聞いたけど、それってホント?」

 優子がそういうと、由美子が返答した。

「今のところ、20人は確定だって言っていたかな。最終的にはもうちょっと増えるかもしれないって言っていたけど、ほんとバブルだよ。2年生と3年生の部員を合わせた数だけ、新入部員が入部するのは考えられないから」

「やっぱり、それって鳳龍師の影響かな」

 ななみがそういうと、由美子が同意した。

「そうかもしれないね」

 鳳龍師って何者なんだろう。そう思っていると、ただいまという声が響き渡った。

「お母さんおかえり」

 返事をすると、リビングにお母さんがやってきた。

「あら、お友達?」

「お邪魔します」

「春香が中学のクラスメイトを連れてくるなんて初めてだね。母親の冬美ふゆみです。みんな、春香と仲良くしてね」

 リビングで話していたため、私たちは自室に移動。最近流行っている女性アイドルの話や握手券の話など話したけど、由美子が実は大手芸能事務所に所属している男性アイドルが好きだったって話を聞いた時はびっくりしたな。しかも、推しがちょっと意外なところだった。好きになった理由は小学校のころに見たドラマの主人公で、そこからそのアイドルが好きになったとか。

 男性アイドルが主体だけど、もちろん、今流行りの女性アイドルもチェックしているみたい。推しの人もいるみたいだけど、その人が好きな理由がひいきチームに所属している選手と同じ苗字だからという安直な理由だった。ななみも同じ理由で別の人の名前を挙げた。まぁ、私も千葉県出身という理由だけで応援している人がいるけどね。

 私の周りには似た者同士が集まっている。そう思っていると、時計の針は18時を過ぎていた。

「やば、そろそろ帰らないと」

 由美子がそういうと、ななみと優子も次々と立ち上がった。

「春香、また明日ね」

「お邪魔しましたー」


 ※


 帰宅した私は自室で一息ついていると、お母さんから連絡が入った。緊急で通夜が入ったから帰りは遅くなる。お弁当で済ませてか。ということは、お父さんと兄の分も買わないとだめだな。そう思っていると鳳龍師が語りだした。

「由美子、出たみたい」

「場所はどこ?」

並木市なみきし

 乗換アプリで最寄り駅を検索したが、結果を見た瞬間ため息が出てしまった。

「電車で1時間以上かかる。乗り換えも面倒。テレポートするしかないな」

「身体に負担がかかるけど、そこはご了承で」

 分かったと言って返事をすると、私は握りこぶしを作って指輪を一回真正面に向けた。そして腕をくるっと一回転し、両腕を十字でクロスさせると指輪を天井につきだして叫んだ。

「鳳龍師!」


 ※


「21時のニュースをお伝えします。今日、18時17分ごろ、埼玉県並木市に妖獣が出現しました」

 男性のニュースキャスターがそういうと、画面が切り替わった。

「並木市に出現した妖獣はクワガタと蟻地獄の容姿に酷似しており、逃げ遅れた通行人を地面に引きずり込もうとしたところ、鳳龍師が救出。その後、交戦状態に突入。妖獣は地面にもぐって、鳳龍師を翻弄しましたが、駆け付けたSAFと共闘。SAFは重火器を駆使して妖獣を地上に出現させることに成功すると、最後は鳳龍師が斬りつけて妖獣を倒すことに成功。周囲は歓喜に包まれました」

 喜ぶ周囲を見渡し、鳳龍師が一瞬微笑むと姿を消したけど、その時だった。一瞬、由美子の姿がダブって見えてしまった。あれ? 気のせいかな? そう思っていると、お母さんが話し出した。

「鳳龍師って凄いよね。必ず、見ず知らずに人を助けるんだもん。まるで、亡くなった叔父さんみたいだね」

 亡くなった叔父さんみたい。お母さんがそういった途端、私が剣道をやろうとしたきっかけが蘇ってきた。そうだ、私……叔父さんみたいに誰かを助けたい。叔父さんみたいに強くなって人助けをしたい。そう思って剣道を始めたんだ。

 なんで、こんな大切なきっかけを忘れたんだろう。私……。

「春香、本当に剣道止めちゃうの?」

 お母さんがそう聞いてきたため、なんでと聞き返すと話しかけてきた。

「秋子さんから今日電話があったんだ。春香が剣道をやめるかもしれないって言ったら、残念がっていたよ」

「叔母さんが……」

「秋子さんと夏仁さんが同じ高校なのは知っているよね」

「確か海浜高校だよね」

「そう。そこの剣道部だったんだよ。秋子さんと夏仁さん」

「叔母さんが剣道部だったのは知っていたけど、叔父さんも剣道部だったの!?」

「海浜は練習が厳しいから1年の時にやめようかなって何度も思ったみたいだって。でも、当時先輩だった夏仁さんが声をかけたのがきっかけで続けることが出来たって言っていたよ。部内の恋愛は禁止だって言っていたから、ばれないように隠れて付き合っていたっていたね」

「なんだかロマンティックだね」

「ほんとそうだよね。秋子さん、子育てで手一杯なのに、春香のことも気にしてくれていたんだよ。今日、クラスメイトが来ていたよね。由美子ちゃんだっけ? あの子、剣道部に入るんでしょ。春香も一緒に入部したらきっと楽しいと思うよ」

 由美子と一緒の部活か。確かにそれも楽しそうだな。

「そうだね。それも悪くないかもしれないね」

 なんで、さっき鳳龍師と由美子の姿がダブって見えたのかは分からない。でも、きっと、これが正解なんだろうな。

「お母さん、あのね。私」


 ※


 今日は珍しく早起きしたため、いつもとは違う時間帯で学校に行くことにした。このままのペースで行けば8時には学校に着く。

「今日は早いね由美子。いつもは15分前くらいに到着すればいいんじゃないのってスタンスなのに」

 脳内で鳳龍師が語ってきたため、たまにはいいでしょって返事をした。

「早寝早起きをしても罰は当たらないから。これからは7時30分に始まる朝の連続テレビ小説を見てから学校に行きましょう。今やっているの面白そうだし」

 まさか鳳龍師が朝ドラにハマるとは思いもしなかった。BSだと7時30分に朝ドラが始まるから、自宅を出る時間は7時45分になりそうだな。そう思いながら、教室の扉を開けた。まぁ、どうせ誰もいないやろ。そう思いながら、中に入ると春香が挨拶してきた。

「おっ、由美子おはよう」

「春香おはよう。早いね」

「なんとなく、早く来ちゃった」

 私は自席にカバンを置き、教科書とかを机の中に入れると、春香が近づいてきた。

「由美子、私、剣道部に入ることにしたから」

 予想もしない言葉が飛びこんできたため、私は聞き間違いじゃないか再度確認した。

「えっ? ほんと! 春香、剣道部に入るの?」

「うん、やっぱり剣道をつづけるよ」

 一人でも多く経験者がいることは良いことだ。そう思ったが、私は、なんで春香が急に心変わりしたのかが気になった。

「意地悪な質問になるけど、春香、なんで剣道を続けようって思ったの?」

「それはね……剣道を始めたきっかけを思い出したんだ」

 そういうと春香が語りだした。

「叔父さんみたいに見ず知らずの人を助けたい。誰かを守る存在になりたい。そう思ったのがきっかけなんだ」

「春香の叔父さんって誰かを助けたことがあるの?」

「元々、海上保安官だったこともあり、誰かを助けるってことは当たり前だって思っていたのかもしれない。でも、あの日は違った」

「あの日?」

 そういうと、私は予想もつかない言葉に息をのんでしまった。

「妖獣が現れた日」

「それって……」

 どうしようかな。この先、聞かないほうがいいのかもしれない。そう思ったが、春香は話をつづけた。

「あの日、叔父さんは非番で叔母さんと一緒に買い物に行っていたんだ。妖獣が出現した時、叔父さんと叔母さんは逃げ延びることが出来たけど、視界に逃げ遅れた女子大生が目に飛び込んだ時、叔父さん……身を挺して女子大生を助けたんだ。逃げ遅れた人は助かった。でも、その時、鵺の攻撃を受けてしまい、帰らぬ人となったんだ」

 そうなんだって鳳龍師がつぶやいた。

「そのとき叔母さんのお腹の中には妊娠2か月の子供がいたんだ。これからって時に叔父さんはこの世を去った。なんで、そんな事をしたのか私にはわからなかった。でも、叔父さんはきっと立派な事をしたんだ。そう思った私は剣道を始めたんだ。叔父さんみたいに立派な人になりたい。見知らぬ人を助けたい。それがきっかけで剣道を始めたけど、人間ってバカだよね。つらい道場生活を続けると、いつの間にかそれが日常となってしまい、きっかけなんか忘れてしまう。なんで……今まで忘れていたんだろう。私。こんな、大切なこと」

 なんて答えれば適切かな。そう思っていると、自分が剣道を始めた理由と比べた。

「春香はすごいよ。剣道を始めたきっかけを覚えているんだから。これからだよ。私たち、ついこの間まで小学生だったんだよ。何かを始めたきっかけなんか覚えているほうが凄いんだから。私なんか、剣道を始めた理由が適当すぎるからね」

「えっ……そうなの?」

 春香が驚いた表情をした。

「そんな表情になるよね。保健センターの近くに掲示された張り紙を見て、お母さんにこれやりたいって指をさしたのが始まり。それで、よく6年も続けられたもんだなって思っているよ。だから、春香が剣道を始めた理由を聞いて、私凄いなって思ったんだ」

「そうか。それで、6年間も続けたんだ。由美子、もし、私が部活をやめそうになったら支えてほしいんだけどいい?」

 そういって、手を差し出すと、私は春香の手を握った。

「もちろん! よろしくね、春香」

 そう言った時だった。春香が突然、驚いた表情をした。

「えっ……どうしたの?」

「いやね。私の見間違いだと思うけど……一瞬、由美子の後ろに鳳龍師がダブって見えたんだよね」

 そう言われた瞬間、私は心臓が止まるかと思った。

「えっ? えっ?」

「由美子、大げさすぎるって。私の見間違いだから」

 春香が笑っているけど、鳳龍師はうそでしょって、びっくりしている。やばい、冷汗が止まらないんだけど。

「改めまして。よろしくね由美子」

「そうだね。こっちこそ、よろしく。春香」

 お互い手を握ると、春香が何か思い出したかのように話しかけてきた。

「そういえばさ。由美子って彼氏とかいるの?」

「えっ? いないけど?」

 即答で否定すると、ふーんって言いながら春香が近づいてきた。なんだ、不敵な笑みを浮かべているんだけど。

「先々週の土曜日、駅に向かっている由美子を見たんだけど、その時、一緒に男の子と歩いていたよね? その人は誰?」

 先々週……。あっ! あの時!

「いや、それは昔の友達で、付き合っているとかそんなんじゃ」

 そう言って否定すると、がらんと勢いよく誰かがドアを開けた。

「おう! 吉村じゃないか! グッドモーニング!」

 このタイミングで山岡が来るのはまずい!

「何度言えばわかる! 吉村って言うな!」

 そういうと、春香が山岡のもとにすたすたと歩いた。

「ねぇ、ずっと前から気になったんだけど、なんで由美子のことを吉村って呼んでいるの?」

「なんだ、東知りたいのか。俺と野口は同じ若西で」

「こらこら! 何を吹き込んでいるんだ!」

 事情をすべて知った春香がなるほどねってつぶやいた。これはまずい。

「山岡ありがとう。いやね、実は……」

「おいまて! 山岡にその話はだめ!」

 止めようとしたが時すでに遅し。歩くスピーカー山岡は拍手をしながら、教室を出た。

「ブラボー! ブラボー! これは若西の連中に情報共有しないと」

 終わった。こりゃ、ななみたちの耳に入るのも時間の問題だな。

「由美子、青春っていいよね」

「うるせっ! 何が青春っていいよねだ! 私と吉村はそんなんじゃないから!」

 絶対に春香は許さない! 春香と教室内を鬼ごっこしていると、たまたまやってきた立花先生にうるさいぞとなぜか私だけ注意される始末。

 今日から5月が始まるけど。ほんと、幸先が悪い。これからのことを考えると頭が痛くなりそうな反面、経験者の春香が剣道部に入ったことで部員の層が厚くなる。

 春香とは末永い関係になるかもしれない。

 なんとなくだけど、私はそう感じた。

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